
「このまま、今の仕事を続けていけるだろうか。」
そんな問いが、ふと頭をよぎった日があった。
忙しい一日の終わり、ほぼ日手帳を開いて今日の出来事を書き留めていたときのこと。
ペンを動かすうちに、胸の奥に沈めていた本音が、ゆっくりと浮かび上がってきた。
私は今の仕事に、ほんの少しの違和感を覚えていた。
周りの人や会社のやり方に対してではなく、
「自分の心がそこに同調していない」ことに気づいてしまったのだ。
40代を迎え、体調の変化を感じるようになった今。
情熱だけではどうにもならない現実がある。
若い頃のように、自分の気力を削ってまで頑張ることを、
もう体も心も許してくれなくなった。
「仕事辞めたい」は、逃げではなく“心のサイン”
「辞めたい」と思うたびに、
すぐに「これは甘えだ」と自分を叱ってきた。
努力を放棄するようで、
逃げるようで、
そんな自分を許せなかった。
けれど、手帳に本音を書き出してみると、
その言葉が決して弱さではないと気づく。
それは、心が発している“SOS”だ。
無理を重ねて限界を超える前に、
「これ以上、自分をすり減らさないで」と
静かに警告してくれている。
40代からの心の養生は、
この小さなサインを見逃さないことから始まるのだと思う。
無理を押し通すのではなく、
「いま、何をやめるべきか」を見極める勇気。
それは、逃げることではなく、自分を守る選択だ。
手帳が教えてくれた、“私を守る”という視点
手帳に言葉を並べるうちに、
ある現実的な思いにたどり着いた。
――自分がダメになったら、仕事どころじゃない。
当たり前のことなのに、
いつの間にか忘れていた真実だった。
私はITの仕事をしている。
AIがどんどん進化し、何もかもが便利になっていく世界で働きながら、
一方で、紙の手帳にペンで文字を書く時間を欠かせない。
この手帳は、私の人間らしさを保つための“居場所”のようなものだ。
誰にも見せない本音を書き、
小さな不安を並べ、
ときどき愚痴もこぼす。
そこにはAIでは絶対に再現できない、
“私”という生きものの呼吸がある。
もし、その時間を失ったら。
もし、手帳を開く余白すらなくなったら。
私はきっと、自分を見失ってしまうだろう。
だからこそ、
仕事の成果よりも、まずは自分を整えること。
心が動く余白を残すこと。
それが、40代の私が働き方を考える上で、
絶対に譲れない条件になった。
40代の働き方は、「同感できる場所」を選ぶこと
仕事への違和感を感じた根っこには、
会社の理念と自分の価値観のズレがあった。
20代や30代のころは、
「どんな環境でもやってみるべき」と思っていた。
けれど、経験を重ねるうちに、
自分の中で“譲れない軸”ができていた。
私にとってそれは、
「心から同感できる場所で働きたい」ということ。
言われたからやるのではなく、
自分が納得して動ける場所でこそ、
心のエネルギーが湧いてくる。
40代の働き方は、
誰かに評価されるためではなく、
自分の魂が喜ぶかどうか。
そこに価値を置く時期なのだと思う。
自分の信念と矛盾する場所で、
無理に頑張り続けることは、
心の養生という観点から見ても自然ではない。
それはわがままではなく、
限りある時間をどう使うかを
真剣に考え始めた証拠だ。
答えを急がず、手帳の中で立ち止まる
手帳に「仕事辞めたい」と書いたその日、
私は初めて、自分の本音を責めずに見つめることができた。
もしかしたら辞める日が来るかもしれない。
でも、それを決めるのは、
焦りでも、他人の意見でもなく、
静かな自分の声だと思う。
働き方を変えることは、
人生を変えることに似ている。
だからこそ、答えを急がない。
ページをめくりながら、
少しずつ気持ちを書き出していく時間が、
自分の望みを形づくってくれる。
誰かに正解を求めるのではなく、
自分の内側に耳を傾けること。
その静かな営みこそが、
40代の“働く養生”なのかもしれない。
今日もまた、
手帳の片隅に小さく書く。
「焦らなくていい。」
そしてページを閉じる。
それだけで、少し心が軽くなる。
今日も小さな養生を。
Wrote this article この記事を書いた人
ミカ
手帳と暮らすミカです。 薬剤師・和漢薬膳師として、心と体の「めぐり」を見つめながら暮らしています。 40代を迎え、心や体の声に耳を澄ます日々。 手帳を開く時間は、私にとって小さな養生であり、静かな儀式です。 ここでは、ほぼ日手帳に綴る日々の出来事や心の揺れを通して、 「人間らしく生きる」ためのヒントを探しています。