
仕事のメモだらけの手帳に、疲れていた
ここ数年、私の手帳は“仕事の延長”になっていた。
打ち合わせのメモ、タスク管理、スケジュールの詰め込み。
ページを開いても、どこにも“私”がいなかった。
かつて手帳は、心を整えるための小さな聖域だった。
ペンを走らせながら、自分と静かに向き合う時間。
でも、いつからかそのページは数字と予定で埋め尽くされ、
開くたびに気持ちが沈むようになっていた。
40代になってから特に感じる。
仕事の成果や効率よりも、
“どう生きるか”のほうがずっと重たく響くようになったことを。
だからこそ私は、この春、手帳の使い方を根本から見直すことにした。
手帳を“記録”から“心の居場所”に変える
まず決めたのは、仕事のメモを手帳から追い出すことだった。
代わりに、仕事とは関係のないものだけを書く。
今日心に残った言葉、
すれ違った人の笑顔、
気づいた小さな幸せ。
最初のうちは少し不安もあった。
「手帳は仕事の道具」という思い込みが抜けなかったから。
けれど、数日続けてみると、ページの空気が変わっていった。
書いているうちに、
頭の中のノイズが静まっていくのが分かる。
やらなきゃいけないことではなく、
“本当はこうしたい”という気持ちが顔を出す。
それは、誰かに見せるためではなく、
自分の心に還るための言葉。
私にとって、手帳は再び「心の居場所」になった。
40代の“丁寧な暮らし”は、心の養生から
40代になると、暮らしの意味も少しずつ変わってくる。
ただ整えるだけの“丁寧な暮らし”ではなく、
心を休ませるための“養生の暮らし”へ。
体も、以前のようには頑張りがきかない。
気圧の変化で頭痛がしたり、
PMSで気分が落ちたり。
無理を重ねるより、休むほうが生産的だとようやく分かってきた。
そんな時、手帳は小さなセラピーになる。
“今日の体調”と“心の動き”を並べて書くだけで、
自分の波が見えてくる。
調子がいい日も悪い日も、全部自分。
それを受け入れることで、
気持ちがふっと軽くなる瞬間がある。
書くことで、自分の“好き”が戻ってくる
仕事に追われていた時期、
「好きなこと」が思い出せなかった。
でも、手帳に本音を書いているうちに、
少しずつ“好き”が蘇ってきた。
香りの良い紅茶、
新しいマスキングテープ、
季節の花を飾ること、
本屋で偶然見つけた一文。
それらはどれも、成果には結びつかない。
けれど、“生きる力”には確かに直結している。
好きなものを記録することは、
自分の輪郭を取り戻す作業なのかもしれない。
私の人生の主導権を、心に戻す
手帳の使い方を見直すことは、
単なる習慣の変化ではなかった。
それは、私が人生の主導権を
仕事や数字に預けるのをやめて、
「自分の心」に返すという、
小さな革命だった。
誰かの期待に応え続ける生き方ではなく、
自分が本当に心地いいと感じる時間を選び取る生き方。
それが、40代の私がたどり着いた答えだ。
手帳を開くたびに思う。
このページは、
私の“生き方”そのものを映しているんだ、と。
「好き」と「本音」で満たすページを
これからも、手帳には仕事の予定ではなく、
私の“好き”と“本音”を丁寧に書き残していきたい。
そこには、頑張る自分も、怠ける自分も、
全部そのままでいていい。
書くことは、
心の中の余白を作ること。
日々の小さな疲れをほどき、
次の日へ進む力を育てること。
40代の今だからこそ、
その静かな時間を何より大切にしたいと思う。
今日も小さな養生を。
Wrote this article この記事を書いた人
ミカ
手帳と暮らすミカです。 薬剤師・和漢薬膳師として、心と体の「めぐり」を見つめながら暮らしています。 40代を迎え、心や体の声に耳を澄ます日々。 手帳を開く時間は、私にとって小さな養生であり、静かな儀式です。 ここでは、ほぼ日手帳に綴る日々の出来事や心の揺れを通して、 「人間らしく生きる」ためのヒントを探しています。