
夏の体育館で倒れかけた日
子どものバスケットボールの試合の準備をしていたとき、突然、視界が揺れた。
めまい、吐き気、体の奥から湧き上がる重さ。
汗をかいているのに、どこか熱がこもっているような感覚。
最初は「ちょっと疲れただけ」と思っていた。
けれど、次第に立っているのがつらくなって、ようやく気づく。
ああ、これ、脱水かもしれない。
体育館の中は熱気に包まれ、子どもたちの声とボールの音が反響していた。
私は少し離れた椅子に座り、保冷剤を首に当てながら、ようやく深呼吸した。
情けなさよりも、ただ心から安堵した。
――間に合ってよかった、と。
無理を積み重ねる癖が、40代の私を追い詰める
思えば、体がサインを出していたのに、
気づかないふりをしていた。
肩こり、倦怠感、頭痛、むくみ。
小さな不調を「たいしたことない」と片付けて、
そのまま動き続けていた。
40代になると、無理をしても翌日には戻らない。
“がんばればなんとかなる”という過去の経験則は、
もう通用しないのだと痛感した。
それでも、母親として、社会人として、
自分の役割を優先してしまう。
「私がやらなきゃ」と言いながら、
体の声を置き去りにしてきた。
今回の出来事は、そんな私に向けて
体が最後のSOSを出したのかもしれない。
東洋医学が教えてくれる“夏の不調”の正体
東洋医学では、夏の不調は“水の巡り”の乱れと関係が深いと言われている。
汗をかきすぎると、体内の水分と共に“気”まで失われ、
だるさやめまい、気分の沈みにつながる。
私もまさにその状態だった。
冷たい飲み物ばかり飲み、
食事も適当になり、睡眠も浅い。
体が求めるリズムを無視していた。
養生とは、難しい理屈ではなく、
体の声に“気づいて応えること”。
喉が渇いたら飲む。
眠くなったら休む。
それだけのことを、私たちはいつの間にか忘れてしまったのかもしれない。
「立ち止まる勇気」が、いちばんのセルフケア
あの日以来、私は少しだけ暮らしを変えた。
朝起きたら、白湯を一杯。
出かける前には、必ず水筒を持つ。
そして、手帳にその日の体調をひと言メモする。
“昨日より疲れてる”
“なんとなく眠れなかった”
そんな些細な言葉でも、
自分の状態を知るきっかけになる。
不調を放っておかないことは、
自分を大切にする最初の一歩だ。
家族や仕事を支えるためにも、
まずは自分の体を守らなければならない。
もう「手遅れになる前に」気づける自分でありたい。
40代の養生は、がんばらない暮らしから
私たちの体は、思っている以上に正直だ。
天気や気温、感情にすぐ影響される。
だからこそ、無理を重ねるより、
ゆっくり立ち止まる時間を持ちたい。
少し風を感じてみる。
深呼吸をしてみる。
白湯を飲みながら、
手帳に今日の自分をそっと書き留めてみる。
それだけで、
体の奥に眠っていた力が
少しずつ戻ってくるような気がする。
夏の終わりに、私は改めて思う。
“自分をいたわること”こそが、
この季節のいちばんの養生だと。
今日も小さな養生を。
Wrote this article この記事を書いた人
ミカ
手帳と暮らすミカです。 薬剤師・和漢薬膳師として、心と体の「めぐり」を見つめながら暮らしています。 40代を迎え、心や体の声に耳を澄ます日々。 手帳を開く時間は、私にとって小さな養生であり、静かな儀式です。 ここでは、ほぼ日手帳に綴る日々の出来事や心の揺れを通して、 「人間らしく生きる」ためのヒントを探しています。