手帳とAIの時代を生きる|「リアルな私」はどこにある?【40代の養生日記】

手帳とAIの時代を生きる|「リアルな私」はどこにある?【40代の養生日記】

AIと共に暮らす日常のなかで

気づけば、暮らしのほとんどがAIに包まれるようになった。

スマホは私の好みを読み取り、
「あなたにぴったり」とおすすめを出してくる。

在宅で携わっているITの仕事も例外ではない。
効率化、最適化、パーソナライズ。
そんな言葉が、日々の会話の中で自然に飛び交う。

AIは、私の代わりに考え、提案し、
ときには“正しさ”まで教えてくれる。

――それでも。

その便利さに身を委ねるほど、
胸の奥に小さな違和感が刺さる。

AIが映し出す「私」は、
本当に“リアルな私”なのだろうか。

データには映らない「揺らぎ」

AIが描く「私」は、
過去の行動や好みを平均化した“データ上の私”。

確かに、正確ではある。
けれど、生きている私の微妙な揺れまでは捉えきれない。

たとえば、寝不足で気分が沈む朝。
誰かの言葉に少しだけ傷ついた夜。
そんな小さな感情の波は、
どんなアルゴリズムにも残らない。

効率よく生きるほど、
自分の「感じる力」が薄れていくような気がして、
ときどき、ふっと怖くなる。

ペンを握ることで、私は私に戻る

そんなある日。
何気なく数年前の手帳を開いた。

ページの端には、仕事のメモや子どもの予定に混ざって、
「頭が重い」「気分が沈む」「理由もなく泣ける」といった言葉が並んでいた。

マスキングテープは少し剥がれ、
ボールペンの跡が裏に透けている。

それでも、ページ全体からあたたかさが滲んでいた。
そこには、たしかに“生きていた私”がいた。

その余白に、小さくこう書かれていた。

「AIで全部わかるなんて、やっぱり無理だよな。」

読み返しながら思わず笑ってしまった。
まるで未来の自分へのメッセージみたいで。

手帳は、心の体温計

AIが導く答えは、たぶん正しい。
でも、私の心の体温を測ることはできない。

ペンを握る手の力の入り方、
文字の揺れ、乱れ、書き殴った跡。
それらが、私の「今」を映している。

「今日は何を感じ、何を考えたのか。」
その小さな確認を、私は手帳でしている。

AIが「幸福度85%」と教えてくれても、
私の心が「今日は疲れた」とつぶやくなら、
その声に耳を傾けたい。

私の幸福は数字では測れない。
この手帳こそが、
心の温度を取り戻すための処方箋だと思う。

不便さの中に、人間らしさがある

ITの世界では、“不便”は改善の対象だ。
でも私は思う。
不便さの中には、思考の余白がある。

予定を書き写すときの、
一瞬の「間」。
メールの文面を考えながら、
手が止まるその沈黙。

その時間こそが、
私を人間らしくしてくれる。

AIの提案より、
迷いながら書いた一行の方が、
あとから読み返すと胸に残る。

そこには「答え」ではなく、
「生きた痕跡」があるから。

「リアルな私」は、この手の中に

40代になって、体の声が小さくなった。
少し無理をしただけで、すぐに響く。

だから、私は手帳に書く。
不調も、迷いも、全部。
そうやって「これも私」と受け入れていく。

AIがいくら進化しても、
人の心はアナログのままだ。

ページをめくると、インクの跡。
かすれた文字。
ときどき、涙のしみ。

それが私の“リアル”。
完璧じゃないけれど、確かに生きている証。

AIが描く“理想の私”ではなく、
揺らぎながらもここにいる“現実の私”を、
私は大切にしたい。

AIの時代を、人間らしく生きる

手帳を開くたび、私はAIの世界から少し離れる。
静かに呼吸を整え、
自分の声を聴く。

数字でも、最適解でもない、
“生きている私”の鼓動を感じながら。

AIと手帳。
どちらも、今を生きるための道具。

だから私は、両方を使いながら、
人間らしい時間を取り戻したいと思う。

今日も小さな養生を。

Wrote this article この記事を書いた人

ミカ

手帳と暮らすミカです。 薬剤師・和漢薬膳師として、心と体の「めぐり」を見つめながら暮らしています。 40代を迎え、心や体の声に耳を澄ます日々。 手帳を開く時間は、私にとって小さな養生であり、静かな儀式です。 ここでは、ほぼ日手帳に綴る日々の出来事や心の揺れを通して、 「人間らしく生きる」ためのヒントを探しています。

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