
手帳につづられた一言
「私の時間を奪われるのが、大嫌い。」
手帳にそう書き込んだ夜、
ペンの先が少し震えた。
仕事を終えるのは18時。
残業すれば19時近く。
そこから夕飯を作り、片づけ、洗濯、子どもの宿題。
ようやく自分の時間が訪れる──その瞬間。
鳴り響く電話。
「今日中にこれやっておいて」と夫の声。
どっと押し寄せる苛立ち。
「どうして、今なの?」
そう呟きたくなるほど、
一日の中で“自分に戻れる時間”はほんのわずかしかない。
手帳のページに、
「自由な時間がない」と書き残すことが増えた。
その文字の奥には、
「自分を取り戻したい」という、静かな叫びが潜んでいる。
40代の「時間泥棒」は見えにくい
20代、30代のころは、無理がきいた。
夜遅くまで働いても、次の日にはケロッと笑えていた。
「今は頑張る時期だから」と、忙しさに自分を納得させられた。
でも、40代は違う。
体力もそうだが、心のエネルギーが回復しにくい。
小さなストレスが積み重なるだけで、
思考も感情も、ふと止まってしまうようになった。
「自分の時間を奪われるのが嫌」という気持ちは、
わがままではなく、
心のエネルギーが限界に近づいているサインなのだと思う。
私たちは、仕事・家事・育児という
三つの大きな役割を休みなくこなしている。
だからこそ、
残されたわずかな“空白の時間”は、
自分の心と体を整えるための養生の時間であり、
決して削ってはいけないものだ。
それなのに──。
家族からの急な頼みごと、
どうでもいい営業電話、
突然のチャット通知。
それらは、単に時間を奪うだけでなく、
「あなたの時間よりも他人を優先しなさい」と
無言で突きつけてくるようで、
心の余白までも奪っていく。
手帳が教えてくれた「気づきの時間」
では、どうすれば自分の時間を取り戻せるのか。
私がたどり着いたのは、
「気持ちに理由をつけてみる」という方法だった。
手帳のほぼ日手帳に書かれていた言葉。
「ほとんどのことって『理由は後づけ』で、『こうしたい』が先にある。」
この一文が、心に深く残った。
私たちはいつも「理由」で納得しようとする。
「子どもがいるから、自分の時間がない」
「仕事が忙しいから仕方ない」
でも本当は、
「自分の時間がほしい」
「少しでも一人になりたい」
という“感情”が先にある。
その気持ちを抑え込むのではなく、
ちゃんと自分で認めてあげる。
それが、
時間の余白を取り戻すための第一歩なのだと思う。
手帳デコに込めた「ご機嫌の養生」
日記を書くとき、私はよくマスキングテープやシールを貼る。
花柄、マカロンカラー、淡いゴールド。
その組み合わせを考える時間が、何よりの癒しだ。
ページの隅に貼った言葉。
「Don’t let yesterday take up too much of today.」
― 昨日が、今日を占領しすぎないように。
昨日のイライラや焦りを、
今日の自分に持ち越さない。
そんな小さな誓いを込めて、ページを彩る。
手帳を飾る時間は、
“自分を取り戻すための儀式”のようなものだ。
自分の好きなものでページを満たしていくと、
心の隅に空気が通うような軽さを感じる。
「ごめんね、今は無理」と言える強さ
私の時間を守るために、
最近はこう言うようにしている。
「ごめんね、今この時間は私の大切な時間だから、今は無理。」
誰かの期待に応え続けることが、
やさしさではないと気づいたからだ。
“誰かのため”ばかりを優先していた頃は、
自分に対して一番冷たかった気がする。
でも、
「自分のための時間を確保すること」もまた、
家族や仕事にとっての優しさにつながっていく。
自分を満たす時間があるからこそ、
他人にやさしくできる。
それが、40代からの生き方なのだと思う。
時間を取り戻す、小さな決意
手帳を開いて、今日の予定の隙間に
「自分の時間」と書き込む。
それだけで、少し安心する。
自分の時間を守るのは、
誰かに奪われないように戦うことではなく、
“自分の心を大切にする”という意思表示。
その静かな覚悟を持つことが、
40代の養生なのだと思う。
今日も小さな養生を。
Wrote this article この記事を書いた人
ミカ
手帳と暮らすミカです。 薬剤師・和漢薬膳師として、心と体の「めぐり」を見つめながら暮らしています。 40代を迎え、心や体の声に耳を澄ます日々。 手帳を開く時間は、私にとって小さな養生であり、静かな儀式です。 ここでは、ほぼ日手帳に綴る日々の出来事や心の揺れを通して、 「人間らしく生きる」ためのヒントを探しています。