
ペットロスを越えて見えた、心の養生
暑さが深まる季節、心も体も少し不安定になる。
40代になってから、そうした揺らぎに敏感になった気がする。
誰にでも、長く寄り添ってきた「大切な存在」があるはず。
私にとってそれは、いつもそばにある手帳と、
そして少し前に虹の橋を渡ったチワワのチョコだった。
この記事は、ペットとの別れを経験した人へ。
そして、いまもその痛みの中に立ち尽くしている誰かへ。
静かに書き残しておきたいと思った。
チョコが残していったもの
チョコが旅立ったのは今年の六月のこと。
十二歳。よく食べ、よく眠り、よく甘えた。
あの子らしい穏やかな一生だった。
「もう、充分がんばりましたよ」
医師の言葉が耳の奥で響いて、
その瞬間、こらえていたものが決壊した。
家に戻ると、世界の音が少し小さくなっていた。
どこかの部屋でチョコが眠っている気がして、
無意識に足音を忍ばせる。
けれど、もうそこにはいない。
ただ、空気だけが、あの子の匂いをかすかに残していた。
手帳との対話が始まった
何も手につかないまま、古い手帳を開いた。
すると、自然とペンが動き出した。
「チョコがいたら、今ごろこの陽だまりで眠ってるだろうな。」
「今日はスーパーでチワワ柄のエコバッグを見つけた。」
そんな小さなつぶやきが、少しずつページを埋めていく。
手帳に向かう時間は、まるでチョコと話をしているようだった。
「ねえ、チョコ。今日はこんなことがあったよ。」
子どもの前では我慢していた涙が、
このページの前では静かにこぼれた。
書きながら、悲しみの奥に別の感情が顔を出した。
それは、「さみしい」よりも「ありがとう」に近いものだった。
あの子がくれた時間のひとつひとつが、
まだ自分の中で確かに息づいていた。
40代になってから、心と体の回復に時間がかかるようになった。
仕事、家事、子育て。
すべてを抱えたまま、どこかで自分を見失いそうになる。
そんな日々の中で、手帳は私を「私」に戻してくれる場所になった。
今日の気分、些細な怒り、通り過ぎた喜び。
書いていくうちに、心が整っていくのがわかる。
手帳は、効率化のための道具じゃない。
私にとっては、心を養生するための処方箋だ。
ページを飾るマスキングテープやシールも、
ただの装飾ではない。
色を重ねるたび、沈んでいた心が少し明るくなる。
まるで、自分の内側を丁寧に撫でていくような感覚。
「さよなら」も「ありがとう」も、同じページに
ペットとの別れは、家族の一部を失うことに近い。
悲しみは時間とともに薄れるというけれど、
完全に消えることはない。
でも、手帳に書くことで、
その痛みが少しずつ形を変えていくのを感じた。
「さよなら」は悲しみの言葉。
「ありがとう」は、愛を残す言葉。
どちらも、私の中に共にある。
チョコと過ごした十二年は、
いまもこのページの上で生きている。
そして、それがこれからの私を支えてくれる。
もし、いま誰かを失って心がぽっかり空いているなら、
どうか静かな場所で手帳を開いてみてほしい。
言葉にするたび、痛みは少しずつ、
優しさへと形を変えていくから。
今日も小さな養生を。
Wrote this article この記事を書いた人
ミカ
手帳と暮らすミカです。 薬剤師・和漢薬膳師として、心と体の「めぐり」を見つめながら暮らしています。 40代を迎え、心や体の声に耳を澄ます日々。 手帳を開く時間は、私にとって小さな養生であり、静かな儀式です。 ここでは、ほぼ日手帳に綴る日々の出来事や心の揺れを通して、 「人間らしく生きる」ためのヒントを探しています。