
会社がまた少し、形を変えようとしている。
ニュースでは「出社回帰」という言葉がささやかれ、
世の中の流れが、ゆっくり逆戻りしていく気配。
私は今もリモートワーク。
朝、子どもたちの「いってらっしゃい」を聞いて、
夕方には「おかえり」を迎える。
その何気ない時間が、
いまの私にとって何よりの幸せだ。
けれど周りを見渡すと、
同じように働く友人たちが、
再び出社を命じられている。
会社は「生産性のため」と言う。
でも、働く私たちの“暮らし”は、
その中にちゃんと見えているのだろうか。
会社の「働きやすさ」と、
わたしたちの「働きやすさ」。
同じように見えて、
きっと違う。
わたしにとっての「働きやすさ」
40代になって、
体のサインに敏感になった。
朝、起き上がれない日。
理由もなく重たい日。
更年期という言葉が、
少しずつ現実味を帯びてくる。
そんな朝には、
リモートワークでよかったと心から思う。
もし出社していたら、
笑顔を作って、無理をして、
「大丈夫」と言いながら疲れを隠していただろう。
いまは違う。
朝の数分、お茶を淹れる時間がある。
通勤がないだけで、
心の余白ができる。
その小さな余白が、
一日をやわらかくしてくれる。
人間関係のノイズも減った。
自分のペースで集中し、
自分のタイミングで休む。
この暮らし方が、
私の「養生」になっている。
「便利さ」に飲み込まれたくない
AIやテクノロジーで、
生活はどんどん効率的になった。
ボタンひとつで、買い物も会議も済む。
けれど、ふと立ち止まって思う。
“便利になる”ことと、
“幸せになる”ことは、
同じだろうか。
手帳にペンを走らせる時間。
ページをデコレーションする指先の感覚。
それは、AIにはできない。
私だけの「生きている時間」だ。
書くことで、気持ちは少しずつ整理される。
悲しみも、苛立ちも、
文字にして初めて、受け入れられる。
不便なこの行為こそ、
心を整える儀式。
“便利”の名のもとに、
こんな時間を手放すのは、
きっともったいない。
「欲しい未来」は、誰かがくれるものじゃない
昔、糸井重里さんの言葉に出会った。
「欲しい未来は、自分でつくる。」
その意味を、
40代になった今ようやく理解できる。
会社が描く未来も、
社会が決める理想も、
それが“わたしの幸せ”とは限らない。
だからもう、
他人任せにはできない。
自分で、自分の未来をつくるしかない。
大きなことをする必要はない。
自分の体を大切にすること。
心が喜ぶ時間を、
少しでも毎日持つこと。
今日の夕飯を考える時間。
好きなマステを選ぶ時間。
手帳を開いて、自分に話しかける時間。
そんな小さな「好き」の積み重ねが、
未来を形づくる。
不便でもいい。わたしのペースで生きていく
効率よりも、心の手触りを。
正解よりも、自分の感覚を。
もし明日、会社の形が変わっても、
私の生き方は変わらない。
会社は社会の流れで揺れるもの。
でも、私の心は、
私の手の中にある。
「もう、欲しい未来は自分でつくる。」
その言葉が、
明日を少し軽くしてくれる気がした。
今日も、小さな養生を。
Wrote this article この記事を書いた人
ミカ
手帳と暮らすミカです。 薬剤師・和漢薬膳師として、心と体の「めぐり」を見つめながら暮らしています。 40代を迎え、心や体の声に耳を澄ます日々。 手帳を開く時間は、私にとって小さな養生であり、静かな儀式です。 ここでは、ほぼ日手帳に綴る日々の出来事や心の揺れを通して、 「人間らしく生きる」ためのヒントを探しています。