
最近、インターネットの世界が少し無機質に感じる。
検索すれば、どんな情報も一瞬で出てくる。
AIが要約してくれて、ランキング記事が並ぶ。
でも、そのどれもが似たような構成、似たような言葉で、
まるで“人”の気配が薄れてしまったような気がしてならない。
「SEO」「キーワード」「効率」——
そんな言葉ばかりが目につくたび、
私は心のどこかが少し寂しくなる。
AIの便利さと、私の違和感
私はIT企業で働いている。
AIの便利さも、その可能性の大きさも、よく知っている。
けれど、便利さに包まれるほどに、
心の奥でこんな思いが生まれる。
「本当に、何もかもAIに任せていいのだろうか?」
AIは答えを出すのが得意だ。
でも、人の揺らぎや、曖昧な気持ち、
そして“言葉にできない想い”は、AIには表現できない。
その違いこそが、人が生きる意味なのかもしれないと、
私は最近よく思う。
「稼ぐための文章」に、心が疲れていった
私がWordPressでブログを始めたのは、
ほんの小さなきっかけだった。
「お小遣いを稼ぎたい」
「文章を書くのが好き」
そんな軽い気持ちだったはずなのに、
気づけば数字と分析ばかりを追いかけていた。
「どうすればアクセスが伸びる?」
「どんなタイトルなら検索に強い?」
本当は好きでもない商品のレビューを書いたり、
本音を抑えて“ウケのいい言葉”を選んだり。
書くことが、いつの間にか苦しくなっていった。
手帳が、私を救ってくれた
そんな時、ふと手帳を開いた。
ほぼ日手帳のページにペンを走らせる。
そこに書くのは、誰かに見せるための言葉ではなく、
“本当の自分”の言葉だった。
「今日は子どもの運動会。転んだ姿を見て泣きそうになった。」
「夕飯づくりで疲れすぎて、もう何もしたくない。」
そんな小さな気持ちを、
飾らずそのまま書く。
書くたびに、心が軽くなっていくのを感じた。
まるで、滞っていた“気”がゆるやかに流れ出すように。
書くことは、私にとっての“養生”
40代になって、体も心も少しずつ変わってきた。
朝がつらい日もあるし、意味もなくイライラしてしまうこともある。
でも、そんな時こそ、手帳に書く。
「今週は頑張りすぎたな」
「ちょっと無理してるのかもしれない」
言葉にして書くことで、
自分を客観的に見つめられるようになる。
手帳は、私の心と体を整えるための“養生ノート”なのだ。
AIには書けない、私の「物語」
AIは、完璧な文章を書ける。
文法も、構成も、SEOも、完璧に。
でも、AIにはきっと書けない。
夕方のキッチンで、
疲れた体にお湯を沸かすときの小さなため息。
それでも家族のために、
お味噌汁をよそう手のぬくもり。
その瞬間にある温度や匂い、
“人の気配”までは、AIには届かない。
だから私は、私の言葉で書きたいと思う。
読まれるためではなく、
“生きるために書く”という感覚で。
手帳デコがくれる、小さなときめき
ページを彩るマスキングテープやステッカー。
それを選ぶ時間が、私のささやかな楽しみだ。
花柄のマステを眺めて、
「明日は庭に出てみようかな」と思ったり。
パンのステッカーを貼って、
「今日の朝ごはん、パンにしよう」と思ったり。
それだけで、心がやわらかくなる。
最近は、SHEINやTEMUでも
素敵なデザインの文房具をよく見つける。
お手頃で種類も多く、
“日常の小さな癒し”を見つけるのにちょうどいい。
でも一番の癒しは、
それを貼る時間に、
自分と静かに向き合っている瞬間そのものだと思う。
書くことで、自分を取り戻す
誰かに見せるためじゃなく、
誰かのためでもなく、
“自分を整えるために書く”。
それが、40代の私にとっての“書く意味”になった。
AIにはAIの強みがある。
でも、人間の言葉には、体温がある。
心が揺れ、迷い、泣き、笑う。
そのすべてを抱きしめる文章は、
やっぱり人間にしか書けないと思う。
だから私は今日も、
手帳にペンを走らせる。
そして思うのだ。
AIには書けない言葉が、
このページの中に、ちゃんと息をしている。
今日も小さな養生を。
Wrote this article この記事を書いた人
ミカ
手帳と暮らすミカです。 薬剤師・和漢薬膳師として、心と体の「めぐり」を見つめながら暮らしています。 40代を迎え、心や体の声に耳を澄ます日々。 手帳を開く時間は、私にとって小さな養生であり、静かな儀式です。 ここでは、ほぼ日手帳に綴る日々の出来事や心の揺れを通して、 「人間らしく生きる」ためのヒントを探しています。