40代からの丁寧な暮らし–「個性」がなくなったSNSに疲れていませんか?

40代からの丁寧な暮らし–「個性」がなくなったSNSに疲れていませんか?

SNSを開くたびに、少し息苦しくなる。
美しく整った部屋、丁寧に淹れられたコーヒー、光の加減まで計算された写真。
どれも素敵なのに、なぜか心がざわつく。

かつては、自由に言葉を綴る場所があった。
ブログという世界が、もっと人間の温度を持っていたころ。
その日の気分で書いてもよかったし、失敗した話だって、誰かが笑ってくれた。

でも、今のSNSは違う。
「映える」こと、「共感されること」、
そして「正しく整っていること」が求められる。

みんな同じ色で、同じ言葉を選び、
間違いのない美しさを並べていく。
効率的で、洗練されていて、でも少しだけ無機質だ。

失われた「らしさ」を取り戻す場所

そんなとき、私は手帳を開く。
誰にも見せる必要のない、紙の上の小さな世界。

そこには、いいねも、コメントもいらない。
ただの私がいて、今日の気持ちがある。

「今日は何もしたくなかった」
「人の声を聞くのが少ししんどい」
「でも、夕方の空が綺麗だった」

そんな他愛もない言葉を並べながら、
心の中に少しずつ風が通っていく。

言葉を整える必要はない。
丁寧な文体にしなくてもいい。
そのまま書くことで、
誰でもない“私”の声に戻っていける。

手帳がくれる「余白」

在宅で働くようになってから、
一日の終わりが見えにくくなった。
仕事のメールを閉じても、頭の中が静まらない。

そんな夜に、手帳を開く。
ペン先が紙を滑る音を聞きながら、
心の奥に溜まっていた思考を、
ひとつずつ外に出していく。

時々、そこに花のシールを貼ったり、
淡い色のマスキングテープを重ねたりする。
それだけで、ページが柔らかくなり、
自分を許せる気がする。

この時間は、私にとって“余白”だ。
情報も、効率も、役割も置いて、
ただ「私」に戻るための隙間。

「好き」を選び直す力

40代になって、
自分のエネルギーの出し方が変わった。
頑張るより、整えるほうに力を使いたいと思うようになった。

SNSでは、たくさんの「素敵」に出会える。
でも、本当に心が動くものは、案外少ない。

誰かのまねをしなくてもいい。
流行に乗り遅れてもいい。
大切なのは、自分の「好き」をちゃんと選び取ること。

小さな花を一輪だけ飾る。
香りの良いお茶をゆっくり淹れる。
その“好き”が積み重なって、暮らしが育っていく。

手帳は、心の回復を待つ場所

手帳を開くと、静かな呼吸が戻ってくる。
書きながら、自分の体温を思い出すような感覚。

SNSのようにスピードは求められない。
書いて、考えて、少し黙って。
また書く。

そうしてできたページには、
人に見せるためじゃない、私の生活の呼吸が刻まれていく。

それはきっと、
デジタルには真似できない“生きている言葉”だ。

ありのままの言葉で、生きていく

誰かのルールに沿って整えるより、
自分の言葉で、少し不器用に生きていくほうがいい。

完璧じゃなくてもいい。
何者かにならなくてもいい。

紙の上の文字たちが、
少しずつ私の中の滞りを流していく。

そして今日もまた、
手帳を開く。

余白に書くのは、誰でもない私の言葉。
その小さな時間が、心を養う。

今日も、小さな養生を。

Wrote this article この記事を書いた人

ミカ

手帳と暮らすミカです。 薬剤師・和漢薬膳師として、心と体の「めぐり」を見つめながら暮らしています。 40代を迎え、心や体の声に耳を澄ます日々。 手帳を開く時間は、私にとって小さな養生であり、静かな儀式です。 ここでは、ほぼ日手帳に綴る日々の出来事や心の揺れを通して、 「人間らしく生きる」ためのヒントを探しています。

TOPへ