40代、休息の養生|週末に予定を入れると疲弊する私へ。主婦が「自分の時間」を確保する意味

40代、休息の養生|週末に予定を入れると疲弊する私へ。主婦が「自分の時間」を確保する意味

週末の終わりに、手帳を開く。
そこに書かれているのは、
「洗濯・買い出し・子どもの送迎・お出かけ」――。

ひとつひとつは大切な予定のはずなのに、
ページを眺めていると胸の奥に小さな疲労感が広がる。

「また明日から一週間が始まる」
その言葉の裏には、
“もう休めていない”という体の声が潜んでいる。

家族のため、仕事のために動き続けるうちに、
週末の予定が「ToDoリスト」に変わってしまう。
40代になってから、その感覚が強くなった。

どれも“こなす”だけで終わってしまい、
月曜の朝にはすでにエネルギーが残っていない。
私はこの状態を、手帳に「週末疲労」と書き込んだ。

「休むこと」に罪悪感を抱いてしまう理由

なぜ、私たちは“何もしない時間”に
こんなにも罪悪感を覚えるのだろう。

休むこと=怠けること、
そんな考えがどこかに染みついている。

手帳の片隅に、私は小さく書いた。
「どんどんストレス溜まる…円形脱毛症になった。どこかで休まなきゃ」

文字にして改めて読むと、
それがSOSのメッセージだったと気づく。

体はとっくに「もう無理」と言っているのに、
頭の私は「頑張らなきゃ」と命令を出している。
このねじれが、心をすり減らしていく。

40代という時期は、
体も心もゆらぎやすくなる。
ホルモンの変化、気力の波、家庭の責任。

無理がきかなくなった現実を、
まだ受け入れきれずにいる。

それでも、家事も育児も待ってはくれない。
“ちゃんとした母”“働く人”を演じながら、
自分を後回しにしてしまう。

「自分の時間」を意図的に確保するということ

手帳を見返していたある夜、
私はふと書き込んだ。

「世の中のママは、いつ休んでいるんだろう?」

誰かに休む許可をもらうのを待つうちは、
本当の休息にはたどり着けない。

誰も私の代わりに時間を作ってはくれない。
だから、自分で“休む枠”を確保するしかないのだと気づいた。

主婦の「自分の時間」は、
家族の予定が空いた隙間に慌てて押し込むものではない。
それではただの“充電”にしかならない。

私が本当に求めているのは、
誰のためでもない“空白”の時間。
誰にも邪魔されず、
自分の感情をそのまま受け止める静けさ。

その静けさの中でようやく、
「今日の私、ちょっと疲れてたね」と
素直に言葉をかけられる。

手帳に「何もしない時間」を書き込む

ITの会社で働いているせいか、
私は日々、効率化やAIという言葉に囲まれている。
便利になることは喜ばしいけれど、
何もかも“自動化”されていく現代に、
少し息苦しさを感じる。

手帳を開く時間だけは、
デジタルの速さから離れて、
人間らしい「間」を取り戻す場所だ。

だから私は、
次の週末のページに「何もしない時間」と書き込んだ。

予定を埋めるのではなく、
あえて“空白”を作る。
この逆転の発想が、
私にとって最大の養生になった。

手帳のその白いスペースは、
“休むことを許可した私”の証。
小さな一行だけれど、
そこから心がほどけていくのを感じた。

休むことは、弱さではなく知恵

「休むこと」は、怠けることではない。
それは、自分を守る知恵だと思う。

休息をとることは、
健康を維持するための立派なセルフケアであり、
体と心を整えるための養生そのもの。

私たちは、誰かのために頑張ることには慣れていても、
自分を守るために立ち止まることには不慣れだ。

けれど、この40代という時期こそ、
自分を労わる練習を始めるタイミングなのだと思う。

次の週末、手帳を開いて、
空白のページに“何もしない時間”と書いてみる。
その小さな文字が、
きっと未来の私を守ってくれる。

今日も、小さな養生を。

Wrote this article この記事を書いた人

ミカ

手帳と暮らすミカです。 薬剤師・和漢薬膳師として、心と体の「めぐり」を見つめながら暮らしています。 40代を迎え、心や体の声に耳を澄ます日々。 手帳を開く時間は、私にとって小さな養生であり、静かな儀式です。 ここでは、ほぼ日手帳に綴る日々の出来事や心の揺れを通して、 「人間らしく生きる」ためのヒントを探しています。

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