
箸を止めた、ある夜の食卓
夕食のあと、娘がふいに言った。
「ねえ、お母さん。もし結婚したいなって思う人ができたら、
“浮気しない?”って聞いていいの?」
その言葉に、思わず箸を止めた。
小学2年生の口から出たとは思えない質問。
胸の奥がざわついた。
どんな世界を、どんな気持ちでその言葉を選んだのだろう。
テレビの影響か、友達との会話か、それとも何かを感じ取ってのことか。
どれもありそうで、どれでもない気もした。
まだ幼いけれど、
“誰かを想う”という気持ちが
少しずつ芽生え始めているのだと感じた。
母として、なんとも言えないドキリとした瞬間だった。
子どもの「心の揺れ」を受け止めるということ
その場を笑って流すこともできた。
けれど私は、
その小さな心の揺れを、きちんと受け止めたいと思った。
だから少し考えてから、こう答えた。
「浮気しないかを聞くよりもね、
その人のことをよく見て、たくさん話して、
一緒にいて安心できるかどうかを大事にしたほうがいいよ。」
娘は真剣な顔でうなずいた。
まだ“恋愛”という言葉すら知らないのに、
その目の奥に、誰かを想うやさしい芽が見えた気がした。
“浮気”という言葉を使うほど、
大人の世界を少しだけ覗こうとしている娘。
けれどその心の奥には、まだまっすぐな純粋さがある。
私は、それを壊したくなかった。
情報の多い時代に、母として伝えたいこと
思い返すと、私が小学生のころの「好き」は、
ただ照れくさくて、嬉しくて、秘密のような感情だった。
でも今の子どもたちは、違う。
テレビ、SNS、YouTube——
あらゆる場所で“大人の事情”を見聞きしてしまう。
情報が多い分だけ、
「恋」や「人間関係」のイメージも早くから形成されていく。
だからこそ、親として伝えたいのは、
“恋をすることの正しさ”ではなく、
“人を思いやる心のあり方”なのだと思う。
好きになることも、信じることも、
誰かと長く関わるというのは、
「約束」ではなく「思いやり」でできている。
そのやわらかい部分を、娘には大切にしてほしい。
そして、自分自身を大切にしてほしい。
手帳に書いた、母の小さな気づき
その夜、私は手帳を開いた。
「娘が“浮気”という言葉を使った。
私は“信頼を育てる”という話をした。」
そうメモして、
ふと気づいた。
娘に話していたつもりが、
実は自分に言い聞かせていたのかもしれない。
人と関係を続けるというのは、
「誓うこと」ではなく「想い合うこと」。
完璧ではなくても、
相手を思い、歩幅を合わせていくことが大切。
娘の質問は、
私自身の“これまでの恋愛観”や“人との向き合い方”まで
静かに映し出していた。
思考が未来をつくる
ページの端に、英語ステッカーを貼った。
We become what we think about.
(私たちは、自分が思うような人間になる)
娘には、まだこの意味はわからないかもしれない。
でも、いつかその言葉を思い出してくれたらと思う。
「誰かを大切にしたい」と思える心が、
その人の未来を形づくる。
そして、母である私も、
こうした小さな出来事に
毎日、考え方を育てられている。
子どもに教えているようで、
いつも教えられているのは私のほうだ。
娘とともに育つ、母の養生日記
いつか娘が大人になったとき、
この夜の会話を覚えているだろうか。
「そんな話したっけ?」と笑うかもしれない。
「お母さん、あのとき真剣だったね」と言うかもしれない。
どちらでもいい。
たとえ忘れてしまっても、
この日のあたたかい空気が、
心のどこかに残っていてくれたらそれで十分。
娘の問いかけが、
母の心を静かに揺らした一日。
その揺れを手帳に書きとめながら、思った。
——親も子も、一緒に育っていくんだな、と。
今日も小さな養生を。
Wrote this article この記事を書いた人
ミカ
手帳と暮らすミカです。 薬剤師・和漢薬膳師として、心と体の「めぐり」を見つめながら暮らしています。 40代を迎え、心や体の声に耳を澄ます日々。 手帳を開く時間は、私にとって小さな養生であり、静かな儀式です。 ここでは、ほぼ日手帳に綴る日々の出来事や心の揺れを通して、 「人間らしく生きる」ためのヒントを探しています。