
チョコが旅立ってから、静かな日が続いている。
あの日から、まだ数日しか経っていないのに、
家の中の空気は、もう別の世界みたいに変わってしまった。
朝、いつものようにキッチンに立つ。
けれど、足元にはもう小さな足音がない。
「おはよう」と声をかけても、
返ってくるのは冷蔵庫の音と、外の鳥の声だけ。
その静けさが、やけに遠くまで響く。
チョコがいない朝に、時間だけが流れていく
少し前まで、
仕事中は私の足元で、チョコは丸くなって眠っていた。
コーヒーを淹れる音に、
片目だけを開けて「まだ寝てていい?」とでも言いたげに見上げてくる。
その仕草を、無意識に探してしまう。
あのふわふわの毛並み、あくびの音、
全部が、数日前まで確かにここにあったのに。
手帳を開いても、
書く言葉が見つからない日がある。
代わりに、小さく“寂しい”とだけ書いて閉じた。
「時間が癒してくれる」と、人は言うけれど
本当にそうだろうか。
時間が癒すというより、
痛みの形が少しずつ変わっていくんだと思う。
最初は、針のように刺さっていた悲しみが、
いつの間にか、柔らかな重みになって胸に沈んでいく。
完全に消えることなんてない。
でも、痛みが“共にある”ことに慣れていく。
その過程を、私は今、生きている。
残された静けさの中で
チョコのいないリビングは、思っていたより広く感じる。
でも、その広さが、
まるで私の心の中の空洞をそのまま映しているようで、
見つめるたびに苦しくなる。
それでも、
陽だまりの位置が変わる午後の時間に、
ふとその場所を見ると、
あの子が今でもそこに座っている気がする。
風がカーテンを揺らす音に、
“ただいま”って言われたような気がして、
涙と一緒に少し笑ってしまった。
時間が解決することも、確かにある
気づけば、7月の風が優しくなっていた。
まだ泣く日もあるけれど、
涙の温度は、6月よりもほんの少しだけあたたかい。
「いなくなった」ことに慣れるのではなく、
「いた」ことを大切にしながら生きていく。
それが、
時間とともに少しずつ形を変えていく愛なんだと思う。
そして、今を生きている
愛犬を失ったことで、
時間というものがいかに静かで、いかに残酷で、
それでもやさしいものなのかを知った。
この心の穴は、
埋めるものではなく、
抱えたまま歩いていくもの。
そして、その穴の中には、
確かにチョコのぬくもりが残っている。
今日も、小さな養生を。
記事がありません
-
朝5分の手帳時間で、心を整える。40代のイライラをほどく小さな習慣
Wrote this article この記事を書いた人
ミカ
手帳と暮らすミカです。 薬剤師・和漢薬膳師として、心と体の「めぐり」を見つめながら暮らしています。 40代を迎え、心や体の声に耳を澄ます日々。 手帳を開く時間は、私にとって小さな養生であり、静かな儀式です。 ここでは、ほぼ日手帳に綴る日々の出来事や心の揺れを通して、 「人間らしく生きる」ためのヒントを探しています。