
否定されるたびに、心が静かに閉じていった
本音を話すことが、いつからこんなに怖くなったんだろう。
きっかけは、たぶん夫との会話だったと思う。
仕事で落ち込んだ日や、子育てで悩んだ日の夜。
「今日は疲れた」と言うと、
「そんなの誰でもあるよ」と、
軽く受け流されることが続いた。
わかってほしいわけじゃなかった。
ただ、聞いてほしかっただけなのに。
その小さなすれ違いが積もっていくうちに、
私はだんだんと、自分の気持ちを話すのをやめてしまった。
それからというもの、心の中にある感情は、
外に出ることを拒まれて、
静かに沈殿していくようになった。
言葉にできなかった思いが、
少しずつ、体の不調や焦りとなって現れていった。
家族にすら話せないという孤独
夫や家族という存在は、本来なら一番安心できる場所のはずだ。
でも、現実には「わかってもらえない」と感じる瞬間が多い。
それは、相手が悪いわけでもない。
ただ、お互いに“違う世界”を見て生きているだけなのだと思う。
家事や子どものこと、仕事のストレス。
それをうまく言葉にできないもどかしさが、
心の中に薄い膜を張る。
「どうせ言ってもわかってもらえない」
そう思うたびに、私は沈黙を選んだ。
話さないことで、自分を守る。
でも、守ることと、閉じこもることは紙一重だ。
誰にも話せない気持ちは、
やがて心の奥にたまって、重たくなっていく。
話せない自分を責めない
昔の私は、
「もっと素直に言葉にできたら、夫婦関係も楽なのに」
と、自分を責めてばかりだった。
けれど、40代になって少しずつわかってきた。
話せないのは弱さじゃなくて、
それだけ“人を信じたかった”証なんだと。
誰かに理解されたいと思うからこそ、
その期待が裏切られた時に、心が深く傷つく。
その痛みをもう味わいたくなくて、
沈黙を選んでしまう人も多いだろう。
私もそのひとりだ。
でも、話せない時間が続いたからこそ、
「自分と向き合う」という静かな力が育っていった気がする。
言えないなら、書けばいい
夫に話せないこと、
友人にも言えないこと、
そのすべてを、私は手帳に書くようになった。
今日の気分、空の色、ささいな愚痴。
誰にも見せる必要のない場所だからこそ、
どんな言葉も自由に綴れる。
書くことで、
「私は今こう感じているんだな」と気づける。
たとえ相手に伝わらなくても、
自分の中では確かに“気持ちが存在していた”と知ることができる。
それは小さな解放だ。
話せないことで凝り固まっていた心が、
少しずつほぐれていくのを感じる。
誰にも話せない夜を抱えて生きるということ
夫との距離、仕事でのストレス、
家庭の中で飲み込んできた言葉たち。
それらは決して“無駄な沈黙”ではない。
話せない夜を抱えながらも、
自分なりに整えていく術を見つけた人は、
きっと誰よりも優しい。
言葉にならない気持ちを、
無理に外へ出そうとしなくてもいい。
ただ、自分が自分を理解してあげること。
それが、これからの「生きる力」になるのだと思う。
たとえ誰にも話せなくても、
書くことで、感じることで、
私はちゃんと“生きている”。
今日も、小さな養生を。
Wrote this article この記事を書いた人
ミカ
手帳と暮らすミカです。 薬剤師・和漢薬膳師として、心と体の「めぐり」を見つめながら暮らしています。 40代を迎え、心や体の声に耳を澄ます日々。 手帳を開く時間は、私にとって小さな養生であり、静かな儀式です。 ここでは、ほぼ日手帳に綴る日々の出来事や心の揺れを通して、 「人間らしく生きる」ためのヒントを探しています。