
夏の終わり、子どもたちの髪を切る日
8月の終わり、子どもたちを連れて美容室へ行った。
「もうすぐ新学期だから、少し短めにお願いします」と頼むと、
二人ともすっきりとした表情になって、鏡の前で少し照れて笑った。
いつのまにか背も伸びて、髪を切るたびにその成長を感じる。
毎日見ているはずなのに、こういう瞬間にふと、
「大きくなったなあ」と胸があたたかくなる。
もうすぐ夏休みも終わる。
朝から蝉が鳴いているけれど、その声にも少しだけ静けさが混じっている。
洗濯物のにおい、風のやわらかさ、雲の流れ。
全部が「季節の区切り」を告げているようだった。
小さなルーティンが、暮らしを支えてくれる
翌日は車の点検の日だった。
前回の車検で思いがけず提案金額が高額になってしまったことを思い出して、
少し不安な気持ちで、いつもより念入りに車を洗った。
「タイヤは新しいし、バッテリーも大丈夫」
そんな小さな確認のひとつひとつが、
暮らしを整える儀式のように感じられた。
特別なことは何もないけれど、
“いつものことを、きちんとこなす”ということ。
それが案外、心の安定を支えてくれる。
日々は波のように過ぎていくけれど、
この小さなルーティンこそ、私たちの生活のリズムなのかもしれない。
家族の時間が、何よりの「癒し」になる
午後、帰宅してからは、子どもたちが並んで宿題をしていた。
「もう夏休み終わるね」と言うと、
「え〜まだ終わらないでほしい!」と笑いながら言う。
そんなやり取りが、どうしようもなく愛おしい。
慌ただしい毎日の中で、こういう何気ない時間が、
いちばん心を落ち着かせてくれる。
家族って、何かをしてあげる存在でも、
完璧でいる必要もない。
ただ、同じ時間をゆっくり過ごすこと。
それだけで、気づかないうちに心が回復していく気がする。
「何も起きない日」を、大切にしたい
以前は、忙しく動いていないと落ち着かない時期があった。
家事に、仕事に、子どもの用事に追われて、
「今日も何もできなかった」と自分を責めていた。
でも今は思う。
“何も起きない日”こそ、暮らしの中でいちばん贅沢な日だと。
何も起きない日には、心がゆっくり呼吸できる。
何も決めず、予定も詰め込まず、
風の音や、子どもの笑い声に耳を傾けるだけでいい。
40代になってから、ようやくその静けさの意味が分かってきた。
“頑張る日”ではなく、“整える日”があること。
それが、私の養生のかたちになっている。
「あたりまえの日常」が、心を育ててくれる
子どもたちが眠った夜、静かなリビングで手帳を開く。
「今日も、特別なことはなかった」と書く。
けれど、その一文には、
日常を生きた証のような安心感が宿っている。
あたりまえの日々が続くこと。
それは奇跡でも、退屈でもなく、
心を穏やかに育ててくれる時間だと思う。
小さな変化を見逃さず、
ささやかな喜びに目を向けること。
その繰り返しが、きっと人生をやわらかくしていく。
忙しさに流されそうな毎日の中でも、
今日という日が静かに過ぎていくことに感謝して。
今日も、小さな養生を。
Wrote this article この記事を書いた人
ミカ
手帳と暮らすミカです。 薬剤師・和漢薬膳師として、心と体の「めぐり」を見つめながら暮らしています。 40代を迎え、心や体の声に耳を澄ます日々。 手帳を開く時間は、私にとって小さな養生であり、静かな儀式です。 ここでは、ほぼ日手帳に綴る日々の出来事や心の揺れを通して、 「人間らしく生きる」ためのヒントを探しています。