
手帳と過ごした、静かな1か月
気づけば、9月も終わり。
いつのまにか、蝉の声は遠ざかり、
朝の空気には少しだけ冷たさが混じるようになった。
この1か月、私は毎日手帳と向き合ってきた。
ほんの数行でも、思いつくままに書く。
自分の気持ちの整理や、
その日感じた小さな違和感を書き留めることで、
心が少しずつ軽くなるのを感じていた。
書くという行為は、
心を整えるための“静かな作業”だと思う。
誰かに見せるわけでもなく、
評価されるものでもない。
それでも、ページに言葉を置いていくことで、
自分の中に溜まっていた濁りが、
少しずつ澄んでいくのを感じる。
弱さを知ることが、整えることにつながる
この1か月、手帳に書くたびに、
自分の弱さに何度も気づかされた。
「今日はやる気が出なかった」
「言葉がうまく出てこなかった」
そんな日も、正直に書いてみる。
すると、不思議と自分を責める気持ちが薄れていく。
弱さを認めることは、
諦めではなく、整えるための第一歩なのかもしれない。
これまでは、“前に進むこと”ばかりを意識していた。
でも、走り続けるだけでは、
いつか息が切れてしまう。
立ち止まって、自分の足跡を見つめ直すことも、
大切な時間だと感じた。
言葉よりも、行動が教えてくれること
このページの上に貼った言葉──
“Action speak louder than words”。
「言葉よりも行動が雄弁だ」という意味だ。
学生のころ、このフレーズを聞いたときは、
「結局、やる人が一番すごい」という意味だと思っていた。
でも、今は少し違って見える。
“行動”とは、派手な挑戦や成果だけじゃない。
今日を丁寧に過ごすこと、
誰かの言葉に耳を傾けること、
そして、自分の心を整えるために
ペンをとることも、立派な行動だと思う。
手帳に書くという“静かな行動”が、
言葉よりも確かに自分を変えてくれている。
それは、誰に見せなくてもいい変化。
けれど、その積み重ねが、
明日の自分を少しずつやわらかくしていく。
手帳は、心の居場所になる
手帳を開く時間は、私にとって「余白」だ。
忙しい毎日の中で、
“何もしない時間”を作ることは意外と難しい。
でも、ページを開いて、
ペン先を紙に走らせると、
頭の中のざわめきが静まっていく。
どんな一日でも、
文字にして残すと「自分の時間だった」と思える。
それが、たとえ落ち込んだ日であっても。
書くことは、過去を記録するためではなく、
今の自分を受け止めるための行為なのかもしれない。
「今日はこんな日だった」と書けるだけで、
心の奥に少し余裕が生まれる。
手帳の中には、弱音も、感謝も、ため息もある。
どれも私の一部であり、
そのままの私を受け入れるための小さな証。
書きながら、自分に「大丈夫」と言っているのかもしれない。
振り返ることで、前を向ける
9月を振り返ってみると、
順調に過ごせたわけではなかった。
体調が揺らいだ日もあれば、
気持ちが沈んでしまった日もある。
それでも、手帳の中には、
小さな頑張りの跡が残っていた。
「今日はよくやった」「ちょっと疲れた」
そんなひとことが、
過去の自分からのエールのように感じられる。
前に進むためには、
ときどき立ち止まる勇気も必要だ。
走り続けるだけでは見えない景色が、
振り返ることで見えてくる。
ページをめくりながら、
「よくやってるよ」と自分に声をかけたくなった。
それだけで、少し肩の力が抜けた。
10月も、静かに続けていく
書くことは、誰かに見せるためのものではなく、
自分のための“養生”だと思う。
季節が変わっても、
心の調子を整える習慣として、
これからも手帳を開き続けていきたい。
完璧じゃなくていい。
書けない日があっても、
手帳を閉じたままの時間があってもいい。
それでもまた、ペンを取るとき、
そこにはちゃんと自分の居場所がある。
9月は、そんな気づきをくれた月だった。
そして10月も、
焦らず、自分のペースで歩いていこうと思う。
今日も小さな養生を。
Wrote this article この記事を書いた人
ミカ
手帳と暮らすミカです。 薬剤師・和漢薬膳師として、心と体の「めぐり」を見つめながら暮らしています。 40代を迎え、心や体の声に耳を澄ます日々。 手帳を開く時間は、私にとって小さな養生であり、静かな儀式です。 ここでは、ほぼ日手帳に綴る日々の出来事や心の揺れを通して、 「人間らしく生きる」ためのヒントを探しています。