現場にいる私には見えているのに──会社の方針とユーザーのズレに感じるモヤモヤ

現場にいる私には見えているのに──会社の方針とユーザーのズレに感じるモヤモヤ

方針が変わるたびに、風向きが読めなくなる

会社の方針というのは、風のようなものだと思う。
穏やかに吹いているときもあれば、突然向きが変わることもある。
今、まさにその“向き”が変わっている最中にいる。

何度も上層部が入れ替わり、方針が見直され、
「今後はこの層をターゲットに」と会議で繰り返し言われる。
理屈は分かる。
数字の上では、確かにその方が利益が出るのかもしれない。

けれど、私はその「ターゲット層」と日々接している。
ユーザーの声を聞き、反応を見て、悩みを拾っているのは私たち現場の人間だ。
その肌感覚で分かる“ずれ”が、最近ますます大きくなっている気がする。

現場と上の意識が、違う方向を向いている

たとえば、会社は「若年層を狙おう」と言う。
でも実際に私たちのサービスを使っているのは、
40代や50代の女性が中心だ。
その層に響いている理由は、価格でも機能でもなく、
“丁寧さ”や“安心感”だったりする。

けれど、会社の方針は“スピード”と“トレンド”に寄っていく。
言葉の上では魅力的だ。
でも、それは今まで信頼を積み重ねてきたユーザーたちの価値観と
真逆の方向でもある。

「現場の意見も取り入れていこう」と言われながら、
実際には私たちの声はどこかで消えていく。
報告書にまとめても、数値に置き換えられる段階で
“都合のいい形”に変わってしまうのを何度も見てきた。

私はいつもその途中にいて、
“わかってもらえないこと”にモヤモヤしている。

正しさよりも、実感を信じたい

仕事をしていると、
「正しい判断」を優先することが当たり前のように言われる。
でも、現場でお客様と接していると、
その“正しさ”が、必ずしも心に届くとは限らないことを痛感する。

数字で表せない感情や、
文章にならないニュアンスの中に、
本当のニーズが隠れていることもある。

けれど、会社の上層部が見ているのはグラフの線と予測の数字。
そこに「現場の温度」は含まれていない。
だから私は、会議で発言するたびに
少しだけ孤独を感じる。

それでも、伝えようとは思う。
伝えなければ、
「何も言わなかった」として処理されてしまうから。

「ユーザーと一番近い場所」にいる責任

私は、自分の仕事を“翻訳者”だと思っている。
ユーザーの声を会社に伝え、
会社の言葉をユーザーに届ける。

けれど、どちらの言葉も完全には一致しない。
その狭間で、どちらかを少し削ったり、
柔らかく包んで伝えたりしながら、
なんとか両者の橋渡しをしている。

時々思う。
この“ズレ”は、どこまで埋められるんだろう。
現場を見ていない人ほど、理想を語る。
一方で、現場にいる私たちは、理想よりも現実の痛みを知っている。

でも、それでもまだ私は、現場の言葉を信じていたい。
数字に表れない声を拾い続けることが、
今の私にできる一番の誠実さだから。

モヤモヤを、無理に消さない

最近になって、少し思うようになった。
このモヤモヤは、消すべきものじゃないのかもしれない。
違和感を感じるということは、
それだけ“現実をちゃんと見ている”ということだから。

会社がどんな方向に進もうと、
私は私の感覚を失いたくない。
「おかしい」と思えるうちは、
まだ、心が鈍っていない証拠だ。

方針に逆らう勇気はなくても、
その違和感を抱えたまま、
目の前のユーザーと誠実に向き合う。
それが、今の私にできる精一杯の抵抗であり、
信念でもある。

そして、そんな一日の終わり。
夫が「これ、美味しそうだったから」と
買ってきてくれたアイス。
名前の通り“牧場ミルク”のやさしい甘さ。
スプーンをひと口入れた瞬間、
体の奥のこわばりが少しゆるむのを感じた。

たぶん、こういう瞬間のために、
私はまだ頑張れているのかもしれない。
仕事の正解は分からなくても、
「美味しい」と笑える自分がいれば、
きっとまだ大丈夫だ。

今日も小さな養生を。

Wrote this article この記事を書いた人

ミカ

手帳と暮らすミカです。 薬剤師・和漢薬膳師として、心と体の「めぐり」を見つめながら暮らしています。 40代を迎え、心や体の声に耳を澄ます日々。 手帳を開く時間は、私にとって小さな養生であり、静かな儀式です。 ここでは、ほぼ日手帳に綴る日々の出来事や心の揺れを通して、 「人間らしく生きる」ためのヒントを探しています。

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