
「伝えているつもり」という落とし穴
「ちゃんと伝えたつもりだったのに」
そう思うことが、最近よくある。
自分の中では丁寧に説明したつもりでも、
相手の反応が想定と違っている。
話がかみ合わない瞬間に、
どこかで小さなズレが生まれていたことに気づく。
“つもり”という言葉は、
実はとても危うい。
「理解しているつもり」
「やっているつもり」
「聞いているつもり」──。
そのどれもが、“自分基準”の中で完結している。
相手がどう受け取っているか、
そこまで想像しない限り、
伝えるという行為は完結しないのだと思う。
伝える努力は、思いやりの延長線にある
言葉を使う仕事をしていると、
「伝える力」を意識せずにはいられない。
でも、それは決してテクニックの話ではない。
相手の立場に立って想像する、
その“ひと手間”の積み重ねが、伝わる言葉をつくる。
たとえば、メールのひと文でも、
相手の時間帯や状況を思い浮かべながら送る。
それだけで、
“急かす言葉”が“寄り添う言葉”に変わることがある。
伝わらなかったときに「相手が悪い」と決めてしまうと、
その瞬間に対話が止まってしまう。
言葉は、受け取る側がいて初めて完成する。
だからこそ、
「どうしたら届くかな」と考えることを諦めたくない。
「相手に伝わらないなら、それはやっていないのと同じ」
これは、最近自分に言い聞かせている言葉だ。
どんなに努力しても、
伝わらなければ、結果的には「伝えていない」のと同じ。
きっと、仕事も人間関係も同じなんだと思う。
“やっているつもり”で止まってしまうと、
相手との距離は少しずつ広がっていく。
伝えることは、思いやること。
「相手にどう届くか」を意識することが、
最も地味で、最も難しいコミュニケーションの形だと思う。
ストレスの正体は、伝わらなかった疲れかもしれない
人とのやりとりが重なると、
心の奥に“うまく届かなかった言葉”が沈殿していく。
その小さな蓄積が、
気づかぬうちにストレスになっていることもある。
最近、私はそんな日ほど、
意識的に“味わう時間”をとるようにしている。
お気に入りのドリンクを買って、
少しゆっくり飲む。
この前飲んだ、ゴンチャのドリンクが本当においしかった。
暑い日にひんやりと甘いものを口にすると、
それだけで体の奥から緊張がほどけていく気がする。
伝わらなかった言葉で凝り固まった心を、
こうして少しずつほぐしていく。
それもまた、自分なりの“養生”なのかもしれない。
伝わらないからこそ、伝え続ける
言葉は不完全だ。
どれだけ丁寧に選んでも、
相手に届くまでに形を変える。
それでも、伝えようとする気持ちがある限り、
人は分かり合うことを諦めない。
「どうせ伝わらない」と投げ出すのではなく、
「どうしたら届くか」を探し続けたい。
たとえ少し遠回りでも、
その姿勢がきっと、
相手の心をやわらかくしていくと思う。
甘いドリンクのように、
ほっと息をつける言葉を。
今日もそんな言葉を探しながら、
小さく、静かに働いていこう。
今日も小さな養生を。
Wrote this article この記事を書いた人
ミカ
手帳と暮らすミカです。 薬剤師・和漢薬膳師として、心と体の「めぐり」を見つめながら暮らしています。 40代を迎え、心や体の声に耳を澄ます日々。 手帳を開く時間は、私にとって小さな養生であり、静かな儀式です。 ここでは、ほぼ日手帳に綴る日々の出来事や心の揺れを通して、 「人間らしく生きる」ためのヒントを探しています。