
大人になっても、映画館は少し特別だ
先日、「鬼滅の刃」を観に行った。
シリーズを通して観てきたけれど、今回も映像の迫力に圧倒された。
涙が出るほど感動して、エンドロールが流れてもしばらく席を立てなかった。
映画を観るたびに思う。
映画館という場所は、大人になっても、どこか特別な時間が流れている。
現実の世界から少し離れた暗闇の中で、
隣の人と同じ光を見つめる。
それだけの行為なのに、
心が静かに満たされていく。
そして私はふと、
あの頃の自分を思い出す。
まだ中学生だった私と夫の、
“はじめての映画デート”のことを。
はじめて“隣に座った”日のこと
同じクラスだったけれど、
お互いあまり話すことができなかった。
目が合うと恥ずかしくて、
すぐにそらしてしまうような関係。
そんな私たちが、
ある日、映画を観に行くことになった。
観たのは、1998年の『踊る大捜査線 THE MOVIE』。
公開されたのは10月の終わり頃。
だから、きっと観に行ったのはその年の11月の日曜日だったと思う。
外の空気は少し冷たくて、
駅前の木々が風に揺れていた。
吐く息が白くなるのを見ながら、
映画館の入り口に向かったのを、今でも覚えている。
映画どころじゃなかった2時間
上映が始まり、館内の照明が落ちた瞬間、
心臓が大きく跳ねた。
鼓動の音が響いている気がして、
できるだけ息をひそめた。
スクリーンの光が頬を照らすたび、
隣の彼の横顔が少し見えた。
肘が触れそうで、触れない。
その数センチの距離が、
どうしようもなく遠くて、
そして近かった。
映画の内容はほとんど覚えていない。
ただ、二時間という時間のすべてを、
“隣にいる”という事実の中で過ごしていた。
二人で過ごした“沈黙”の時間
エンドロールが流れ、照明が戻ったとき、
一気に現実が戻ってきた。
けれど、どこか夢の中にいるような気分だった。
帰り道、駐輪場まで歩くあいだも、
ほとんど話さなかった。
けれど、その沈黙は居心地が悪くなく、
むしろあたたかかった。
あの日の空気の匂い、
映画館の暗さ、
そしてあの静かな高鳴り。
それらすべてが、
今も心の奥に残っている。
今、もう一度映画館に座って思うこと
あれから27年が過ぎた。
今では、私たちは夫婦となり、
子どもと一緒にアニメ映画を観に行く。
映画館では、
チケットをスマホで見せて、
ポップコーンの味を相談して、
座席を確認して──
そんな慌ただしいやりとりが日常になった。
けれど、照明が落ちて、
スクリーンが光を放つ瞬間、
あの頃のように心が少しだけ高鳴る。
中学生の頃と違うのは、
その隣に座る人が、
今も変わらず、同じ人だということ。
映画館の静けさは、
あの頃の自分たちを思い出させてくれる。
少し背伸びした気持ちと、
誰かと時間を共有するという奇跡を。
あのときの鼓動は、今も胸の奥に
映画を観終わった帰り道、
日が暮れた街の明かりが滲んで見えた。
まだまだ暑い夏が続く。
あのときの鼓動は、
もう聞こえないけれど、
ちゃんと私の中に生きている。
そして今日もまた、
スクリーンの前で静かに息を整えながら、
誰かと同じ時間を生きている。
今日も小さな養生を。
Wrote this article この記事を書いた人
ミカ
手帳と暮らすミカです。 薬剤師・和漢薬膳師として、心と体の「めぐり」を見つめながら暮らしています。 40代を迎え、心や体の声に耳を澄ます日々。 手帳を開く時間は、私にとって小さな養生であり、静かな儀式です。 ここでは、ほぼ日手帳に綴る日々の出来事や心の揺れを通して、 「人間らしく生きる」ためのヒントを探しています。