
朝、まだ空気がひんやりとしている時間に、父から電話がかかってきた。
「ちょっと、スマホがうまくいかなくてさ。見てくれないか?」
声のトーンからして、けっこう困っている様子だった。
実家までは車で5分。
近いようでいて、こうして“呼び出される”のは久しぶりだ。
普段は買い物のついでに立ち寄ったり、子どもたちの顔を見せに寄ったり。
でもこの日は、明確に「助けてほしい」と呼ばれた。
それだけで、少しだけ役に立てる気がして、胸の奥があたたかくなる。
新しいスマホと、取り残される不安
玄関を開けると、テーブルの上には新品のスマートフォンと、
開封したばかりの説明書が広がっていた。
「設定の説明が全部ネットなんだな。紙の説明書、ほとんどないんだよ」と父がぼやく。
以前はパソコンを自由自在に操り、
ワードやエクセルを私より早く使いこなしていた人。
そんな父が、いまや「アプリってどう入れるんだ?」と私に尋ねる。
世の中が変わるスピードは、本当に容赦がない。
紙の地図がスマホに変わり、
銀行も病院もアプリで予約する時代。
70近い父には、もうそれだけで別世界のようだろう。
私は横で設定を進めながら、ふと昔の記憶を思い出していた。
初めてパソコンを買った頃、
分厚いマニュアルを広げて父が夜な夜な格闘していた姿。
あの背中を「かっこいい」と思っていた自分が、
今は逆の立場に立っている。
立場が入れ替わる瞬間
「Wi-Fiのパスワードはこれで合ってる?」
「LINEはこうやって登録するの?」
父の質問に答えながら、
自然と手が動く自分に気づく。
ほんの十数年の間に、
“教えられる側”から“教える側”へと
静かにバトンが渡されていた。
不思議なものだ。
成長というのは、
誰かの“できなくなったこと”と
背中合わせで起こるものなのかもしれない。
父の眉間に刻まれたしわが、
少しずつ深くなっている。
けれど、その手つきは昔と同じ——
慎重で、几帳面で、どこか優しい。
設定が無事終わると、父は
「いやあ、助かった。お礼に飯でも行くか」
と笑った。
久しぶりのファミレス
母も誘って、子どもたちと一緒にファミレスへ向かった。
6人掛けのテーブルに、3世代が並ぶ。
メニューを開く父の指が、まだ少しぎこちない。
「子供たちはハンバーグでいいか」と言うその声が、
少し照れくさそうで、なんだか懐かしい。
私はからあげ定食、子どもたちはチーズハンバーグ。
湯気の立つ皿を前に、笑い声がこぼれる。
「最近は外食も高くなったなあ」
と父がぼやきながらも、
「まあ、たまにはいいか」と目を細める。
こうしてみんなで食卓を囲むのは、
いつ以来だろう。
スマホ設定のために呼び出された朝が、
思いがけず、家族の小さな団欒を連れてきた。
時代の速さと、置き去りにされた気持ち
食後のコーヒーを飲みながら、
父がぽつりと言った。
「昔はお父さんの方がパソコン得意だったんだよなぁ。
いつの間にか、ミカのほうが詳しくなったなぁ。。。」
私は笑いながら、「そうだね」とだけ答えた。
本当は、その言葉の奥に
“時代に追われる寂しさ”が滲んでいるのを感じていた。
時代が進むたびに、
誰かが置いていかれる。
でも、置いていかれた人を助ける側にも、
いつか同じ瞬間がやってくる。
そう考えると、
このランチの時間が、
ひとつの“世代交代の儀式”のようにも思えた。
AIを扱う私が感じたこと
帰りの車の中で、子どもたちが後ろで話していた。
「じいじ、スマホでやっとゲームできるようになったね」
「いままでのスマホじゃ、ツムツムもできないよ~」
その言葉に、少しだけ苦笑した。
私はAIに言葉を教える仕事をしている。
人の意図を読み取り、
自然な文章を作るためのプロンプトを考える。
便利で、未来的で、どこか無機質な世界。
父がスマホの設定に戸惑う姿を見て、
私は少しだけ安心していた。
“人がつまずく余白”が、
まだこの時代には残っているのだと思えたから。
AIがいくら進化しても、
機械が人の代わりに感じることはできない。
誰かの手をわずかに借りながら、
小さな成功を積み重ねていく——
そこにこそ、
人が人らしくいられる温度があるのかもしれない。
時代を追うこと、追われること
父が時代を追いかけているように見えて、
私もまた、別の時代に追われている。
仕事でも生活でも、
次の技術、次の変化が息をつく間もなくやってくる。
けれど、
「助けてくれ」と呼ばれるうちは、
まだどこかに人のつながりが残っている気がする。
その小さな“呼び出し”が、
私たちの関係を、確かに結び直してくれる。
夕方、家に戻る頃には、
すっかり陽が傾いていた。
後部座席で眠る子どもたちの寝顔を見ながら、
私は思う。
いつか、私も誰かに
スマホの設定を頼む日がくるのだろう。
そのとき、
「ありがとう」と笑える自分でいたい。
今日も小さな養生を。
Wrote this article この記事を書いた人
ミカ
手帳と暮らすミカです。 薬剤師・和漢薬膳師として、心と体の「めぐり」を見つめながら暮らしています。 40代を迎え、心や体の声に耳を澄ます日々。 手帳を開く時間は、私にとって小さな養生であり、静かな儀式です。 ここでは、ほぼ日手帳に綴る日々の出来事や心の揺れを通して、 「人間らしく生きる」ためのヒントを探しています。