
秋の朝。
少し肌寒い風が吹き抜ける中、町内放送のスピーカーから「これより地域運動会を開催します」という声が流れた。
グラウンドには、ジャージ姿の大人たちが集まっている。
子どもの運動会ではなく、大人が主役の地域イベント。
年に一度のこの日を、私は毎年ちょっと楽しみにしている。
秋の空の下、久しぶりに体を動かす
「今年は綱引きと長縄跳びに出てくれない?」と、役員さんに声をかけられたのは数日前。
正直、運動なんてもうずいぶんしていなかったけれど、少しワクワクしている自分がいた。
久しぶりに履いたスニーカー。
体が重く感じるのに、気持ちは妙に軽い。
開会式のあと、体操の音楽が流れる。
みんなで手を上げ、伸びをして、笑いながら声を合わせる。
その光景だけで、胸の奥がじんわりと温まっていく。
笑い声が生む、一体感というぬくもり
最初の競技は綱引きだった。
ロープを握り、声を合わせて引く。
「せーの!」という掛け声が風に混じり、土の匂いが立ちのぼる。
力を入れるたびに、横の人の息づかいが伝わる。
負けても、勝っても、笑い声が広がる。
その笑いが、誰かの肩を軽く叩いていくように響く。
AIの仕事をしていると、こういう“息の合う感覚”を忘れそうになる。
オンライン会議も、チャットも便利だけど、
誰かと同じリズムで動く時間には、言葉を超えたつながりがある。
デジタルの時代に、あえてアナログな場所に身を置く
私は普段、AIに言葉を教える仕事をしている。
プロンプトを練りながら、精度や効率を追い求める毎日だ。
だからこそ、こういう“人の声が重なる場所”に来ると、
デジタルでは得られない温かさを強く感じる。
グラウンドの端では、近所のおばあちゃんが応援している。
「〇〇ちゃん、頑張れ〜!」
小さな声なのに、不思議と力が湧いてくる。
その声には、AIには絶対に出せない“想い”が宿っている。
動くことで、心がほぐれる
次は長縄跳び。
久しぶりに跳ぶ縄は、少し怖くて、少し楽しい。
「いくよー!」「せーの!」と声を合わせ、失敗しても大笑い。
その瞬間、自分が“チームの一員”になっていることを感じた。
汗をかきながら笑う——
ただそれだけで、胸の奥にこびりついたモヤモヤが
少しずつ溶けていく。
ここ数年、在宅勤務が増えて体を動かす機会が減っていた。
AIの文章を整える日々は、頭を使うけれど、
心と体が置き去りになることも多い。
体を動かすことで、ようやく“生きている感覚”が戻ってくる。
それはストレス発散だけじゃなく、
心の調子を整えるための小さな“養生”なのだと思う。
AIには描けない、人のにおいと空気
午後、玉入れが始まった。
青空に舞う赤い玉。
それを見上げながら、ふと思う。
AIがいくら進化しても、
この瞬間の“空気”までは再現できない。
人が笑い、汗をかき、風に髪をなびかせる。
その一つひとつが、かけがえのないデータにならない時間。
AIは「最適化」はできても、「温度」は持てない。
でも、人は違う。
手を取り合い、声をかけ合うだけで、
世界が少し明るくなる。
私はこの“温度”を忘れないように、
デジタルの世界で言葉を紡ぎたいと思った。
また来年も、この場所で
すべての競技が終わり、
帰り際に「お疲れさま!」と声をかけられた。
手を振り返す瞬間、
なんだか名残惜しくて、胸があたたかい。
人と笑い合うだけで、
気づかないうちに心の奥の疲れがほぐれていた。
AIの仕事に戻る明日、
今日のこの空気を思い出しながら、
もう少し優しい気持ちで言葉を選びたい。
秋の夕暮れ。
少し汗ばんだ手のひらに残る、
人とつながった温度が心地いい。
今日も小さな養生を。
Wrote this article この記事を書いた人
ミカ
手帳と暮らすミカです。 薬剤師・和漢薬膳師として、心と体の「めぐり」を見つめながら暮らしています。 40代を迎え、心や体の声に耳を澄ます日々。 手帳を開く時間は、私にとって小さな養生であり、静かな儀式です。 ここでは、ほぼ日手帳に綴る日々の出来事や心の揺れを通して、 「人間らしく生きる」ためのヒントを探しています。