ホルモンバランスの波にゆらぐ日々|40代の体と上手につき合うために

ホルモンバランスの波にゆらぐ日々|40代の体と上手につき合うために

生理が終わって数日。
体が軽くなるはずのタイミングで、
決まって頭痛がやってくる。

薬を飲んでも、なかなか良くならない。
首の後ろが重くなり、
パソコンの画面を見るのもしんどくなる。

秋の朝、やさしい光の中で

秋の朝の光は、どこか柔らかい。
カーテンの隙間から差し込む陽ざしが、
まだ冷たい空気をほんの少しあたためてくれる。

そんな穏やかな朝でも、
頭の奥がズキズキして、
起き上がるのに少し勇気がいる日がある。

窓の外の世界は軽やかなのに、
自分の体だけが少し遅れて動いているような。
この微妙なズレが、40代になってから増えた気がする。

体のリズムに合わせて生きることの難しさ

「きっとホルモンバランスのせいだろうな」と思う。
実際、生理後に頭痛が起こる人は少なくないらしい。
ホルモンの波が落ち着くタイミングで、
体が“リセット”に入るサインなのかもしれない。

それでも、仕事を休むわけにはいかない。
在宅勤務だからこそ、
ベッドの横にノートパソコンを置き、
画面に向かってしまう自分がいる。

「無理をしないこと」が一番難しい。
それが、40代の現実だ。

若い頃は多少の不調なんて気合で乗り切れた。
でも今は、体が正直にブレーキをかけてくる。
「今日はゆっくりして」と言わんばかりに。

休むことへの小さな罪悪感

頭痛が続くと、集中力が落ちてミスも増える。
焦ってはまた落ち込む、の繰り返し。
“ちゃんとやらなきゃ”という気持ちが、
自分をさらに苦しめていく。

薬を飲み、カフェインで誤魔化しても、
痛みが完全には消えない日。
そんな日は、
「今日は休んで」と体が伝えているのだとわかっている。

それでも、
“動けるのに休む”ことに
罪悪感がつきまとう。

無理をしないという選択を、練習していく

無理をしないって、
ただ休むことじゃない。
“今日はできない”を受け入れる勇気。
それが、この年代になって
いちばん身につけたい力だと思う。

仕事も家事も完璧じゃなくていい。
夕飯を少し手抜きにしたり、
洗濯を翌日に回したり。
そんな些細な“ゆるめる”行動が、
体を守ってくれる日もある。

ゆっくり過ごす、私なりの養生

頭痛が出た日は、
無理に仕事を詰め込まないようにしている。
メールチェックを後回しにして、
お湯を沸かし、白湯をゆっくり飲む。

温かいものを喉に通すと、
体の内側がほぐれていくのがわかる。
それだけで少し救われるような気がする。

「今日は何もしない日」と
手帳に書くこともある。
できなかったことではなく、
“休めたこと”を記録する。
それが、私にとっての小さな整え方だ。

若い頃には気づけなかったこと

思えば、20代の頃は、
「体調が悪い」と言うのが少し恥ずかしかった。
頑張るのが当たり前で、
弱音を吐くことは“甘え”のように感じていた。

でも今は違う。
言葉にして伝えることで、
初めて自分を大切にできるとわかってきた。

「今日は頭が痛いから無理しないね」と
家族に素直に言えるようになったのも、
ようやく最近のことだ。

弱さを隠すより、
受け入れるほうがずっと強い。
この年齢になってようやく、
それが少しだけわかってきた気がする。

私の中の“整えるスイッチ”

そんな日の午後。
お気に入りのマグカップでカフェラテを淹れた。
泡立てたミルクを見つめながら、
ふっと息がゆるむ。

薬では治らない痛みを、
少し軽くしてくれるのは、
こうした小さな“自分をいたわる行為”なのかもしれない。

好きな香りのハンドクリームを塗って、
深呼吸をひとつ。
それだけで、頭の奥の重たさが
ほんの少し遠のく瞬間がある。

波に逆らわず、ゆらぎと仲良く

ホルモンバランスの波は、
止めようとしても止まらない。
だからこそ、抗わずに流れに任せてみる。

体調の悪い日は、
「何もしない日」ではなく、
「整える日」だと思うようにしている。

その意識だけで、
焦りがやわらぎ、呼吸が深くなる。
ゆらぎを受け入れることで、
少しずつ“自分らしいペース”を
取り戻せるのかもしれない。

「無理をしない」ことは、私にとっての養生

健康とは、
いつも元気でいることではない。
ちゃんと休めること。
立ち止まること。
そして、体の声を無視しないこと。

それを学んでいくのが、
この“ゆらぎ世代”のテーマなのだと思う。

体が出す小さなサインを、
ちゃんと受け止めてあげられるように。
今日も、焦らず、静かに暮らしていこう。

今日も小さな養生を。

Wrote this article この記事を書いた人

ミカ

手帳と暮らすミカです。 薬剤師・和漢薬膳師として、心と体の「めぐり」を見つめながら暮らしています。 40代を迎え、心や体の声に耳を澄ます日々。 手帳を開く時間は、私にとって小さな養生であり、静かな儀式です。 ここでは、ほぼ日手帳に綴る日々の出来事や心の揺れを通して、 「人間らしく生きる」ためのヒントを探しています。

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