
最近、back numberの「ブルーアンバー」という曲をよく聴く。
何度聴いても胸がじんとする。
歌詞の一つひとつが、
心の奥に置き忘れていた感情を
そっと照らしてくれるような気がするのだ。
誰かの痛みを想像できる言葉。
誰かの孤独を包むようなフレーズ。
それは、効率でも正確さでもない、
“人の心で書かれた言葉”だと思う。
感情を言葉にすることの難しさ
仕事では、ビジネス文書やプロンプトの作成が多い。
どうしても論理的で、簡潔で、感情を排した言葉を使う。
それが正しい世界で生きていると、
ふと「気持ちを表す語彙」が鈍っていくのを感じる。
たとえば、
「悲しい」と書く代わりに「残念です」と置き換えるような、
少しだけ角の取れた表現。
そうしているうちに、自分の中の“本当の気持ち”も
ぼやけていく気がする。
効率的で、正しい言葉は、
人を動かす力がある。
でも、心を動かすのは、
少し不器用で温度のある言葉なのかもしれない。
デジタルの中で、失われていく“体温”
AIの進化や、
テンプレート化された言葉があふれるこの時代。
どんな文章も、
整っていて、正確で、すぐに答えが出てくる。
でもその一方で、
人の“感情”が削ぎ落とされていく気がする。
「あなたの考えを言葉にしてください」とAIに伝えると、
それらしい文章を出してくれる。
けれど、
心が震える言葉は、
きっと“人が感じた痛み”の中からしか生まれない。
人間は、感情があるからこそ、
言葉に時間がかかる。
でもその“もどかしさ”こそ、
人間らしさの証なのだと思う。
感じることを、恐れない
忙しい日々の中で、
感情を整理する暇もなく、
ニュースやSNSの言葉に追われていく。
「ちゃんと感じる」ことを置き去りにして、
「早く理解する」ことばかりが求められる。
けれど、
言葉を生み出す力は、
感じる力と深くつながっている。
喜びや悲しみ、
小さな違和感や温もり。
そういう心の揺れが、
新しい言葉の種になる。
だから、
感じることを“非効率”と思わず、
ちゃんと立ち止まって受け止めたい。
言葉の奥にあるもの
言葉の上手さよりも、
そこに込められた“心の温度”が人を動かす。
誰かを想う気持ちや、
過去の痛みを抱えたまま紡ぐ一文には、
伝わらないはずの想いが、
確かに届く瞬間がある。
たとえば、
手紙を受け取ったときのような、
メールにはない温度。
声のトーンや、沈黙の呼吸までは、
AIには再現できない。
だからこそ、
人が言葉を使う意味が、まだここにある。
感情と言葉のあいだにある余白
最近、自分の中で意識しているのは、
“書かない勇気”を持つこと。
説明しすぎず、
言葉と感情のあいだに余白を残す。
そこに、
読む人の心が静かに入り込む場所が生まれる。
手帳に書く一文も、
短くてもいい。
たとえば——
「今日は心が少し疲れている」
「夕焼けがきれいだった」
その程度の言葉でも、
後から読み返すと、
確かに“あの日の私”が生きている。
失いたくない、心のあたたかい部分
最近は、
ビジネス書やデータ分析の資料ばかりを読んでいて、
情緒的な言葉から遠ざかっていた。
けれど、
back numberの歌詞を聴いたとき、
思い出したのだ。
「人間の心って、こんなにも繊細で、
言葉にできないものを抱えているんだ」と。
だから、
たとえAIの世界で働いていても、
感情を持つ自分を閉じ込めたくない。
数字や結果の先にある、
人の呼吸や想いを感じながら言葉を選びたい。
“感じる力”を持ち続ける
語彙力を鍛えることも大事。
けれど、
もっと大切なのは、
自分の感情をちゃんと受け止める力だと思う。
正確さよりも、誠実さ。
効率よりも、温度。
それを見失わずに、
これからも言葉と向き合っていきたい。
誰かの心に届く言葉は、
いつだって人のぬくもりから生まれている。
今日も小さな養生を。
Wrote this article この記事を書いた人
ミカ
手帳と暮らすミカです。 薬剤師・和漢薬膳師として、心と体の「めぐり」を見つめながら暮らしています。 40代を迎え、心や体の声に耳を澄ます日々。 手帳を開く時間は、私にとって小さな養生であり、静かな儀式です。 ここでは、ほぼ日手帳に綴る日々の出来事や心の揺れを通して、 「人間らしく生きる」ためのヒントを探しています。