社長という肩書きの裏側で|働く私が感じた“信頼”のかたち

社長という肩書きの裏側で|働く私が感じた“信頼”のかたち

肩書きでは測れない「すごい人」の正体

「社長」と聞くと、どこか遠い存在のように思っていた。
人を動かし、会社を引っ張っていく人。
決断力があり、どんな困難にも動じない──そんな理想像を頭の中に描いていた。

けれど、実際に働く中で見えてきたのは、少し違う現実だった。
会社を動かしているのは、社長ひとりではない。
その周りで動いている無数の人の想い、
そして支え合いの積み重ねがあってこそ、組織は回っていく。

むしろ、ひとりのカリスマで成り立つ会社は、いつか限界を迎えるのかもしれない。
そう感じたのは、日々の業務の中で「誰が一番えらいか」ではなく、
「誰が一番“人を見ているか”」で会社の空気が変わる瞬間を見てきたからだ。

経営の“現場感”は意外と泥くさい

私が所属する部署でも、上からの指示がすべてうまく回るわけではない。
方針が変わるたびに混乱し、現場との温度差が生まれる。
それでも、誰かが現場の声を拾い上げ、
丁寧に橋渡しをしてくれるとき、少しずつ空気が整っていく。

「経営」って、上から見下ろすことではなく、
足元を見つめながら前へ進む作業なのだと思う。
数字や戦略を語るより前に、
“人”という現実と向き合わなければ、会社は動かない。

華やかな肩書きの裏で、
迷い、悩み、誰よりも人間らしく揺れている姿。
それが本当のリーダーシップの形かもしれない。

信頼とは「見ようとする姿勢」

信頼とは、結果で得られるものではなく、
日々の小さな「見ようとする姿勢」から生まれる。

忙しい中で社員の声に耳を傾ける人。
誰かの失敗を一緒に引き受ける人。
そういう人の言葉には、重みがある。

逆に、肩書きだけを頼りに人を動かそうとすると、
一時的には成果が出ても、心は離れていく。
人は“わかってくれている”という安心感の中でしか、本当の力を出せない。

だからこそ、上に立つ人ほど「見る目」を育てなければならないのだと思う。
人を見ること。
その人の背景や、言葉にならない気持ちに目を向けること。
それが、信頼という見えない土台を築いていく。

「信頼を託される」という重さ

経営者というのは、法律上「信任受任者」と呼ばれる立場にある。
つまり、“信頼を預かる人”。
数字や肩書きよりも、その言葉の方がずっと重い。

信頼を受けたということは、
誰かの想いを背負って進むということ。
その重さを忘れた瞬間、経営は形だけのものになってしまう。

現場にいる私たちも同じだ。
小さな仕事の一つひとつが、
誰かからの信頼の延長線上にある。
「任されたからやる」ではなく、「託されたから応える」。
そう思えるようになってから、働く意味が少し変わった。

会社とは“人のつながり”の器

どんなに立派な経営理念を掲げても、
そこに人の温度がなければ、会社はただの箱になってしまう。

一方で、人と人との関係がしっかりしていれば、
少しくらいのトラブルや方向転換があっても、また立て直せる。
それが、組織の「しなやかさ」だと思う。

信頼がある職場は、会話が減らない。
相談できる空気があり、冗談を言える余裕がある。
そういう小さな日常こそが、
会社という大きな生き物を支えているのかもしれない。

私が見たいのは「役職」ではなく「人」

社長という肩書きは、
確かに責任と決断の象徴ではある。
でも、私が見たいのはその人の肩書きではなく、
どんな目で現場を見ているかということ。

誰かの言葉をどう受け止め、
どんな迷いを抱えて進んでいるのか。
そこにこそ、“人としての信頼”が宿る。

仕事をしていると、つい効率や成果ばかりを追ってしまうけれど、
本当に大切なのは「見ようとする誠実さ」なのだと思う。
その視点を忘れなければ、どんな立場でも働く意味を見失わない。

“信頼で動く”会社でありたい

AIが進化し、効率化が進む時代。
それでも、最後に人を動かすのはやっぱり“信頼”だと思う。

人の心を無視して走る組織は、一時的に伸びても長くは続かない。
逆に、信頼を積み重ねてきた会社は、
どんな変化にも折れずに進んでいける。

肩書きではなく、人を見て動くこと。
それは一見遠回りのようでいて、
一番確かな経営の力になるのかもしれない。

今日も小さな養生を。

Wrote this article この記事を書いた人

ミカ

手帳と暮らすミカです。 薬剤師・和漢薬膳師として、心と体の「めぐり」を見つめながら暮らしています。 40代を迎え、心や体の声に耳を澄ます日々。 手帳を開く時間は、私にとって小さな養生であり、静かな儀式です。 ここでは、ほぼ日手帳に綴る日々の出来事や心の揺れを通して、 「人間らしく生きる」ためのヒントを探しています。

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