40代からの「言葉の養生」相手の心に届く、情報のゴミにならないための言葉選び

40代からの「言葉の養生」相手の心に届く、情報のゴミにならないための言葉選び

夕方のオンライン会議が終わると、
どっと疲れが押し寄せる。
画面越しの会話は便利だけれど、
人の表情や温度を読み取るのが難しい。

発した言葉が、
相手にどんな風に届いたのかも、正直よくわからない。
それでも毎日、たくさんの言葉を使って、
仕事をまわしていく。

40代になってから、
この「伝わっているのか」という感覚に
少しずつ敏感になった。

自分が知っていることを伝えることよりも、
“どう伝えるか”のほうがずっと難しい。

難しいことを、難しいまま話してしまうとき

私はITの世界で働いている。
専門用語も横文字も、
日常の会話に自然に入り込んでくる。

同僚と話すときには通じるその言葉も、
家族や友人に向けると、
どこか温度の違いを感じる。

便利で正確な言葉ほど、
人の心からは少し離れてしまうのかもしれない。

言葉が届かない瞬間、
まるで大切なメッセージが
“情報のゴミ”に紛れて消えていくような感覚になる。

どれだけ知識があっても、
相手に届かなければ、それはただの独り言。
そう思うと、少し怖くなる。

「伝わる言葉」は、優しさと想像力でできている

先日、ほぼ日手帳に書いた一文がある。
「専門的なことを、誰にでも伝わるように話せる人こそ本当のプロだと思う」

難しいことを、難しいまま話すのは簡単だ。
でもそれでは、相手の心には残らない。

大切なのは、「どう伝えたら伝わるか」と考える時間。
それは、相手への思いやりそのものだと思う。

「この人にも分かってほしい」
「安心して受け取ってほしい」
そう願いながら言葉を選ぶと、
自然と表現はやわらかくなる。

優しさを含んだ言葉は、
静かに、でも確かに相手の心に残る。

言葉とは、本来“渡すもの”なのだ。
押しつけるでも、飾るでもなく、
相手の手にそっと置いていくような。

伝えることで、自分も整っていく

40代になって、私は「聞く側」から「伝える側」へと立場が変わった。
職場では後輩に、家では子どもたちに、
言葉で何かを伝える機会が増えた。

そして気づく。
伝えるという行為は、
相手のためであると同時に、
自分を整える行為でもあるのだと。

強い言葉をぶつけた日は、
自分の中にも不安や苛立ちが残る。
やわらかい言葉を選べた日は、
心の奥に静かな余白が生まれる。

「言葉の養生」とは、
人との関係を整えることだけではなく、
自分自身の心をすこしずつ整えること。

伝える努力を通して、
自分の中の滞った感情にも気づける。
その作業は、まるで
深呼吸を繰り返すような静かな儀式に近い。

情報が溢れる今だからこそ、「余白を作る言葉」を

スマホを開けば、
世界中の情報が一瞬で届く時代。
誰もが何かを発信し、
言葉が洪水のように流れていく。

だからこそ、
“静かな言葉”が持つ力を信じていたい。

誰かを動かすのは、
派手なフレーズではなく、
心の奥に残るたった一行だったりする。

私も、そんな言葉を選びたい。
人を急かすのではなく、
ふっと立ち止まらせるような言葉を。

40代という今、
自分の体を整えるように、
自分の言葉も丁寧に扱っていきたいと思う。

正しさよりも、温度を。
速さよりも、余白を。

誰かの心に静かに響く言葉を、
今日も手帳の片隅で探している。

今日も、小さな養生を。

Wrote this article この記事を書いた人

ミカ

手帳と暮らすミカです。 薬剤師・和漢薬膳師として、心と体の「めぐり」を見つめながら暮らしています。 40代を迎え、心や体の声に耳を澄ます日々。 手帳を開く時間は、私にとって小さな養生であり、静かな儀式です。 ここでは、ほぼ日手帳に綴る日々の出来事や心の揺れを通して、 「人間らしく生きる」ためのヒントを探しています。

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