夫との距離が近いようで遠い日|20年目の私たちに思うこと

夫との距離が近いようで遠い日|20年目の私たちに思うこと

20年目の夜、牛タン懐石へ

20年という数字を、私はまだ上手に口にできない。
あまりにも長くて、でも気づけばあっという間で、どこか現実味がない。

その日、家族4人で牛タン懐石を食べに出かけた。
息子と娘は、久しぶりの牛タンに少し浮き足立っていた。
夫は運転席で、相変わらず淡々とハンドルを握っている。

牛タンは、私の思い出の味だ。
大学時代を過ごした仙台で、初めて本格的に食べたあの香ばしい匂い。
やわらかな肉のうまみを噛みしめると、若かった頃の空気が一瞬、胸の奥に蘇る。

テーブルの上では、子どもたちが楽しそうに話している。
息子は「やっぱり塩がいちばん!」と言い、娘は「たれのほうがすき」と譲らない。
その無邪気なやり取りに、思わず笑みがこぼれた。
だけど、夫と目が合った瞬間、空気が少しだけ固くなる。

懐かしい味の向こうに、私たちの20年が静かに重なっていた。

夫との距離、甘さと苦さのあいだ

夫とは、長く一緒にいすぎたのかもしれない。
「嫌い」ではない。
でも、どうしても「苦手」なのだ。

夫は昔から、すべてを支配したいタイプだった。
私の時間も考えも、自分の都合の中に組み込みたがる。
何かを相談しても、最初に返ってくるのは否定の言葉。
話を聞いてほしいだけなのに、気づけば説教になっている。

「違うだろ」「そうじゃない」
そんな言葉が積み重なるたびに、私は少しずつ黙るようになった。
沈黙は、いつの間にか私の防御になっていた。

食卓でも、子どもたちの声に混じって、ふと沈黙が落ちる瞬間がある。
夫が箸を置く音、私がグラスを持ち上げる音。
何気ない音が、なぜか遠く感じられる。

あの夏の花火と、背中のぬくもり

それでも、私はときどき昔の夫を思い出す。
まだ高校生だった頃の、花火大会の夜。

浴衣の下駄の鼻緒が切れて、歩けなくなった私を、
彼は無言で背負って帰ってくれた。
夜風の中、彼の背中はあたたかくて、
街灯の光が遠ざかるたびに、胸の奥がくすぐったかった。

あの夜の背中の感触は、今でも忘れられない。
優しさというのは、あの頃のように一瞬に宿るものなのかもしれない。
長い年月を重ねるうちに、
その優しさはどこかに隠れてしまったけれど、
確かに、あの人はあの時、とても優しかった。

期待しないことで、守れる心

結婚してからの年月は、穏やかな日よりも嵐のような日が多かった。
何度も裏切られ、泣き、傷ついて、
そのたびに「もうやめよう」と思った。

けれど、なぜか終わらせることはできなかった。
家族という形にすがっていたのかもしれない。
あるいは、情という見えない糸が、まだ私をつないでいたのかもしれない。

やがて私は気づいた。
期待するから苦しくなるのだと。
「きっと分かってくれる」「変わってくれる」
そんな淡い希望を抱くたびに、
その希望ごと裏切られる痛みを味わってきた。

だから、もう期待しないことにした。
期待しなければ、傷つかずにすむ。
それは少し悲しいけれど、心を守るためには必要な距離だと思っている。

それでも家族でいるということ

牛タンのあと、近くのケーキ屋に寄った。
息子とおそろいで、生チョコケーキを選んだ。
濃厚で、舌の上でゆっくりと溶けていく甘さ。
けれど、私たち夫婦の関係は、甘くなくて、どちらかといえば苦い。

家に帰ると、子どもたちはケーキを嬉しそうに食べていた。
笑い声が部屋に響く。
その音が、夫との沈黙をやわらげてくれる。
この子たちがいるから、
私たちは家族として、まだ一緒にいられるのだと思う。

たぶん、私たちは「夫婦」である前に、
「子どもたちの親」でいることで、
なんとか形を保っているのかもしれない。

静かな平和の中で

20年。
この距離があるから、続いているのかもと思う。
歩み寄ることをやめたわけではない。
ただ、もう無理をして近づこうとは思わない。

夫の機嫌に怯える日々も、
沈黙の夜も、
きっと私たちの一部だ。

ケーキの甘さが消えたあと、
私は窓の外の夜空を見上げた。
あの花火の夜のような輝きはないけれど、
穏やかで、静かで、少し寂しい光が浮かんでいた。

これが、私たちなりの平和なのだと思う。
もう変えようとはしない。
このままでいい。

私は、私の時間をこれからも大切に生きていく。
夫とは違うリズムで、
でも、同じ空の下で。

今日も小さな養生を。

Wrote this article この記事を書いた人

ミカ

手帳と暮らすミカです。 薬剤師・和漢薬膳師として、心と体の「めぐり」を見つめながら暮らしています。 40代を迎え、心や体の声に耳を澄ます日々。 手帳を開く時間は、私にとって小さな養生であり、静かな儀式です。 ここでは、ほぼ日手帳に綴る日々の出来事や心の揺れを通して、 「人間らしく生きる」ためのヒントを探しています。

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