
ノートに1000円。高いと思ったけれど
「ノートに1000円以上出すなんて。」
楽天でそう思いながらも、気づけばポチっていた。
ほぼ日方眼ノート。
シンプルなのに、どうしてこんなに惹かれるのだろう。
ほぼ日の手帳と同じ紙質だとレビューにあった。
毎日手帳を使っているからこそ、この使い心地の良さが想像できる。
この想像だけで、「きっと書くのが楽しくなる」と確信してしまう自分がいた。
すでに使い慣れたほぼ日手帳の隣に、そのノートはしっくりと馴染むだろう。
私は朝の時間に手帳を開く人間だ。
湯気の立つコーヒーと、まだ薄暗い窓辺。
手帳に日々のことを書く時間は、私にとって一日の“始まりの儀式”でもある。
けれど、最近は手帳の余白が足りなくなってきた。
旅の記録や、食べたものの感想、誰かの言葉をメモしておきたいのに、
スペースが追いつかない。
だから、このノートを“こぼれ落ちた日常”のための場所にしようと決めた。
方眼の静けさ、書き心地の贅沢
これまで使っていたのは、よくある罫線ノートだった。
特に不満があったわけではないけれど、
何を書いても“ただのメモ”のように見えてしまうことに、
どこか物足りなさを感じていた。
方眼のほうが自由度がある。
線に縛られず、でも整って見える。
書きながら自然に心のリズムも整う。
そして、ほぼ日の紙質――あの独特のなめらかさ。
ペン先を置いた瞬間、するすると文字が滑っていく。
紙がインクをすっと吸い込み、裏写りしない。
これだけで書く時間が特別になる。
紙の名前を忘れてしまったけれど、
毎日書いている人ならきっと分かると思う。
「書く」という行為の中で、指先が感じる抵抗の少なさや音のやわらかさ。
それが積み重なることで、
一日の終わりに“少し救われた気持ち”になることがある。
毎日使うものこそ、心地よくなければいけない。
ほんの少しのこだわりが、日々の疲れをやわらげる。
このノートを開くたびに、そんな当たり前のことを思い出す。
書きこぼしのノート、旅の記録
朝の手帳には、予定と気づきと小さな日記を。(手帳は3冊を使い分けている)
このノートには、それからあふれた時間を書き留めていく。
たとえば、週末に立ち寄ったカフェの味。
旅先で出会った風景の色。
夜中にふと思い出した言葉。
全部、手帳の枠には入りきらない小さな記録たち。
ほぼ日ノートは、そんな“書きこぼし”のための居場所になる。
ページをめくるたびに、生活の断片が積み重なっていくようで、
何でもない日々さえ愛おしく思えてくる。
旅の記録を書くときには、
レシートやチケットの半券を貼ってみたり、
行った店の小さなスタンプを押してみたり。
あの場所の空気をもう一度閉じ込めるような作業。
紙の上に、自分の時間が確かに残る。
娘のシール帳と、私の手帳
手帳を開くたびに、娘のことを思い出す。
娘は今、シール帳を集めるのに夢中だ。
かわいい動物やアイスクリームのシールを、
ページいっぱいに貼りつめては、うっとりと眺めている。
その姿を見ていると、私は少し笑ってしまう。
だって、私も同じことをしているのだから。
手帳やノートにシールを貼る。
風景のステッカーやマスキングテープを重ねて、
ページに少しの“風情”を添える。
文字だけのページが、色や形を得て表情を変える。
そのページを後から眺めると、不思議と心が落ち着く。
きっと、自分の「好き」を見つめている時間なのだと思う。
誰に見せるわけでもなく、
ただ自分のために、好きなものを並べていく。
それが癒やしになっている。
娘のシール帳も、私のノートも、
“かわいい”とか“心地いい”の積み重ねでできている。
だからきっと、ページをめくるたびに少し笑顔になれるのだ。
細部までこだわるということ
このノートを使い始めてから、
「こだわり」という言葉の意味を少しだけ理解した気がする。
高価なものを持つことではなく、
自分にとって心地いいものを選ぶこと。
書きやすさ、紙の質感、方眼の幅。
すべてが、自分の“好き”と噛み合う瞬間。
その小さな満足が、一日のはじまりを整えてくれる。
「書くこと」が、単なる記録ではなく、
自分を確かめる時間になっていく。
書くたびに、心の奥のざわめきが少し静かになる。
きっとそれが、私にとっての“養生”なのだろう。
ほぼ日ノートがくれる、小さな贅沢
ノートを開く音。
ページをめくる指先の感覚。
ペンのインクが滑る、かすかな音。
どれもが私の暮らしの一部になっている。
忙しい日々の中で、自分のための時間はなかなか取れない。
それでも、ノートに数行だけでも書くと、
不思議と心がすっと軽くなる。
書くことは、整えること。
紙に言葉を落とすたびに、
自分の中の何かが少しだけ澄んでいく。
たかがノート。
でも、1000円のノートがくれるのは、
ほんの少しの贅沢と、静かな安心感。
それは、毎日を生きるための、ささやかなご褒美だと思う。
今日も小さな養生を。
Wrote this article この記事を書いた人
ミカ
手帳と暮らすミカです。 薬剤師・和漢薬膳師として、心と体の「めぐり」を見つめながら暮らしています。 40代を迎え、心や体の声に耳を澄ます日々。 手帳を開く時間は、私にとって小さな養生であり、静かな儀式です。 ここでは、ほぼ日手帳に綴る日々の出来事や心の揺れを通して、 「人間らしく生きる」ためのヒントを探しています。