
休みのない母の週末
息子がバスケットボールを始めたのは、
たしか「体を動かしたい」と言った一言がきっかけだった。
最初は気軽な気持ちだった。
週末に少し体を動かして、仲間と楽しめればいい。
それくらいの感覚だった。
けれど気づけば、平日も1日練習が入り、
土日はほとんどが練習試合。
「今週も」「また次の週も」――。
まるで季節のように、試合の予定が暦の中に並んでいく。
私はフルタイムで働いている。
休みは不定期で、土日が必ず休みというわけではない。
だから、試合に合わせてシフトを調整することもある。
それでも、どうしても行けない日がある。
そんなときは、胸の奥に小さな棘のような後ろめたさが残る。
息子だけが試合に参加し、私は自宅で仕事をする。
スマホを見ながら「どうだったかな」と思っても、
結果よりも、そこに一緒にいられなかった自分を責めてしまう。

温度差の中で感じる孤独
バスケのチームには、熱心な親たちが多い。
毎回の試合に付き添い、子どもたちをサポートする。
コーチとも密に連絡を取り、練習の進み具合も把握している。
一方で私は、18時まで仕事。
仕事を終えたあとに、夕飯を作り、
食器を洗って、洗濯物を取り込む。
気づけば夜。
試合の準備をする時間はほとんどなく、
「ほかのママたちはどうしてあんなに余裕があるんだろう」と思う。
比べたくないのに、比べてしまう。
周囲に、フルタイムで働く母親はいない。
パートや専業の人が多く、
「平日に休めるっていいね」と言われることもある。
けれど、私にとってその“平日休み”は、
溜まった家事を片づける日でしかない。
コーチが代わってから、チームの雰囲気も変わった。
部活のような熱量で、
親も子も全力で取り組む空気に包まれている。
私はその輪の中に、いつも少しだけ立ち遅れている。
努力が足りないのか、
時間の使い方が下手なのか。
そんなことを考えていると、
だんだん息が詰まってくる。
それでも、息子が楽しそうだから
それでも、やめようとは思わない。
息子が本当に楽しそうだからだ。
新しいプレーができたとき、
チームで声を掛け合っているとき。
その笑顔を見ると、
「これでいいんだ」と思える。
練習試合の日の夜、
疲れて帰ってきた息子がカレーをおかわりすると、
私はそれだけで報われた気がする。
きっとこの頑張りは、今しかできない。
母親として、完璧ではない。
行けない試合もあるし、
ユニフォームの洗濯を忘れる日だってある。
でも、それでも私は見守っている。
できる形で、息子の成長を支えていきたい。
母親である前に、一人の人間として
最近ようやく気づいた。
「母だから」「働くから」「子どもが頑張っているから」――
その全部を背負うと、
いつの間にか自分の心が置き去りになる。
周囲と同じようにできなくてもいい。
付き添えない日があっても、
それは“手を抜いている”わけじゃない。
ただ、働きながら子を育てるという現実の中で、
精一杯、立っているだけだ。
子どもの成長を見守ることと、
自分を大切にすることは両立できる。
たとえ完璧にできなくても、
“ちゃんと頑張っている”自分を認めてあげたい。
夕方、職場の駐車場から西の空を見上げる。
バスケの練習が終わるころの時間。
汗をかいた息子が笑っている顔を思い浮かべながら、
私はゆっくりと家路につく。
きっと、この生活も、いつか懐かしくなる。
そんなふうに思える日は、まだ少し先だけれど。
今日も小さな養生を。
Wrote this article この記事を書いた人
ミカ
手帳と暮らすミカです。 薬剤師・和漢薬膳師として、心と体の「めぐり」を見つめながら暮らしています。 40代を迎え、心や体の声に耳を澄ます日々。 手帳を開く時間は、私にとって小さな養生であり、静かな儀式です。 ここでは、ほぼ日手帳に綴る日々の出来事や心の揺れを通して、 「人間らしく生きる」ためのヒントを探しています。