40代、休日の小さな幸福|家族と過ごす穏やかな一日とチョコバナナマウンテン

40代、休日の小さな幸福|家族と過ごす穏やかな一日とチョコバナナマウンテン

朝の光と、慌ただしいスタート

朝の光が、カーテンの隙間からすべり込んでくる。
カーテン越しのやわらかな光は、平日の朝とは違って、どこか気持ちにゆとりをくれる。
とはいえ、今日は息子のバスケットの試合。

朝の台所は、平日よりも少し賑やかだ。
水筒にスポドリを入れ、タオルをバッグに詰め、忘れ物がないか何度も確認する。
試合の日の朝は、いつも小さな緊張が走る。

気温は高いけれど、湿度はほどよく、体調も悪くない。
「ああ、このくらいの気候がずっと続けばいいのにな」
そんな他愛もないことを思いながら、水筒を手渡す。
バスケットのユニフォームに袖を通す息子の背中が、少しだけたくましく見えた。

午前中はあっという間に過ぎる。
きっと午後は少し、ゆっくりできるだろう。
そんな淡い期待を胸に、家を出た。

試合を見守る時間の中で

体育館に向かう途中、朝の空気の中にまだ夏の名残を感じる。
蝉の声ももう少しで終わりだろう。
試合会場のベンチに座りながら、私はコーヒーを片手にゆっくりと深呼吸をした。
ボールの弾む音、子どもたちの掛け声、保護者たちの笑顔。
そんなざわめきの中で、不思議と心は穏やかだった。

いつもなら、人混みや音に疲れてしまうのに、
今日はそれすら心地よく感じた。
このくらいの気温と湿度なら、私の体も機嫌を損ねない。
それだけで十分、ありがたいと思えた。

試合後、息子が汗まみれの顔で「楽しかった」と笑った。
その言葉に救われる。
子どもの成長を感じられる日というのは、それだけで特別なものだ。

無理をしない、外食という養生のかたち

午後、家に戻ると、心地よい疲労感が押し寄せてきた。
体育館の熱気と、気を張っていた時間のせいか、少し頭がぼんやりする。

「今日はもう、料理はしなくていいよね」
夫のそのひと言に、私はすぐ頷いた。

夕食は外で食べることにした。
それだけで、体の力がすっと抜けていくのを感じる。
無理をしない。それも立派な選択だと思う。

家族で訪れたのは、いつものファミリーレストラン。
特別ではないけれど、テーブルに届いた料理の湯気や、
息子の「これおいしい!」という声が、
一日の疲れをゆっくりと溶かしていく。

主婦である前に、ひとりの人間として、
「今は休みたい」と素直に言えること。
その小さな正直さが、心をやさしく整えてくれる。

チョコバナナマウンテンと、笑える幸せ

デザートには、前から気になっていたチョコバナナマウンテンを頼んだ。
写真で見るよりもずっと大きくて、
夫と二人で顔を見合わせて笑ってしまった。

「これは…無理かもね」
そう言いながらも、結局スプーンは止まらない。
息子も加わって、三人でわいわいと山を崩していく。

くだらない会話と、チョコの甘さ。
そのどちらも、今の私にはとても効く。
何かを頑張らなくても、こうして笑える時間があるだけで、
今日はもう充分だと思えた。

「何も起きなかった日」を、ちゃんと残す

夜、家に戻って手帳を開く。
今日のページには、「試合」「体調◎」「外食」「チョコバナナマウンテン」と書き込んだ。
それだけの記録なのに、ページの上に一日の穏やかさがふわりと残っている。

手帳には予定も反省も書くけれど、
こうして“何も起きなかった良い日”を残すことが、
一番心に効く気がする。

特別なことをしなくても、
ちゃんと生きている。
ちゃんと幸せを感じている。

「何もしない」「頑張らない」という選択を、
堂々と受け入れられるようになったのは、
40代になってからかもしれない。

手帳を閉じるとき、
「今日もいい日だった」と小さくつぶやいた。

今日も、小さな養生を大切に。

Wrote this article この記事を書いた人

ミカ

手帳と暮らすミカです。 薬剤師・和漢薬膳師として、心と体の「めぐり」を見つめながら暮らしています。 40代を迎え、心や体の声に耳を澄ます日々。 手帳を開く時間は、私にとって小さな養生であり、静かな儀式です。 ここでは、ほぼ日手帳に綴る日々の出来事や心の揺れを通して、 「人間らしく生きる」ためのヒントを探しています。

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