
気圧にゆらぐ朝
朝から空が重たかった。
窓の外は、まるで厚い灰色の毛布に包まれているよう。
雲が低く垂れこめ、部屋の隅々にまで湿った空気が滲み込んでいた。
目を覚ましても、眠りがまだ体の底に残っている。
気圧が下がると、私の40代の体は正直だ。
こめかみの奥がじんわりと脈打ち、
頭の中まで曇っていく。
思考は霧の中を漂う船のように、
はっきりとした航路を見つけられない。
仕事の計画も、やる気も、
水に溶けたインクのようにぼやけてしまう。
机に向かっても、心が体を置き去りにしていく。
こういう日は、もう分かっている。
無理をしない。
戦わない。
「頑張れ」と自分に鞭を打つよりも、
深く息を吸い、静かに吐く。
それだけで、少しだけ生きやすくなる。
40代の体は、天気と仲が良すぎる。
以前は抗っていた。
どうにか“普通”に戻ろうとして。
けれど、今はもう抗わない。
自然の波に寄り添うほうがずっと楽だ。
自分を自然の一部として受け入れる。
それが私の、小さな養生の始まり。

曇り空を眺める午後、にじむ世界
午前中、最低限のメールを返信して、
企画書の断片を並べてみたけれど、
集中力は砂時計の砂のようにすぐ尽きてしまう。
外では、雨が降ったりやんだり。
窓ガラスを伝う雨粒が、
音もなく世界を濡らしていく。
ふと顔を上げると、
窓の向こうの景色が水彩画のようににじんで見えた。
黒いアスファルト、くすんだ緑、遠くの建物の影。
すべてが曖昧に溶け合い、
私の内側の風景と重なっていく。
「今日の自分は、ゆっくりでいい。」
心の中で、何度かつぶやいた。
家の中の静けさが、雨音と混ざり合い、
世界のボリュームが少しだけ下がっていく。
それが、不思議と心地いい。
静けさの中に包まれていると、
ゆらぐ体さえ、少しずつ癒やされていく気がした。
自分をいたわる夜の灯り
夕方になっても、体は重いまま。
だから今夜は、夕飯を作らないことにした。
体調の悪い日に無理をすることは、
もう美徳ではないと知っている。
料理も、献立も、段取りも、
今日はそっと手放す。
それは怠けではなく、
自分をいたわるための「養生」だ。
家族に「今日は外に食べに行こうか」と声をかけると、
子どもたちは嬉しそうに頷いた。
車で数分のカレー屋へ。
扉を開けた瞬間、
スパイスの香りと湯気が体に沁みていく。
ナンの甘み、ターメリックの香ばしさ、
家族の笑い声。
私は湯気の向こうで、
静かにカレーを口に運んだ。
一口ごとに、体の奥がほどけていく。
「ああ、これでいい。」
作らなくても、完璧じゃなくてもいい。
主婦として、母として、妻として。
理想の自分を演じるより、
“いまの私”に優しくしてあげること。
それが、いちばん確かな回復の方法だ。
ほぼ日アプリを待つ、希望の光
帰宅して、ソファに体を沈めた。
食後のコーヒーを飲みながら、スマホを開く。
「ほぼ日アプリ、いよいよ明日リリース」
その文字を見た瞬間、
心の奥に、小さな灯りがともった。
天気、体調、気分、歩数。
アプリの中に日々の記録が重なっていく。
書けなかった日々の空白を、
やさしく埋めてくれるような存在。
記録することは、
“生きてきた証”を見つめ直すこと。
体調の悪い夜も、曇りの日も、
ちゃんと「生きていた」という事実を残しておける。
完璧な言葉や出来事はいらない。
ただ“ここにいた”と書ければいい。
記録は、やさしい回復の儀式
夜の静けさの中で、手帳を開く。
今日の私を、ページに還す時間。
「頭がぼんやりした日。
低気圧で体調不良。
でも、夜は家族とカレーを食べられた。
ナンの甘みが体に染みた。」
ペンの動きに合わせて、
心がゆっくりとほどけていく。
ページの隅にマスキングテープを貼る。
その小さな行為が、
乱れた気持ちを整えてくれる。
記録とは、過去を裁くためのものではない。
“いまの自分”を優しく肯定するための灯り。
今日を、そっと手帳に還していくこの時間が、
私の回復の儀式になっている。
曇天の先に
窓の外は、まだ曇っている。
けれど私は、その中の淡い光を見つけられるようになった。
晴れを待つよりも、
曇りの中で静かに呼吸を整える。
体も心も、天気のように揺れていい。
書いて、休んで、食べて、整えて。
少しずつ、また自分を取り戻していく。
今日も、小さな養生を。
Wrote this article この記事を書いた人
ミカ
手帳と暮らすミカです。 薬剤師・和漢薬膳師として、心と体の「めぐり」を見つめながら暮らしています。 40代を迎え、心や体の声に耳を澄ます日々。 手帳を開く時間は、私にとって小さな養生であり、静かな儀式です。 ここでは、ほぼ日手帳に綴る日々の出来事や心の揺れを通して、 「人間らしく生きる」ためのヒントを探しています。