「頼る」と「自分でやる」のあいだで|40代から考える“続ける力”の育て方

「頼る」と「自分でやる」のあいだで|40代から考える“続ける力”の育て方

エラー続きの朝に思うこと

朝から立て続けにシステムエラーに見舞われた。
普段は滑らかに動いているはずの外部サービスが、今日はまるで砂を噛んだように動かない。
在宅の仕事部屋で、ひとりリロードボタンを何度も押しながら、私は小さくため息をついた。

画面に表示される「503 Service Unavailable」という無機質な文字列。
それは苛立ちよりもむしろ、静かに、ひとつの現実を突きつけてくる。

——私は、便利な仕組みに“委ねすぎていた”のかもしれない。

頼りにしていたサービスが止まった瞬間、
私の作業も、思考も、一緒に止まってしまった。
「依存しているものが止まると、自分も止まる」
その感覚は、思った以上に冷たく、静かに胸の奥に残った。

便利さの裏にある脆さ。
それを見つめた朝だった。

仕事にも、ブログにも通じる本質

この気づきは、私の仕事だけでなく、
ずっと続けているブログにも通じている。

無料のサービスで記事を書くことは、簡単で、早い。
手軽さは確かに魅力だ。
けれど、その便利さの裏には、
いつか消えてしまうかもしれない不確かさが潜んでいる。

もしもサービスが終了すれば、
何年も積み重ねた日々も、言葉も、跡形もなく消えてしまう。

——それが嫌だった。

だから私は、WordPressを選んだ。
手間もかかるし、覚えることも多い。
でも、自分の意志と手で守れる場所を持ちたかった。

記事を書くことは、単なる発信ではなく、
自分の人生を“所有”する行為でもある。
誰かの都合では消えない場所に、
自分の言葉を置いておきたいと思った。

「自分でできる」ことの確かな安心感

在宅で働くようになってから、
少しずつ、自分で直せる範囲を広げてきた。

最初は怖かった。
エラーログを読むことも、コードを触ることも、
まるで異国語を解読するようだった。

けれど、検索して、試して、失敗して、
少しずつ理解できるようになってくると、
心の奥に小さな“自信の芽”が生まれた。

プロに頼ることは悪くない。
けれど、「自分にもできる」と知っていることは、
何よりも強い支えになる。

専門外だからと線を引かずに、
「やってみよう」と思える瞬間。
その一歩の積み重ねが、
暮らしの中の“自由”と“選択肢”を増やしてくれる。

小さな修復の積み重ねが、自分を支える

今日のエラーを直すのに、数時間かかった。
調べて、試して、ようやくシステムが息を吹き返したとき、
心の中に静かな達成感が広がった。

誰にも見えない小さな成功。
でも、その小さな修復の積み重ねこそが、
私を支える力になっていく。

「とりあえず、やってみよう。」
その言葉が、40代の今の私には
何よりも現実的で、やさしい励ましだ。

チョコの写真と、温かいぬくもり

エラー解決のあとの休憩時間、
スマホを開くと、愛犬・チョコの写真が目に入った。

その一枚をプリントして、
手帳の空白ページに貼った。

デジタルの混乱のあとに、
このアナログな温もりに触れると、
自分が本当に守りたいものが、すっと見えてくる。

パソコンの中に積み重ねた言葉。
ノートに残した日々の記録。
そして、この子と過ごした穏やかな時間。

どれも、誰のものでもない、
確かな「私の時間」だ。

頼りながら、自分で立つ

「何でも自分でできるようになりたい」と思うのは、
完璧主義ではなく、静かな願いに近い。

誰かの助けに頼ることも悪くない。
でも、「自分でも直せる」と知っていることは、
心のどこかに錨を下ろすような安心をくれる。

頼ることと、自分で立つこと。
その中間で生きていくバランスこそ、
これからの時代に必要な「しなやかさ」なのかもしれない。

そして今日も

小さなエラーをひとつ直して、
チョコの写真を手帳に貼った。
それだけの一日だけれど、
それで十分だと思う。

誰かの手を借りながら、
自分の手でも未来を動かせるように。

それは、デジタルの中に生きる私が、
アナログのぬくもりを忘れないための、
静かな習慣。

今日も小さな養生を。

Wrote this article この記事を書いた人

ミカ

手帳と暮らすミカです。 薬剤師・和漢薬膳師として、心と体の「めぐり」を見つめながら暮らしています。 40代を迎え、心や体の声に耳を澄ます日々。 手帳を開く時間は、私にとって小さな養生であり、静かな儀式です。 ここでは、ほぼ日手帳に綴る日々の出来事や心の揺れを通して、 「人間らしく生きる」ためのヒントを探しています。

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