
ほぼ日手帳のアプリがリリースされた朝。
画面の向こうに広がる、新しい世界に胸がふわりとときめいた。
「センパイ」を選び、指先が未来をなぞるようにスクロールしていく。
それはまさに、陽の光のようなまぶしさ。
便利で、軽やかで、迷いのない明るさ。
けれど、ふと机の端の紙の手帳を開くと、
インクの跡がやわらかく光り、
指先が、静かに「現実」へと帰っていく。
アプリは、記録を“忘れないように覚えてくれる”。
外へ広がる力、活動のエネルギー――それが陽の働き。
一方で、紙の手帳は、“五感を通して思い出させてくれる”。
それは、内へ沈む陰の静けさ。
40代になって、私はこの「陰」と「陽」のあわいを
ようやく意識できるようになった気がする。
どちらか一方ではなく、
光と影がゆるやかに重なりあうところに、
本当の私の暮らしが息づいている。
心のゆらぎは、二つの世界を行き来することで、
静かに整えられていくのだと知った。
完璧な記録の中で、こぼれ落ちる“呼吸”の音
アプリの世界は、美しく整っている。
ライフログが正確に並び、
写真は一瞬で記憶を留めてくれる。
一切のムダがなく、すべてが滑らかに動く。
けれど、その完璧な静寂の中では、
“心の揺れ”がどこかへ消えてしまう。
喜びも戸惑いも、均一なフォントに閉じ込められて、
温度を失っていくような気がするのです。
本当の感情は、そんなに平らではない。
文字のあいだに滲む、あのわずかな震えこそが、
日々を「生きている」証。
手で書くという行為は、
その揺れや陰影をすくい上げるための、小さな養生。
どんな高機能なアプリよりも、
その日の「呼吸」を正確に記録してくれる。
――そして、私は気づく。
40代の私たちは、しばしば「完成形」を追いすぎてしまう。
仕事、家事、子育て。
すべてをスマートにこなす理想の私を、
デジタルの中に描こうとしてしまう。
けれど、手書きの文字は、正直だ。
疲れた日の線は少し掠れ、
焦った日の文字は、どこか跳ねている。
その不完全さを、そのまま抱きしめること。
それが、内なる「陰」の自分を労わる、深い養生なのだと思う。
滲んだインクと、未完成のままの美しさ
紙にペンを走らせると、
その日の気圧や温度、心の湿度までが
静かに染み込んでいく。
力の入りすぎた線も、滲んだインクも、
予定からはみ出したメモも、
すべてが、その瞬間を生きた証。
デジタルでは“消せる失敗”も、
紙では“残る”。
でも、その残り方が、いい。
消せない跡が、私を優しく肯定してくれる。
完璧でなくてもいい。
未完成のままでも、生きていていい。
それが、紙の手帳の静かな力。
不意に開いたページから漂う、
あの日の匂い、手のひらの温度。
それはデジタルでは届かない、
心の奥を潤す「血」のような記憶。
アナログの「余白」が、心を生き返らせる
デジタルは「未来」を整え、
紙の手帳は「いま」を受け止める。
予定のないマスに、
ふと感じた言葉をひとつ書く。
「今日は空が青かった」――
たったそれだけで、胸の中に小さな風が通う。
アプリが陽の光で外を照らすなら、
紙の手帳は陰の静けさで内を照らす。
外に向かう力と、内に沈む時間。
その二つの調和が、私をもう一度
やわらかく、現実へと連れ戻してくれる。
私たちが本当に求めているのは、
効率ではなく、呼吸のある場所。
手帳の余白は、私にとっての「間(ま)」――
何もないからこそ、すべてを書き込める無限の空間。
今日もページをめくり、ペン先を滑らせ、
小さく、深く、息を吐く。
その音が、
私をそっと、“生き返らせてくれる”気がしてならない。
今日も小さな養生を。
Wrote this article この記事を書いた人
ミカ
手帳と暮らすミカです。 薬剤師・和漢薬膳師として、心と体の「めぐり」を見つめながら暮らしています。 40代を迎え、心や体の声に耳を澄ます日々。 手帳を開く時間は、私にとって小さな養生であり、静かな儀式です。 ここでは、ほぼ日手帳に綴る日々の出来事や心の揺れを通して、 「人間らしく生きる」ためのヒントを探しています。