苗場ドラゴンドラの紅葉2025|家族で楽しむ秋の空中さんぽ

苗場ドラゴンドラの紅葉2025|家族で楽しむ秋の空中さんぽ

旅のはじまり:二度目の「ドラゴンドラ」に賭けた秋

10月ももう半ば。
新潟・苗場の山々へ向かう車の窓の外は、
すでに秋の気配で満ちていた。

木々は少しずつ、けれど確かにその色を変え、
深まりゆく季節を、
私たちの目に優しく映してくれる。

この秋は、私の両親と子どもたちを連れて、
三世代そろっての旅。
目指すのは、全長5,481メートルを誇る
日本最長級のゴンドラ——苗場ドラゴンドラ。

2025年の営業は10月11日から11月9日まで。
山頂と山麓の標高差があるため、
紅葉の見頃が長く続くのだという。

実は二年前にも、同じ道を走っている。
あのときは、濃い霧にすっぽりと包まれて、
景色を楽しむどころではなかった。

だから今回は、静かなリベンジ。
「今度こそ晴れるといいね」と、
誰もが空を見上げながら、車を走らせた。

日本一の空中散歩へ:25分間の浮遊体験

ドラゴンドラの乗り場に着くと、
山の空気がひんやりと肌を刺した。
指先が少し冷える。
それでも、その冷たさが
この場所の“深さ”を感じさせてくれる。

およそ900メートルほどの山麓から、
1,300メートルを超える頂へ——。
ゴンドラが標高を上げるにつれて、
秋の色が一段ずつ深まっていく。

出発の瞬間、ドラゴンドラがふわりと浮いた。
足元の森が遠ざかり、
谷を流れる川がきらりと光を返す。
子どもたちの「見て、見て!」という声に、
母が笑い、父がうなずいた。

青空の下を進むにつれ、
風が窓を叩き、葉が舞い上がる。
金、橙、深紅、そしてまだ息づく緑。
色が重なり合う中で、時間がゆっくりほどけていった。

まるで、
空の中にしばらく浮かんでいるような——
幻想的な25分間だった。

標高差が織りなす「縦のグラデーション」

ドラゴンドラの紅葉の美しさは、
標高差がつくる縦のグラデーションにある。

山頂付近ではブナやカエデが深紅に染まり、
少し下るとナナカマドやシラカバが黄に変わる。
さらに下の谷筋には、まだ緑の葉が残っていた。

その移ろいを、
ゴンドラの中から一望できる贅沢。
まるで季節の階段を、
一段ずつ降りていくようだった。

「きれいだね」と母がつぶやき、
その声が山の静けさに溶けていく。
父は「どこを見ても絵になるな」と笑い、
シャッターを切り続けていた。

谷の向こうには、ターコイズブルーの二居湖(ふたいこ)。
深い青と紅葉の赤が、
互いを引き立てながら風にゆれていた。
自然の重ねる色の層は、
どんな人工の彩りも真似できない。

雲の中の山頂、そして“ほんの一瞬の秋”

山頂駅に着いたころには、
あたり一面がすっかり雲に包まれていた。
ドラゴンドラを降りた瞬間、
白い霧がゆっくりと流れ込み、
視界のすべてが真っ白に染まる。

二年越しのリベンジのはずが、
またしても、雲の中。
風は冷たく、
空はどこまでも沈黙している。

それでも、不思議と落胆はなかった。
「まぁ、これもまた思い出だな」と父が笑い、
母が「次は晴れるといいね」と返す。

温かいコーヒーを手に、
ほんの少しだけ雲の中に立って、
私たちはまた、下山することにした。

帰りのドラゴンドラの中で、
霧の切れ間からわずかに山肌がのぞいた。
そのほんの一瞬に、
光が差して、紅葉が一斉にきらりと光る。
今日いちばんの、息をのむような色。

それはきっと、
私たちだけが見た「ほんの一瞬の秋」だった。

雲の日も、晴れの日も、同じひとつの秋

山を下りたころは、まだお昼前。
雲の上の静けさから戻った体に、
地上のざわめきが少しだけ眩しかった。

「こんな日も、悪くないね」
母の言葉に、誰もがうなずく。

思い通りにならない旅も、
予定通りにいかない空模様も、
それでもちゃんと、秋の記憶になる。

人生の速度は、思っているよりも速い。
けれど、自然の中に身を置くと、
季節がそっと教えてくれる。

——ゆっくりでいい。

雲の日も、晴れの日も、
どちらも同じひとつの秋。

今日も小さな養生を。

Wrote this article この記事を書いた人

ミカ

手帳と暮らすミカです。 薬剤師・和漢薬膳師として、心と体の「めぐり」を見つめながら暮らしています。 40代を迎え、心や体の声に耳を澄ます日々。 手帳を開く時間は、私にとって小さな養生であり、静かな儀式です。 ここでは、ほぼ日手帳に綴る日々の出来事や心の揺れを通して、 「人間らしく生きる」ためのヒントを探しています。

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