
新しい手帳を開くたびに、少し切なくなる
2026年の『ほぼ日手帳』が、今年も私のもとに届いた。
段ボールを開けた瞬間、紙の匂いとインクの香りがふわりと漂う。
この香りを嗅ぐと、毎年「新しい一年が始まるんだな」と胸が少し高鳴る。
どんなカバーにしようか、どんな色が今の自分らしいか。
発売前から悩みに悩んで、いざ注文開始日を迎えてもまだ決めきれない。
そんな自分を滑稽に思いつつ、実はこの「悩む時間」こそが一番好きだったりする。
けれど、今年の手帳を開いた瞬間、胸の奥にかすかな切なさがよぎった。
ワクワクよりも、少し哀しいような、静かな実感があった。
「また、ひとつ歳を重ねるんだな」
毎年この季節になると、同じような気持ちが訪れる。
新しい手帳は未来への期待と同時に、確かに過ぎていった一年の重さを思い出させるから。
白いページの眩しさの裏には、これまで書き溜めてきた日々の跡がそっと重なっている。
理想を書き込み、現実に立ち返るページ
手帳は未来の私を描く場所でもある。
「来年こそはもっと丁寧に暮らそう」
「朝はストレッチをして、バランスの良い食事を作ろう」
そんな理想の自分を思い浮かべて、まだ何も書かれていないページに夢を並べていく。
けれど現実の手帳には、きれいな言葉よりも生活の生々しい跡が残っている。
PMSで体調が崩れた日。
子どもたちと口論になった夕方。
冷凍チャーハンで済ませた夜。
それでも、そのすべてを「今日の私」として受け入れてくれるのが手帳だ。
ページをめくるたびに、手帳が語りかけてくるような気がする。
「大丈夫。完璧じゃなくてもいいよ。」
その言葉に、何度救われたことだろう。
手帳とは、自分で自分を励ますための、小さな鏡のような存在なのかもしれない。
完璧を演じない、ありのままの私へ
SNSを開けば、整った部屋、健康的な朝食、理想的なライフスタイルが並ぶ。
誰もが“完璧な自分”を見せる時代。
でも、40を過ぎたあたりから、そうした「理想の私」を演じることに少し疲れ始めた。
朝、鏡の前でくすみを見つけてため息をつく。
若い頃は平気だった夜更かしに、翌朝は体が正直に反応する。
そんな現実を、隠すよりも受け入れる方が心地よいと感じるようになった。
だから私は、手帳の中では強がらない。
「今日は何もやる気がしなかった」
「夕方、息子の一言にイラッとした」
「でも、夜に食べたプリンがおいしくて救われた」
誰にも見せる必要のない正直な言葉を、静かに書き留める。
手帳は、そんな私の“弱音”さえも受け止めてくれる。
完璧じゃない私を、否定せずに見つめてくれる場所。
40代になってようやく、そうした“ありのままの記録”こそが、
自分を整えるための「養生」なのだと気づいた。
デコレーションという、小さな魔法
私の『養生日記』には、日々の記録に加えてマスキングテープやステッカーが並ぶ。
お気に入りのマステを貼る瞬間、胸の奥がふっと明るくなる。
一見ただの飾りに見えるそれは、「今日もよく頑張ったね」という自分へのささやかなご褒美だ。
最近はネットで気軽に可愛い文具が手に入る。
夜のひとときに、ゆっくりページを飾る時間が、私の心をほぐしてくれる。
それは効率とは無縁の、私だけの「丁寧な時間」だ。
スマホやAIがすべてを最適化してくれる時代に、
“わざわざ時間をかける”というアナログな行為が、
逆に心をやわらかくしてくれる気がする。
手帳は、未来の私への手紙
ページを閉じる前に、私は必ず一言書き残す。
「今日も小さな養生を大切に。」
それは未来の私へのメッセージでもある。
きっと一年後、このページを読み返したとき、
「この頃の私はこんなふうに生きていたんだな」と微笑むだろう。
完璧じゃない記録が、私の人生を形づくっていく。
落ち込んだ日も、笑った日も、全部ひっくるめて「私」という物語。
2026年の手帳を手にして思う。
手帳は未来を描く道具であり、同時にこれまでの私を映す鏡。
過ぎた日々の積み重ねが、私という人間をそっと照らしてくれている。
来年のページを開くたびに、また新しい私に出会える気がする。
そんな予感を胸に、そっと最初のページを撫でた。
今日も、小さな養生を大切に。
Wrote this article この記事を書いた人
ミカ
手帳と暮らすミカです。 薬剤師・和漢薬膳師として、心と体の「めぐり」を見つめながら暮らしています。 40代を迎え、心や体の声に耳を澄ます日々。 手帳を開く時間は、私にとって小さな養生であり、静かな儀式です。 ここでは、ほぼ日手帳に綴る日々の出来事や心の揺れを通して、 「人間らしく生きる」ためのヒントを探しています。