
インスタの向こうにある「整いすぎた世界」
インスタグラムで、手帳の投稿を眺める時間が好き。
整ったページ、淡い色のマーカー、
丁寧な字の並びに、ため息が出る。
「うんうん、そうだよね」
画面の向こうで共感するひとときは、
まるで静かなカフェの中にいるようで、心地いい。
けれど、ページを閉じたあとに、
ふと胸の奥がざわめくことがある。
——みんな、なんてきれいに書いているんだろう。
——私の手帳は、少し雑かもしれない。
比べるつもりなんてなかったのに、
誰かの完璧なページを見た瞬間、
自分の手帳の余白が少し心もとない気がした。
まるで、私の「生きた時間」が、
誰かの「編集された時間」に負けてしまったような気がして。
「私は私でいい」と思えた日
そんな日が続いたある朝、
何も考えずにペンを取った。
書き出した言葉は少し歪んで、
行も揃わなかったけれど、
不思議とそれが気持ちよかった。
“ああ、私は私でいいんだな”
ふと、そんな声が聞こえた気がした。
人と比べるためじゃなくて、
私はただ、自分の今を残したくて手帳を書いている。
きれいに書けた日も、
急いで書きなぐった日も、
どちらも私の“生きた証”なのだと思った。
手帳がくれる「時間の奥行き」
スマホのスケジュールアプリは、
未来をきれいに並べてくれる。
でも、過去はあっという間に
データの奥へ沈んでしまう。
紙の手帳は違う。
一年前の文字も、
未来の空白も、
ひとつのページの中で共存している。
書きかけのToDo、
ふと書き留めた言葉、
そのどれもが、あとで読み返すと
過去の自分からの小さな手紙のようになる。
「このとき、あなたはこれを大事にしていたよ」
そんな声が、紙の向こうから聞こえてくる。
手帳の中には、
時間の“厚み”がある。
それが、どんなアプリにも替えられない温度だ。
整えすぎない美しさ
SNSでは“整っていること”が褒められる。
だけど、完璧に整う瞬間なんて、
人生の中でそう多くない。
少しズレたマスキングテープ、
インクのにじみ、
書き損じをそのまま残したページ。
それらは全部、私の呼吸の跡だと思う。
美しさって、きっと「整える」ことじゃなく、
「ゆるめる」ことの中にもある。
うまく書けなかった日の文字が、
あとで見返したら優しく微笑んでくれる。
そんな手帳でありたい。
とんかつの写真が教えてくれること
その日のページの隅に、
自分で撮ったとんかつの写真を貼った。
湯気の立つお味噌汁と、
衣の音が聞こえそうな一枚。
ただ、それだけの記録。
でも、そんな“なんでもない日”を残せるのが、
私の手帳の好きなところだ。

映えを意識したわけでもなく、
丁寧にデコったわけでもない。
けれど、その写真を見るたびに、
その日の空気や匂いまで思い出せる。
そうやって、
日々の小さな時間がページに積もっていく。
それだけで、十分だと思う。
手帳は、誰かに見せるためではなく、
自分の呼吸を整えるための場所。
だから、比べなくていい。
焦らなくていい。
好きなことを、
好きなように続けていけたら、
それだけで十分だと思う。
今日も小さな養生を。
Wrote this article この記事を書いた人
ミカ
手帳と暮らすミカです。 薬剤師・和漢薬膳師として、心と体の「めぐり」を見つめながら暮らしています。 40代を迎え、心や体の声に耳を澄ます日々。 手帳を開く時間は、私にとって小さな養生であり、静かな儀式です。 ここでは、ほぼ日手帳に綴る日々の出来事や心の揺れを通して、 「人間らしく生きる」ためのヒントを探しています。