
同僚との会話から見えてきた「これから」
昨日、同僚と「この先の働き方」について話をした。
AIの進化、リモートワークの定着……。
IT業界の安定は、もはや幻想かもしれない。
「もし会社がなくなったら、どうする?」
その言葉に、胸の奥がざわついた。
自分の中にあった漠然とした不安が、
急に形を持って立ち上がったような感覚だった。
40代を迎えたいま、
“本業だけに頼らない生き方”は切実なテーマだ。
けれど、焦っても何から始めればいいのかわからない。
そんなとき、ふと浮かんだのは——
私が毎日書いている手帳のことだった。
手帳に書く「ひとりごと」が、私を導く
私の手帳は、誰に見せるためでもない。
評価されるためでも、飾るためでもない。
そこには、誰にも話せない感情や体調が、
静かに積もっている。
眠れなかった夜のモヤモヤ、
疲れて動けなかった日のイライラ、
そして、ふとした瞬間に感じた小さな喜び。
悲しかったことも、嬉しかったことも、
頭痛の頻度や天気まで、私は細かく書き留めている。
そうやって“ひとりごと”を文字にして吐き出すと、
自分の中で滞っていた「気」が、ゆっくりと巡りはじめる。
書きながら、私は自分に言っているのだ。
——「これでいいんだよ」って。
時間がゆっくりと動き出す。
あとから読み返すと、そこに確かに“自分”がいる。
手帳は、混沌とした時代を生きる私にとって、
安全な避難場所であり、心の羅針盤になってくれた。
不調は「治す」より「付き合う」もの
40代になると、心と体のバランスが揺れやすくなる。
理由もなく涙が出たり、
小さな不調に過敏になったり。
それでも仕事も家のことも止められない。
そんな“ゆらぎ”のなかで生きている。
東洋医学では、体を「部分」ではなく「全体」で見る。
頭痛や冷え、イライラ——それぞれをバラバラに治すのではなく、
体の内側にある流れや巡りを整えるという考え方だ。
この考え方は、私の手帳習慣にも重なる。
イライラする日は、
手帳に感情を書き出して、柑橘の香りを嗅ぐ。
冷える夜は、
アロマを垂らした足湯でゆっくりと温まる。
そうやって過ごすうちに、
「この不調のときはこうすればいい」という
自分なりの“取扱説明書”ができてくる。
書くことは、
自分を「整える」だけでなく、
対話する相手として見つめる養生なのだ。
書くことで、自分を“まるごと”見つめ直す
私が手帳を続けているのは、
「未来を記録するため」ではなく、
「今の自分を受け入れるため」だと思う。
いい日も、悪い日も、
そのまま書く。
東洋医学が“まるごと”の自分を診るように、
私は自分の心や体を切り分けず、
一つの流れとして見つめていく。
「今日は少しつらかったな」
「明日はおだやかに過ごせますように」
そんな祈りに似た言葉が、
私を今日も現実へと優しく戻してくれる。
ゆらぎ世代へ——静かな声を届けたい
私は薬剤師であり、和漢薬膳師でもある。
けれど今、その資格を使った働き方はしていない。
でも、手帳と共に生きる中で、
一つの思いが芽生えた。
——この経験を、同じようにゆらぎの中で
立ち止まっている女性たちに伝えたい。
薬剤師としての知識、
和漢薬膳師としての知恵、
そして、日々の手帳が教えてくれた“整え方”。
それらを少しずつまとめ、
小さなコラムやエッセイとして発信していきたい。
いつか、同じように悩む人たちが
集えるような養生の講座も開けたらいい。
それは大きな発信でなくてもいい。
静かな声でいい。
でも確かに届く言葉を紡いでいきたい。
おわりに
手帳を開くたび、心が少し整う。
どんな働き方を選んでも、
自分を見つめる時間だけは、なくしたくない。
今日も、淡々と書き続けていこう。
そしてまた明日、少しだけ新しい自分に出会えるように。
今日も小さな養生を。
Wrote this article この記事を書いた人
ミカ
手帳と暮らすミカです。 薬剤師・和漢薬膳師として、心と体の「めぐり」を見つめながら暮らしています。 40代を迎え、心や体の声に耳を澄ます日々。 手帳を開く時間は、私にとって小さな養生であり、静かな儀式です。 ここでは、ほぼ日手帳に綴る日々の出来事や心の揺れを通して、 「人間らしく生きる」ためのヒントを探しています。