無視し続けた代償|心の声を聞き逃した日のこと

無視し続けた代償|心の声を聞き逃した日のこと

「大丈夫」と言い聞かせた自分へ

気づけば、何度も同じ言葉を口にしていた。
「大丈夫。たいしたことない」
そう繰り返すたびに、胸の奥で小さな声がかすれていく。

体が重いのも、気分が沈むのも、季節のせいにした。
それでやり過ごせると思っていた。
だけど、ある朝、鏡の中の自分がふと無表情で立っていた。
「もう、限界だよ」とでも言いたげに。

朝の光はやわらかく、カーテン越しに差し込んでいたのに、
その明るさが、やけに遠く感じた。
歯を磨く手が止まり、鏡の中の目だけが、
じっとこちらを見返していた。

人は案外、自分の不調に慣れてしまうものだ。
無理が日常になってしまうと、
それを「頑張っている」と勘違いしてしまう。

けれど、本当の頑張りは、
自分を追い込むことじゃなく、
自分を気づかうことなんだと、今は思う。
「大丈夫」と言い聞かせる代わりに、
「今日は休もう」と言えるようになりたい。

気づいたときには、もう遅くて

あるとき、ふいに体が動かなくなった。
理由もなく涙が出て、何も手につかない。
心が「これ以上は無理」と訴えているのに、
頭では「まだやれる」と言い返していた。

気づいたときには、
もういくつかのものを失っていた。
仕事の集中力、家族との笑顔、
そして、自分への信頼。

「なぜ、あのとき無理をしたんだろう」
その問いが、何度も心の中で反響した。
けれど、答えは出なかった。
ただ、静かな後悔だけが胸の奥で渦を巻いていた。

後悔の種は、いつも小さな違和感の中にある。
体のだるさ、心のざわめき、眠れない夜。
あのとき、それをちゃんと見つめていれば、
こんなに苦しくならなかったのかもしれない。

気づかないふりをした代償は、
想像よりも深く、静かに私を削っていった。

タイミングの不思議

物事には“流れ”がある。
それは努力や根性では動かせないものだ。
焦って掴もうとしても、
少し早すぎればすれ違い、
遅ければもう届かない。

季節の移り変わりのように、
心にも“旬”のようなものがあるのだろう。
ほんの少し早ければ芽吹き、
遅れれば枯れていく。

心の声を無視し続けていた私は、
その「タイミング」を読む力を失っていた。
身体のサインを見逃し、
人の優しさを受け取る余裕もなくしていた。

でも、不思議なことに、
本当に疲れ果てたその時にこそ、
ようやく大切なことに気づく。
あの沈黙の時間が、
わたしを立ち止まらせてくれたのだと思う。

「間に合わなかった」経験が、
次の一歩を優しくしてくれることもある。

無理をやめる勇気

休むことに罪悪感を覚える人は多い。
私もそうだった。
「頑張らない=怠けている」と思い込んでいた。

でも、無理をやめるのには勇気がいる。
何かを手放すことでしか、
新しい風は入ってこない。

予定を詰め込むのをやめて、
少しだけ余白を持つようになった。
手帳のページに、
「今日は何もしない」と書く日を作った。

最初は落ち着かなかったけれど、
その静けさの中で、ようやく呼吸が整った。
窓を開けると、風の匂いが変わっていた。
何もしない時間が、
思っていた以上にやさしく私を包んでくれる。

“頑張らない日”も、
ちゃんと生きている日のひとつだと思えるようになった。
誰かに評価されなくても、
自分で自分をねぎらえる日があっていい。

心の声は、いつも遅れて届く

最近、ようやく気づいた。
心の声は、たいてい遅れてやってくる。
あのとき感じた小さな違和感、
あれは確かにサインだったのだ。

私たちは、いつも何かを優先して生きている。
家族のこと、仕事のこと、誰かの期待。
けれど、自分を置き去りにしたままでは、
どんな幸せも長くは続かない。

今、ようやく思う。
無視し続けた代償は痛かったけれど、
それがなければ、
「自分を大切にする」という意味を知らなかった。

遅すぎた気づきでもいい。
心の声に耳を傾けるたび、
人生は少しずつ、優しく整っていく。
昨日よりほんの少し、呼吸が深くなる。
それだけで、もう十分だと思える。

無理をやめることは、あきらめることじゃない。
それは、もう一度自分を信じ直すための、
小さな決意なのだと思う。

今日も小さな養生を。

Wrote this article この記事を書いた人

ミカ

手帳と暮らすミカです。 薬剤師・和漢薬膳師として、心と体の「めぐり」を見つめながら暮らしています。 40代を迎え、心や体の声に耳を澄ます日々。 手帳を開く時間は、私にとって小さな養生であり、静かな儀式です。 ここでは、ほぼ日手帳に綴る日々の出来事や心の揺れを通して、 「人間らしく生きる」ためのヒントを探しています。

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