
心がざわつく朝。
誰かのひと言や、雨の音にさえイライラしてしまう日がある。
それは、性格のせいでも、努力不足でもなく——
“気の流れ”が少し滞っているだけ。
東洋医学では、天気や湿度、眠りの浅さまでが
心と体の調子を左右すると考えられている。
感情は「気象」であり、手帳はその小さな天気図。
自分の中の天気を知れば、
イライラは責めるものではなく、“整えるサイン”に変わっていく。
心まで湿気を吸い込む朝——イライラのはじまり
朝から、空が重たい。
昨日から降り続く雨が、ガラス越しに世界をぼやかしている。
こういう日は、なぜか心まで湿気を吸い込んでしまう。
夫が食器を片づけない。
子どもたちは服を脱ぎっぱなしにして走り回る。
いつもなら笑って流せる光景が、今日は妙に気に障る。
胸の奥で、カチリと小さなスイッチが入った。
「どうして私ばっかり」
そう思った瞬間、頭の奥がずしんと重くなる。
怒るほどのことじゃないとわかっているのに、
苛立ちはじわじわと膨らんでいく。
私は深呼吸をして、手帳を開いた。
“イライラ”と一文字書いて、その横に少しだけ言葉を足す。
「眠り:浅い」
「天気:雨」
「頭:重い」
書いて並べてみると、心が少し静かになる。
もしかしたらこれは、性格の問題じゃなく、
天気と体の機嫌がつくる波なのかもしれない。
東洋医学では、心と体は「気」という流れでつながっている。
湿気が多い日は、その気の流れが重く滞る。
気が巡らないと、思考も感情も淀んでいく。
つまり、このイライラは——
体の中の天気が、少し曇っているサインなのだ。
「そっか、今日は“低気圧の私”なんだ」
そう思えただけで、呼吸がふっとやわらぐ。
イライラを“悪い感情”と決めつけずに、
体の声として見つめる。
それが、私の小さな養生のはじまりだった。
手帳をひらけば見えてくる——「イライラ」は体の声
感情は、空模様に似ている。
晴れる日もあれば、曇る日もある。
けれど、私たちはつい「いつも穏やかでいなければ」と思い込んでしまう。
その思いが、心の空を余計に重くしていく。
私は、そんな日に手帳をひらく。
ペン先をゆっくりと紙に落としながら、
自分の中の“天気”を観察する。
——「イライラ」
——「眠り浅い」
——「気圧低い」
——「肩こり」
ただ並べてみるだけで、
感情の裏に“からだの声”が隠れているのが見えてくる。
東洋医学では、心と体は別々の存在ではなく、
どちらも「気(き)」の流れの中にある。
怒りや焦りは、気が上にのぼり、頭や胸にこもっている状態。
悲しみは、気が下に沈み、動きが鈍くなっている状態。
そして、こうした感情の揺れは、
気圧や気温、湿度といった外の気の影響をそのまま受け取っている。
つまり、感情は“気象”のようなもの。
私たちはみんな、小さな気候を抱えて生きている。
そう思うと、
「イライラしてはいけない」と自分を責める気持ちが、
少しずつほどけていく。
イライラは、体のどこかで滞っている気のメッセージ。
「そろそろ休んで」「深呼吸して」と、
内側の天気予報士が知らせてくれているのだ。
手帳にそのサインを書き残すことは、
気の流れを“見える化”する行為。
書くことで、滞っていたものが少しずつ動き出す。
言葉は、気をめぐらせる小さな風——。
今日もページの上で、
私は自分の中の空を静かに眺めている。
知識のクスリ①——イライラは「肝(かん)」の渋滞サイン
イライラしているとき、
心の中で一番忙しく働いているのが「肝(かん)」という臓。
東洋医学でいう肝は、体の中の“交通整理係”のような存在だ。
車がスムーズに流れているときは、
信号も青ばかりで気分がいい。
でも、どこかで渋滞が起きると、
クラクションが鳴り、空気がピリピリしはじめる。
——それが、私たちの体の中でも起きている。
肝は、気の流れを全身に巡らせる役割をもつ。
だから、この働きが詰まると、
胸のあたりが重くなったり、ため息が増えたり、
些細なことでカッとしやすくなる。
ストレスを感じた日や、
人に言いたいことを我慢した夜。
そういう日は、知らないうちに「肝の道路」が混みはじめている。
気が頭のほうに上がりすぎて、顔がほてったり、
脇の下やみぞおちが張って苦しくなることもある。
私たちの体は正直だ。
「私は今、頑張りすぎてるよ」
「ちょっと休んで」
そんなメッセージを、イライラという形で出してくれている。
だから、怒りを「悪い感情」として押さえ込むよりも、
「渋滞のサインが出てるな」と受け止めたほうが、ずっと優しい。
ため息をひとつ、深く長く吐くだけでも、
気は少しずつ流れを取り戻す。
肝は本来、のびのびとした状態を好む臓。
香りのいいお茶や、風通しのよい部屋、
“自分らしく呼吸できる時間”が何よりの栄養になる。
心の渋滞が起きたら、
まずは深呼吸をして、
自分の中の信号をひとつ青に変えてみよう。
知識のクスリ②——雨と湿気が、心に水を差す日
朝、窓の外で雨が続いているだけで、
体の奥まで重くなる日がある。
頭の芯がぼんやりして、肩がずっしり。
心もどこか湿っぽく、ため息が増える。
そんな朝は、体の中に“湿気”が入り込んでいる証拠。
東洋医学では、それを「湿邪(しつじゃ)」と呼ぶ。
湿邪とは、空気中の水分が体の中まで忍び込んできて、
気や血の流れを鈍らせる存在。
たとえば、雨の日に洗濯物が乾かないように、
体の中でも水が滞る。
そのせいで頭は重く、手足はだるく、
お腹も張って、心まで動きが鈍くなる。
特に影響を受けやすいのが「脾(ひ)」という臓。
脾は、胃腸だけでなく、
体の水分バランスを保つ“排水ポンプ”のような働きをしている。
湿気が多いとこのポンプが弱まり、
余分な水が体のあちこちに残る。
それが、むくみや重だるさ、集中力の低下となって現れる。
そして、この脾が疲れると、
気の流れを管理する“肝”にも負担がかかる。
体が重くなると、心も動きづらくなる。
だから雨の日は、何もかも億劫で、
人の言葉ひとつにも敏感になってしまう。
私は、そんな日こそ手帳に
「湿気」「だるい」「ため息多め」と書くようにしている。
そうすると、気づく。
「今日は私の“天気”が低気圧なんだ」と。
気づくだけで、気は少し動き出す。
体の中の湿気も、心の曇りも、
“無理に晴らす”より、“流す”ほうがいい。
温かい飲みものをひと口、
深呼吸をひとつ。
それだけで、体の中に風が通う。
湿った空気のなかで、静かに整う自分を感じられたなら、
それも立派な養生のひとつ。
知識のクスリ③——浅い眠りが、怒りを燃やす夜
夜が深くなるほど、
街も家も静かになるのに、
心だけがざわついて眠れない。
時計の針の音、遠くの車の気配、
小さな音にいちいち反応して、目が冴えてしまう。
体は疲れているのに、頭の奥が熱を持っている。
——そんな夜が、最近少し増えた気がする。
東洋医学では、眠りの浅さは「陰(いん)」の不足と関係があると言われている。
陰とは、体を潤し、心を静める“夜のエネルギー”。
その陰が減ると、余分な熱が冷めきらず、
夜になっても気が上にのぼったままになる。
夜の静けさの中で目が覚めるのは、
体の火がまだ鎮まりきっていない証。
眠りが浅いと、肝がしっかり血を蓄えられず、
翌朝、心が落ち着かなくなりやすい。
私も、そんな朝を何度か迎えた。
まだ薄暗い台所で湯を沸かしながら、
昨夜の自分にそっと声をかける。
「眠れなかったね。でも大丈夫。」
手帳を開いて、
「眠り:浅い」「頭:熱っぽい」「気分:焦り」
と書き込む。
それだけで、心のどこかが少し冷えていく気がする。
眠れない夜は、自分を責めるより、
「今は陰を蓄える途中なんだ」と思えばいい。
夜は“回復の時間”だけでなく、
体が自分を修復する“静かな仕事”の時間でもある。
夜の火がやわらぎ、再び眠りに落ちるまでのあいだ、
お茶の湯気をゆっくり見つめる。
そのひとときもまた、心を鎮める小さな養生。
手帳は心の気象計——観察することで風が通る
私たちは毎日、外の天気を気にして過ごしている。
晴れなら洗濯をし、雨なら傘を持つ。
けれど、自分の“内側の天気”には、なかなか気づかない。
イライラ、ため息、眠気、だるさ。
それらは、心と体の気象変化のサインだ。
東洋医学でいう「気(き)」の流れは、天気と同じように、
風に吹かれ、湿り、熱を帯び、ときに冷える。
その日その日の気の移ろいが、感情や体調となって現れる。
手帳は、その小さな天気図を描く場所だ。
ページをめくれば、過去の自分の空模様が並んでいる。
「低気圧の日は頭痛」「湿気が多いと食欲が落ちる」
そうやって気づいた小さなパターンが、
未来の自分を守る地図になっていく。
観察することは、整えることのはじまり。
“気づく”だけで、気は少し流れを取り戻す。
無理に元気になろうとしなくてもいい。
ただ、自分の内側で何が起きているかを見つめるだけで、
そこに風が通う。
外の空がどんな天気でも、
心の空に少し光が射すような、そんな時間を持てたら。
その静かな気づきこそが、
養生という言葉の本当の意味なのだと思う。
今日の小さな養生——ゆるめて流す
怒りや焦りは、押さえつけるより“流す”ほうが早くやわらぐ。
だから今日からできる、小さな養生を3つ。
① 肝をなだめる香りをひとつ
のびのびした香りを好む肝には、
ラベンダー・ミント・柑橘がよく合う。
朝の支度のとき、ハンカチに一滴。
通勤中の車内やデスクでも、香りが気を巡らせてくれる。
② 気の渋滞をほどく呼吸
胸の真ん中や肋骨の際を、手のひらでゆっくり撫でる。
深く吸って、長く吐く。
ため息ではなく“風を送る”ように。
これだけで、胸のあたりの詰まりがすっと軽くなる。
③ 湿気を追い出す食材を食卓に
はと麦、大豆、セロリ、春菊。
体の水を流し、香りで気を動かす食べものたち。
いつもの味噌汁に刻んで入れるだけでもいい。
「整えること」は特別なことではなく、
いつもの食卓の湯気の中にもある。
外の雨はまだやまない。
けれど、ページの上の小さな文字たちが、
心の奥の重さを少しずつ溶かしていく。
——今日も、小さな養生を。

Wrote this article この記事を書いた人
ミカ
手帳と暮らすミカです。 薬剤師・和漢薬膳師として、心と体の「めぐり」を見つめながら暮らしています。 40代を迎え、心や体の声に耳を澄ます日々。 手帳を開く時間は、私にとって小さな養生であり、静かな儀式です。 ここでは、ほぼ日手帳に綴る日々の出来事や心の揺れを通して、 「人間らしく生きる」ためのヒントを探しています。