04:東洋医学の知識は「自分のトリセツ」を手に入れること

04:東洋医学の知識は「自分のトリセツ」を手に入れること

疲れを感じても、「みんな頑張っているから」と無理をしてしまう。
それは根性の問題ではなく、体の仕組みを知らなかっただけかもしれない。
東洋医学を学ぶことは、“治す”ことよりも“自分を理解する”こと。
この章では、知識を暮らしに落とし込み、手帳を「体のトリセツ帳」に変える方法を見ていく。

社会人になりたての頃、私は「疲れ」を誤魔化していた

入社したての朝。
満員電車のつり革を握りながら、メールの未読数を数えていた。
始業前から、心はもう仕事の中にある。

夜、帰宅しても気を抜けず、
机の上には栄養ドリンク。
「これで明日も頑張れる」と信じて、
体の悲鳴を“やる気”のせいにしていた。

疲れているのに休めない。
休むことが“怠け”だと思っていた。
「みんなやってる」——その言葉が、唯一の安心材料だった。

でも、ある日気づく。
朝からもう疲れている。
夜になっても、眠っても、リセットされない。
体の奥で、小さく「もう無理」とつぶやく声が聞こえた。

それでも私は、聞こえないふりをした。
努力をやめることが怖かった。

今になって思えば、
あの頃の私は“頑張りすぎ”ではなく、
ただ気(き)を巡らせる力を失っていただけ。

体は何度もサインを出していたのに、
私はそれを「甘え」と呼んで、
無理を続けてしまっていたのだ。

間違った自己対処の積み重ね

私は「正しく頑張る」方法を知らなかった。

イライラした日は甘いものを食べ、
冷えた日はアイスコーヒーでリセット。
疲れたときほど「寝なくても大丈夫」と気合で押し切った。

どれも、一見前向きな習慣に見える。
けれど実際は、脾(ひ)や陽気(ようき)を消耗させていた。
つまり、「エネルギーの貯金」を無自覚に使い果たしていたのだ。

疲れを不調だと認めることは、
“負けを認める”ようで怖かった。
だから私は、自分の体に“無理を説得”していた。

今思えば、甘いものも、冷たい飲み物も、
そのときの自分なりのSOSへの処方箋だったのだ。
ただ、それが正しい方向ではなかっただけ。

東洋医学を学んでから気づいた。
体は、壊れる前にちゃんとサインを出している。
“だるさ”も“冷え”も“イライラ”も、
「気が滞っていますよ」という優しい注意喚起だったのだ。

西洋医学と東洋医学、それぞれの役割

体が重くて病院へ行っても、
「異常なし」と言われる日が続いた。
安心するどころか、心が置き去りになったようだった。

そんなとき、東洋医学の本を開いた。
そこに書かれていたのは——「陰と陽」。
あたためる力(陽)と、冷ます力(陰)。
それがちょっと傾くだけで、体は揺らぐという。

その言葉を読んだ瞬間、
私は初めて“私の中にもバランスがある”と知った。
疲れは性格ではなく、ただの偏り
そう気づくと、心がふっと軽くなった。

西洋医学は「数値で病を見つける学問」。
東洋医学は「巡りで人を整える学問」。
どちらも正しく、どちらも必要。
ただ、見ている角度が違うだけ。

病気ではないけれど、元気でもない——
その曖昧な場所に、
東洋医学は「未病(みびょう)」という名前をつけてくれた。

それを知った瞬間、私はようやく思った。
「ここに、私の立つ場所があったんだ」と。

東洋医学は「自分を扱う説明書」

学びを深めるうちに、
東洋医学は“心と体の翻訳書”だと思うようになった。

たとえば、イライラして顔が熱くなるとき。
それは「肝(かん)の気が滞っている」サイン。
お腹が張るときは、「脾(ひ)」の弱り。
眠れない夜が続くときは、「腎(じん)」の疲れ。

これらを知っているだけで、
「私はダメな人間だ」と思わずに済む。
体はちゃんと理由を持って揺れている。

知識があると、焦りが減る。
原因を知れば、手当てが見えてくる。
それが東洋医学のいちばん優しいところだと思う。

東洋医学は、
自分を理解し、扱うための“トリセツ”。
読むたびに、
「今の私をどう整えよう」と、
そっと心が自分のほうを向いてくれる。

手帳を「トリセツ管理帳」に変える

知識を得たら、今度は“記録”してみよう。
体の変化は、日々の中にこそ現れる。

やり方は簡単。
① 不調と対処をセットで書く。
「白湯でお腹が軽くなった」「香りで気分が落ち着いた」——それだけで十分。
② なんとなく変な日を一言メモ。
③ 小さな習慣をチェックして、できた日に印をつける。

手帳をめくるたび、
そこにあるのは“反省の記録”ではなく、“自分を知る記録”。
それが積み重なっていくうちに、
あなたの体のトリセツが完成していく。

今日の小さな養生

夜、白湯をひと口。
ベルガモットの香りを吸い込みながら、
深く、ゆっくり息を吐く。

整えることは、
何かを足すことではなく、
すでにある力を思い出すこと。

ページの余白に残した言葉たちが、
あなたの体のトリセツを今日も静かに更新している。

——明日のあなたが、少しやわらかく笑えますように。

今日も小さな養生を。

Wrote this article この記事を書いた人

ミカ

手帳と暮らすミカです。 薬剤師・和漢薬膳師として、心と体の「めぐり」を見つめながら暮らしています。 40代を迎え、心や体の声に耳を澄ます日々。 手帳を開く時間は、私にとって小さな養生であり、静かな儀式です。 ここでは、ほぼ日手帳に綴る日々の出来事や心の揺れを通して、 「人間らしく生きる」ためのヒントを探しています。

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