子供会が「負担」になりやすい理由
子供会の役員がなかなか決まらない。
その理由は、決して「みんなが冷たくなったから」でも「地域に関心がなくなったから」でもない。
ただ、今の暮らしのリズムと、昔ながらの子供会の形が、もう合わなくなってきているだけだと私は思っている。
今は共働きの家庭が多い。
平日は仕事でいっぱいで、帰宅すれば家事と子どものこと。
週末もゆっくり休みたいけれど、やることは山ほどある。
そんな中で、「行事の準備をお願いします」「役員を一年お願いします」と言われると、どうしても心が重くなる。
やりたくないのではなくて、余白がない。
それが本音なのだと思う。
私の家庭も同じだ。
夫婦ともに働いていて、息子はスポーツに打ち込んでいる。
土日はほとんど遠征で埋まり、送迎もある。
地域のイベントに参加する余裕なんて、ほとんど残っていない。
それでも私が役員を引き受けたのは、
“田舎だからこそ、人とのつながりを大切にしたい”
その思いがどこかにあったからだ。
でも、同じ状況の家庭が、私と同じように思えるとは限らない。
働き方も、家族の事情も、優先したいことも違う。
だからこそ、昔のように「順番だから」「みんなでやるものだから」という前提だけでは、もう回らなくなってきている。
役員をやる人が減っているのは、地域への無関心ではなくて、
今の生活にフィットしない仕組みのまま、続けようとしているから。
その事実をいったん受け止めることが、子供会のこれからを考える最初の一歩になるのだと思う。
少子化と共働きの今、従来型の役員制度はもう合わない
子供会の役員を経験してみて、「これは今の時代とはズレているな」と強く感じた場面がいくつかある。
そのひとつが、夜に集まることが当たり前になっている会議の文化だ。
仕事を終えて帰宅するのは夕方。
そこから夕飯をつくり、食器を洗い、明日の準備をして……
ようやくひと息つけるのが夜の時間だ。
そこに「役員会があります」と予定が入る。
オンラインではなく対面で、しかも参加が“当然”という空気。
このタイミングで家を空けるのは、正直かなりつらい。
さらに、子供会の役員には “固定された役割” が多い。
書記、会計、会長──名前は立派でも、実際の仕事量は偏りがちだ。
「昔からこの形でやってきたから」という理由で、役割の配分が見直されない。
そして、負担の重いポジションにはなかなか手が挙がらない。
少子化で家庭の数自体が減っているうえ、共働きがほとんど。
必然的に なり手が少なくなり、気づけば数人に大量の仕事がのしかかる。
行事の準備、買い出し、名簿作成、会計処理、連絡、当日の運営──。
ひとつひとつは小さなタスクでも、積み重なるとあっという間にオーバーフローしてしまう。
役員を続けるほどに、
“これはもう無理のある仕組みなんじゃないか”
という思いが、じわじわと胸に広がっていった。
子供会ができた頃は、家庭の時間の流れも、働き方も、地域の人口構成もまったく違ったはずだ。
夜に集まることも、役割が固定されていることも、“そのほうが動きやすかった時代”に生まれたものなのだろう。
でも今は、夕方から夜は家庭が最優先の時間。
共働きは当たり前で、子どもは習い事やスポーツで週末が埋まる。
少人数で役割を回すのが前提では、誰かが必ず疲弊してしまう。
昔ながらの形式を続けることが悪いわけではない。
ただ、あの頃の暮らしの前提が、もう今には合わなくなっている。
そのズレを見ないふりして続けようとすると、苦しいのはいつも“できる人”ばかりだ。
だからこそ、子供会の仕組みは、時代に合わせて軽やかに変わっていい。
むしろ変えないと、続かない。
負担を減らすために必要なのは、「役員=責任者」という発想からの脱却
子供会の役員をしていると、いつの間にか “責任” がごく一部の人に集中していく。
気づけば、会長・副会長・会計……肩書きのある役職にばかり、重たい荷物が積み上がっていく。
でも、そこに私は長いあいだ違和感を抱いていた。
役員になった瞬間、「失敗できない」「ちゃんとやらなきゃ」という空気がまとわりつく。
まるで、役員=責任をすべて背負う人、のように扱われるからだ。
本来は“地域の子どもたちのために、ちょっと力を貸す人”のはずなのに、役に就いた途端に急に重圧が増す。
この構造こそが、負担の偏りを生み続けている。
実際のところ、役員一人が全部を把握して、全部を完璧にこなす必要なんてないはずだ。
たまたま立候補しただけ、順番が回ってきただけ。
その事実と、背負わされる責任の量が釣り合っていない。
責任が集中するから、みんなが役員をやりたがらなくなる。
そして、なり手が減るほどに、ますます一部の役員に仕事が押し寄せる。
これは負のループだ。
本当は、もっと“軽やかでいい”と思っている。
たとえば、イベントごとに細かく担当を区切るとか、得意な人が得意な部分だけを引き受けるとか。
会計は数字が得意な人に、買い出しは近所のスーパーに行きやすい人に、連絡はマメな人に。
役職による上下関係ではなく、「できる人が、できる範囲で」を前提にしたらいい。
責任を一か所に集めるのではなく、
小さな役割をみんなでシェアする形にすれば、誰か一人が極端に疲弊することもない。
私は、役員を経験してみて強く思った。
子供会は、誰かの“献身”で成り立つ場所ではなくていい。
完璧を目指す必要もない。
地域のつながりをつくる手段なのだから、もっとゆるくていいし、もっと分散していい。
責任を背負う人を決める仕組みから、みんなで小さく持ち寄る仕組みへ。
それが、負担を軽くしていく第一歩だと思っている。
私が地域で感じた“時代とのズレ”と、静かな気づき
役員をやっていて、心のどこかがざわついた瞬間がある。
それは、子どもたちの放課後の過ごし方が、昔とはまったく違う という現実に気づいたときだ。
私が子どもの頃は、放課後といえば部活動が中心だった。
学校のグラウンドや体育館で練習するのが当たり前で、親が送り迎えをする必要はほとんどなかった。
だから、地域のイベントに参加する余裕も、気力も、自然と残っていたのだと思う。
でも今は違う。
部活動が縮小され、代わりにスポーツクラブや民間の教室に通うのが一般的になった。
練習場所は学校の中だけではなく、地域の施設や体育館、時には隣町。
そのたびに、親が送り迎えをする。
“子どもの活動=親の活動”
そう言ってもいいくらい、親の負担は確実に増えている。
平日も週末も、家族のスケジュールは子どものスポーツでいっぱいになる。
そこに「子供会のイベントがあります」「準備をお願いします」と言われると、心の余白はあっという間にすり減ってしまう。
できないわけじゃない。
でも、あの頃のようにはできない。
さらに、子どもたち自身の世界も広がっている。
スポーツ、習い事、友達同士の遊び、ゲーム、動画……
地域のイベントよりも、子どもたちにとって魅力的な選択肢は増えている。
「地域のつながり」だけが唯一の楽しみ、という時代ではもうない。
そんな変化の中で、昔ながらの子供会の形だけを“そのまま”続けるのは難しい。
心のどこかでそう感じつつも、地域によってはまだ“変わらないまま”の仕組みが残っている。
役員をしながら私は何度か思った。
これは誰のための仕組みなんだろう。
この負担の多さは、本当に今の家庭に合っているんだろうか。
子どもたちも、親も、暮らし方が大きく変わっているのに──。
だけど、気づいてしまったからこそ見えてきたものもある。
子供会は昔の形のまま続ける必要はなくて、
今の暮らしに寄り添う“新しい関わり方”に変えていく時期に来ているのだ、と。
それは、地域を切り捨てるという意味ではなく、
“続けられる形”にそっと組み替えるということ。
子どもたちの笑顔を守るためにも、家庭の余裕を守るためにも。
これからの子供会は「できる人が、できる範囲で」が前提になる
子供会を続けていくうえで、私がいちばん大事だと思うのは、
“できない人を責めない仕組み” だ。
今の暮らし方は、本当に多様だ。
共働きで忙しい家庭。
スポーツや習い事で週末が埋まっている家庭。
介護がある家庭。
ひとり親家庭。
体調に波のある人だっている。
そんな中で、「全員参加が前提」の子供会は、どうしても無理が生まれる。
「できる人がやってくれればいい」という柔らかい土壌があれば、
できない人は安心できるし、できる人も無理を背負わずにすむ。
そしてもうひとつ、私が強く感じたのは、
オンライン化できる部分はどんどんオンライン化したほうがいい ということ。
夜の対面会議をやめて、LINEやZoomで短く済ませるだけで、
家庭の負担はぐっと軽くなる。
わざわざ夜に家を空けなくていいし、移動の時間もいらない。
資料もリンクで共有できるし、欠席者にメモを渡す必要もなくなる。
地域のイベント自体は、子どもたちの思い出として残したい。
でも、準備の進め方は昔のままである必要はない。
オンラインのほうが効率がいいことは、たくさんある。
さらに言えば、役職という形自体にこだわらず、
イベント単位の小さな担当制 にするのもいい。
「今回は買い出しだけお願い」
「次は名簿だけつくるね」
そんな風に細分化して、できる人ができる作業だけを持ち寄る。
責任を背負う人を決めるのではなく、
作業を分散して、軽やかに続ける。
そのほうがずっと現実的だし、続けやすい。
子供会は「大変なことをがんばる場所」ではなくて、
子どもたちが地域の中のあたたかさを知れる場所であってほしい。
そして親たちも、負担を抱え込みすぎずに、
ゆるやかなつながりを感じられる場所であってほしい。
昔の形に合わせるのではなく、
今の暮らしに沿った“続けられる形”を選びとる。
その小さな変化が、子供会をこれからの時代にフィットさせてくれるはずだ。
今日も小さな養生を。
