「また来ない…」生理の乱れと朝のPTA。心だけが少し置いていかれる日

「また来ない…」生理の乱れと朝のPTA。心だけが少し置いていかれる日

生理が来ない朝、体だけが置いていかれるようで

生理が来そうで来ない朝が、
もう、何日も続いている。

下腹部はチクチク。
むくみも強くて、指先まで重たい。
眠気は深い霧みたいに身体にまとわりつく。

「今日こそ来るかな」
そんな気配だけはあるのに、
肝心のその日が訪れない。

気づけば、遅れはもう2週間。

朝、台所で立ち止まって、
ふっと思った。

──もう、考えたくない。

焦りでも不安でもなく、
ただただ“疲れ”に近い感情。
何度も期待して、何度も裏切られたみたいに、
気持ちがくしゃっとしぼんでしまう。

40代になってから、
生理のリズムはどんどん気まぐれになった。

以前はきっちり来ていたのに、
今は、35日だったり40日だったり。
今回みたいに、長く空白が続くことも増えた。

身体は確かに変わってきている。
むくみ、眠気、下腹部の違和感。
小さなサインが積み重なって、
「ゆっくりでいいよ」と囁いてくる。

でも、私はまだその“変化”に慣れなくて。
受け入れたい気持ちと、
立ち止まりたくない気持ちが、
胸の奥で静かにせめぎ合っていた。

そんな揺れを抱えたままの朝。
淡い光が差し込むキッチンで、
私はただ、自分に言い聞かせていた。

今日も、自分のペースでいこう。

頭痛とPMSの重なる日、暮らしのリズムが少し乱れる

朝、目が覚めた瞬間から、
こめかみがギュッと締めつけられていた。

ズキズキでも、ガンガンでもない。
ただ“掴まれて離されない”ような痛み。
息を吸うたびに、その締めつけが輪郭を強めていく。

「今日は無理かもしれない」
そんな弱音が、一度だけ胸に浮かんだ。

生理が遅れているときの頭痛は、
いつもの偏頭痛とは少し違う。
PMSのゆらぎの中に
ホルモンの波が混ざり合って、
身体の内側からぎゅっと押されるような感覚になる。

家事の段取りを組もうとしても、
頭の奥がじんわり重くて、
いつものスピードでは動けない。
ホットミルクを温める手でさえ、
どこかゆっくりになってしまう。

「なんでこのタイミングで…」
そう思うたびに、
身体は容赦なくサインを送ってくる。

眠気。
むくみ。
締め付ける頭痛。

どれも大きな不調じゃないのに、
小さな石ころがいくつも道に転がっているように、
歩くたびにペースが乱される。

40代の体は、もう“昨日の延長”で動いてはくれない。
ちょっとした睡眠不足やストレス、
気圧の変化にも敏感になっている。

頭痛のせいで、
朝の空気まで重たく見える日もある。

でも、こうして記録してみると、
「今日はペースを落としていい日なんだ」と
気づかせてくれる。

ゆらぎに合わせて、
私の暮らしのリズムも変えていく。
そんな柔らかさが必要な日なのだと思った。

どうして朝にPTAはやってくるんだろう

朝のバタバタした時間に、
PTAの予定が入っていると、
それだけで心がずしんと沈む。

子どもたちの支度をして、
自分の仕事のスイッチも入れなきゃいけない時間帯。
そこに“PTAの役割”が滑り込んでくると、
身体の重さが、そのまま心に移ってくる。

「なんで、朝なんだろう。」

そう思わずにはいられなかった。

みんな働いている。
ママも普通にフルタイムで仕事している時代。
それなのに、PTAだけは
まるで昭和の時間割を引きずったまま、
“朝一に集合”が当然のように続いている。

制度も空気も、どこか昔のまま。

「この時間しかやらない理由って、あるのかな」
そう思ったけれど、
たぶん誰も深く考えてこなかっただけなのだろう。

今日みたいに体調が揺れている日には、
その“当たり前”が、特に重たく感じる。

こめかみの締めつける痛み。
生理が来ない不安。
むくんだ身体。
どれも抱えたまま、
家を出るための準備をしなきゃいけない。

PTAの予定が嫌なのではなくて、
“朝の余白が奪われる”ことが苦しいのだ。

あの時間帯は、
私にとっては自分を整える大事なひととき。
仕事へ気持ちを切り替えるための、
静かな助走みたいなもの。

そこに突然、
「今日お願いします」と割り込んでくると、
心のリズムが一気に乱れてしまう。

みんな働いているのに、
どうして制度だけは変わらないんだろう。
誰も悪くないのに、
誰も困っていないようにふるまうのが、
少しだけ苦しかった。

子どもが1つを食べきるようになったこと

PTAの予定に追われて、
体調にも振り回された朝。

ふと手帳を開いて、
ページの隅に貼った写真。

あの日のことを、
突然、思い出した。

おやつに買ったケバブを、
昔は「半分こ」が定番だったのに、
最近は気づけば、
“1つをまるまる”食べられるようになっていた。

あのとき私、
なんとなく写真を撮ったんだけど、
特別な意味なんてなかった。

でも今朝、その写真が
小さな光みたいに胸に差し込んできた。

「成長したんだな」

そんな言葉が、
自然と心に浮かんだ。

体調は重くて、
頭痛も続いていて、
生理も来なくて、
PTAもあって……
今日は全部が“重たいほう”に傾いていた。

でも子供たちとのやり取りを思い出すと、
その重さが少しだけやわらぐ。

子どもは、ちゃんと前に進んでいる。
ゆっくりでも、確実に。

その姿が、
体調に振り回される私の心を、
そっと立て直してくれる。

「今日もなんとかなるかもしれない」

そんな希望を
小さく灯してくれる瞬間だった。

体調は揺れても、暮らしの中に戻ってくる光がある

正直、今日はずっとしんどかった。
生理は来ないし、頭も締めつけられるし、
PTAの予定も朝にあって、
心も体もペースを崩したまま。

「何か良いことないかな」
なんて思う余裕もなくて、
淡々と時間だけが流れていった。

でも、キッチンの隅に置きっぱなしだった
ドラッグストアの“おまけのスティックコーヒー”を見つけたとき、
ふっと心がほどけた。

まったく期待していなかったタイミングで、
小さな“ご褒美”みたいに現れるものってあるんだなと思った。

カップにお湯をそそぐと、
思った以上にいい香りが立ちのぼる。
その湯気に包まれて、
胸の奥の重さが少しだけゆるんだ。

体調は最悪でも、
こういう小さなことで気持ちは救われる。

ケバブを食べきった子どもの写真とか、
ちょっと得したスティックコーヒーとか、
ほんの些細な光。

大きな幸せじゃなくていい。
こういう“ちいさな嬉しさ”が、
暮らしの中で私をそっと支えてくれる。

40代の体は揺れる。
気分も波立つ。
でも、その揺れの中で見つける小さな灯りが
ちゃんと今日を支えてくれた。

ほんの一杯のコーヒーで、
私はやっと、深く息ができた気がした。

今日も小さな養生を。



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Wrote this article この記事を書いた人

ミカ

手帳と暮らすミカです。 薬剤師・和漢薬膳師として、心と体の「めぐり」を見つめながら暮らしています。 40代を迎え、心や体の声に耳を澄ます日々。 手帳を開く時間は、私にとって小さな養生であり、静かな儀式です。 ここでは、ほぼ日手帳に綴る日々の出来事や心の揺れを通して、 「人間らしく生きる」ためのヒントを探しています。

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