祝日なのに仕事でもつらくないのはなぜ?40代が感じるストレスの正体と心が疲れる本当の理由

祝日なのに仕事でもつらくないのはなぜ?40代が感じるストレスの正体と心が疲れる本当の理由

祝日なのに仕事でも意外と平気な日があるのはなぜ?

祝日なのに仕事。
本来なら、ため息がひとつ増えてもおかしくないはずなのに、今日はなぜか心が静かだった。

カレンダーは赤いのに、通知音は少ない。
街も、メールボックスも、どこかゆるやかで、仕事をしているはずなのに追い立てられる感じがしない。
「祝日出勤=つらい」と思い込んでいたけれど、必ずしもそうじゃない日があることに、最近やっと気づいた。

祝日の仕事がつらいかどうかを決めているのは、
仕事の量よりも、心の消耗具合なのかもしれない。

普段の平日は、タスクそのものよりも、
「すぐ返事をしなきゃ」「空気を読まなきゃ」「波風立てないように」
そんな見えない緊張が積み重なっていく。
それが、知らないうちに心をすり減らしている。

一方で、祝日はその圧がふっと弱まる。
連絡が少なく、会議もなく、誰かの顔色をうかがう場面も減る。
ただ淡々と、自分のペースで仕事ができる時間が流れる。

だから、祝日なのに仕事でも、意外と平気な日が生まれる。
それは「仕事が好き」だからでも、「我慢強い」からでもない。
余計な刺激が少ない環境が、心を楽にしてくれているだけなのだと思う。

もし「祝日なのに仕事してるのに、今日はつらくない」と感じたら、
それはあなたが冷たいわけでも、鈍感なわけでもない。
むしろ、自分にとって何がストレスで、何が負担になっているのかを、
ちゃんと体が教えてくれているサインなのかもしれない。

祝日出勤が楽だった理由を否定しなくていい。
そこには、これからの働き方を考えるヒントが、静かに隠れている。

仕事そのものより「人とのズレ」がストレスになる40代の働き方

仕事がつらい、と感じる日。
その原因を「業務量」や「忙しさ」だと思っていたけれど、よく振り返ると、そこじゃないことが多い。

むしろ心を重くしているのは、
考え方の違い、価値観のズレ、言葉にされない圧力。
仕事そのものよりも、「人」との間に生まれる違和感が、じわじわと効いてくる。

意見を言っても、どこか噛み合わない。
説明しても、理解されていない気がする。
正しさの問題ではなく、見ている方向が違うだけなのに、そのズレを埋めるために、こちらばかりが気を使ってしまう。

40代になると、この消耗がはっきりわかるようになる。
若い頃のように、「まあいいか」で流せなくなるのは、心が弱くなったからじゃない。
経験を重ねた分、自分の大切にしたい軸がはっきりしてきたからだ。

だからこそ、
仕事自体は嫌いじゃないのに、職場の人間関係で疲れてしまう。
やる気がないわけでも、能力が落ちたわけでもないのに、心だけが先に摩耗していく。

祝日の仕事が楽に感じたのなら、
それは「業務」から解放されたのではなく、
人との摩擦が一時的に減っただけなのかもしれない。

この気づきは、とても重要だ。
なぜなら、ストレスの正体を間違えたままでは、
いくら休んでも、いくら環境を変えても、心は回復しにくいから。

仕事がしんどいと感じたとき、
「仕事が嫌なのか」「人とのズレがつらいのか」。
そこを切り分けて考えられるようになると、
自分を責める気持ちは、少しだけ静まっていく。

在宅勤務で気づいた「ストレスを感じにくい仕事環境」の条件

私の働き方は、少しだけ特殊だ。
従業員のほとんどが出社している中で、私だけが在宅勤務をしている。
選んだというより、そういう形になった、というほうが近い。

毎日在宅で仕事をしていると、
「楽そう」「気楽でいいね」と言われることもある。
けれど実際は、仕事が軽いわけでも、責任が少ないわけでもない。
ただ、仕事に付随する刺激の種類が違うのだと思う。

オフィスにいない分、
雑談も、空気の共有も、場の熱量も伝わってこない。
それは少し寂しくもあるけれど、
同時に、心をすり減らす要素が減っていることにも気づいた。

誰かの視線を気にしなくていい。
言葉の裏を読みすぎなくていい。
「その場の空気」に合わせて、自分を微調整し続けなくていい。
その分、仕事そのものに集中できる。

ストレスを感じにくい仕事環境とは、
華やかでも、効率一辺倒でもなく、
自分の感覚を守ったまま働ける場所なのだと思う。

毎日在宅で働いていて、心が少し静かでいられるのなら、
それは甘えているからではない。
あなたの体と心が、
「この距離感が、今の私にはちょうどいい」と
静かに答えを出しているだけなのかもしれない。

モヤモヤが溜まらない人が無意識にやっている心の整理法

仕事が終わったあと、理由ははっきりしないのに、胸の奥がざわつく日がある。
大きな出来事があったわけでもない。
誰かに強く責められたわけでもない。
それでも、心のどこかに、薄い膜のような違和感が残っている。

モヤモヤが溜まりやすい人と、そうでない人の違いは、
気にしない力の強さではないと思う。
違いがあるとすれば、その感覚を放置するか、拾い上げるかだ。

モヤモヤが溜まらない人は、
「まあいいか」で蓋をする前に、
一度だけ立ち止まって、自分に問いかけている。
何が引っかかったのか。
どの言葉が、どんなふうに残っているのか。

答えは、きれいじゃなくていい。
説明になっていなくてもいい。
「なんとなく嫌だった」
「置いていかれた気がした」
そんな曖昧な言葉でも、外に出すことで、感情は形を持ちはじめる。

40代になると、
感情を飲み込むことには慣れている。
だからこそ、飲み込んだままの気持ちが、
少しずつ澱のように溜まっていく。

心の整理は、解決策を探すことではない。
自分の中で起きたことを、
「起きたまま」に認めてあげることだと思う。

言葉にした瞬間、
モヤモヤは消えなくても、重さは変わる。
抱え込むものから、隣に置けるものへ。

無意識に心を整えている人は、
感情を追い払わない。
そっと名前をつけて、静かに手放している。

「仕事がつらい」の正体を言語化すると、心は少し静かになる

「仕事がつらい」と感じるとき、
その言葉はとても便利で、同時にとても曖昧だ。
忙しいからなのか、人間関係なのか、環境なのか。
ひとつにまとめてしまうことで、考える手間は省けるけれど、
本当の理由は、見えにくくなってしまう。

祝日なのに仕事でも、心が静かだった日。
その感覚は、「まだ大丈夫」というサインではなく、
何が自分を疲れさせているのかを教えてくれるヒントだったのかもしれない。

仕事そのものは、嫌いじゃない。
ただ、考え方の合わない相手との距離や、
理解されないまま進む会話、
説明し続けなければならない立場が、
少しずつ心を消耗させていた。

それに気づけたとき、
「自分が弱いからつらい」という考えは、静かにほどけていく。
つらさの正体は、能力不足でも、根性のなさでもない。
今の自分に合わない刺激が、長く続いていただけだ。

言語化することは、答えを出すことではない。
白黒つけるためでも、結論を急ぐためでもない。
ただ、自分の感じていることを、
そのままの言葉で受け止める行為だ。

「仕事がつらい」を分解してみる。
どこが、いつから、どんなふうに。
そうやって見えてきた輪郭は、
これからの働き方を考えるときの、静かな指針になる。

今日の違和感に、今日の言葉を与えてあげる。
それだけで、心は少しだけ静かになる。

今日も小さな養生を。



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Wrote this article この記事を書いた人

ミカ

手帳と暮らすミカです。 薬剤師・和漢薬膳師として、心と体の「めぐり」を見つめながら暮らしています。 40代を迎え、心や体の声に耳を澄ます日々。 手帳を開く時間は、私にとって小さな養生であり、静かな儀式です。 ここでは、ほぼ日手帳に綴る日々の出来事や心の揺れを通して、 「人間らしく生きる」ためのヒントを探しています。

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