ワーママは子どもの習い事スケジュールに疲れる。試合予定が突然入る日の本音

ワーママは子どもの習い事スケジュールに疲れる。試合予定が突然入る日の本音

仕事の予定管理だけでも精一杯なワーママの日常

朝、パソコンを立ち上げる前に、頭の中で一度その日の段取りをなぞる。
会議の時間、締切、返信しなければならないメール。
その合間に、夕方の買い出しや夕飯のこと、子どもたちの帰宅時間を重ねていく。

ワーママの一日は、
「今やっていること」と
「このあとに控えていること」が、
常に同時進行で流れている。

仕事の予定だけでも、本当は十分に複雑だ。
急な修正、予定変更、誰かの都合で前倒しになる打ち合わせ。
それでも「仕事だから」と、気持ちを切り替えて対応する術は、いつの間にか身についてきた。

そのうえで、家庭の予定がある。
習い事の送迎、学校行事、体調不良の可能性。
ひとつひとつは小さなことでも、積み重なると確実に心のスペースを埋めていく。

スケジュール帳を開くと、
余白がないわけではないのに、
心にはあまり余裕が残っていないことに気づく。

「これ以上、予定を増やしたくない」
そんな本音が、ふと胸をよぎることもある。

決して、仕事が嫌なわけではない。
子どものことが負担なわけでもない。
ただ、両方を大切にしたいからこそ、
一つひとつの予定に、きちんと向き合うエネルギーが必要になる。

だからこそ、
ワーママにとってのスケジュール管理は、
単なる時間割ではなく、
自分の気持ちをどう配分するか、という作業でもある。

仕事の予定を整えるだけで、すでに精一杯。
そこへ、もう一枚、予定がそっと重なるとき。
心のどこかに、ざらりとした感触が残る。
名前のないモヤモヤは、たいていそういう時に生まれる。

ぽんっと入る子どもの試合予定に、モヤモヤしてしまう理由

ある日、何気なく聞かされる。
「来週、練習試合が入ったみたい」
それだけの一言なのに、胸の奥がきゅっと縮む。

怒りたいわけじゃない。
予定が増えたこと自体が、問題なわけでもない。
ただ、その予定が、いつの間にか決まっていて、
こちらの都合は特に問われていなかった、という事実に引っかかってしまう。

仕事の予定は、すべて自分で引き受けて、調整して、責任を持つ。
だからこそ、家庭の予定も「一緒に考えたい」と、どこかで思っているのかもしれない。

「この日は空いている?」
「調整できそう?」
そんな一言がチーム内にあるだけで、気持ちはずいぶん違う。

ぽんっと予定を置かれると、
それをどう収めるかを、また自分が考えることになる。
仕事をずらすか、誰かに頼むか、諦めるか。
その選択肢を、一瞬で頭の中に並べる作業が始まる。

モヤモヤの正体は、
予定そのものではなく、
また一つ“調整役”を引き受けた感覚なのだと思う。

誰も悪くない。
グループLINEは、ただ予定を伝えているだけ。
指導する側も、決められた日程を知らせているだけ。

それでも、
自分のスケジュール帳の余白が、少しずつ削られていく感覚に、
心が追いつかなくなる瞬間がある。

「仕事もあるのに」
「行けないかもしれないのに」
そんな思いが浮かんでは消え、
言葉にできないまま、胸の奥に溜まっていく。

ワーママのモヤモヤは、
わがままでも、冷たさでもない。
日々、あらゆる予定を抱えながら、
なんとか両立しようとしている証拠なのだと思う。

そして、このモヤモヤは、
次にやってくる別の感情へと、静かにつながっていく。

付き添えないことへの申し訳なさは、簡単に消えない

モヤモヤの奥には、もうひとつ、はっきりした感情がある。
それは、付き添えないかもしれない、という申し訳なさ。

本当は、行けるなら行きたい。
試合前の少し緊張した顔も、
コートに立つ背中も、
終わったあとの表情も、ちゃんと見ていたい。

子どもにとって、
親が来るかどうかは、案外大きな出来事だったりする。
「来てくれる?」と聞かれるたびに、
胸の奥が、少しだけ重くなる。

仕事があるから行けない。
それは事実で、言い訳ではない。
けれど、その理由をどれだけ自分の中で整理しても、
「ごめんね」という気持ちは、きれいには消えてくれない。

一方で、子どもは子どもで、
試合に向けて気持ちをつくっている。
予定が決まったときの、少し誇らしげな声。
「試合があるんだ」と話すときの、前向きな空気。

大人の都合だけで、
その気持ちを曇らせたくはない。
だからこそ、無理に不満をぶつけることもできず、
自分の中で静かに飲み込んでしまう。

行けないかもしれない。
でも、応援していないわけじゃない。
大切に思っていないわけでもない。

その間で揺れる気持ちが、
ワーママの心を、少しだけ複雑にする。

仕事も、子どもの時間も、
どちらも本気で向き合っているからこそ、
この申し訳なさは生まれるのだと思う。

前もって決まっている予定は私を助けてくれる

正直に言えば、
試合予定が「前もって決まっている」だけで、
気持ちはずいぶん楽になる。

突然ぽんっと知らされる予定ではなく、
少し先のカレンダーに、静かに書き込める予定。
それだけで、仕事の組み立て方が変わってくる。

この日は会議を入れない。
締切は前倒しにしておく。
誰かに頼む準備も、心の中で整えておく。

仕事と子どもの習い事を両立しようとするとき、
いちばんしんどいのは「調整そのもの」ではなく、
調整する時間も、気持ちの余裕もないまま判断を迫られることだ。

だから、予定が先にわかっていれば、
「行けないかもしれない」という事実も、
自分の中でゆっくり受け止めることができる。

行けないなら、その日は仕事に集中する。
行けるなら、仕事をきちんと終わらせて向かう。
どちらに転んでも、覚悟を決めて動ける。

前もって決まっている予定は、
私に「割り切れ」と言ってくるわけじゃない。
ただ、考える時間をくれる。

ワーママにとって必要なのは、
完璧な段取りでも、全部に参加することでもない。
自分なりに納得できる選択をするための、
ほんの少しの余白だ。

仕事の予定も、子どもの習い事も、
どちらかを犠牲にしなければ成り立たないわけではない。
整える時間さえあれば、
心置きなく仕事に向かえる日も、確かにある。

この感覚は、
「忙しいから仕方ない」と諦めることとは、少し違う。
ちゃんと向き合う準備ができた、という感覚に近い。

だから私は、
予定が決まっている試合を嫌いになれない。
それは、仕事と子どもの時間を、
どちらも大切にしようとする自分を、
そっと助けてくれるからだ。

子どもの習い事と仕事。その両方を続けていくために

ワーママの毎日は、
いつも選択の連続だ。

仕事を優先する日もあれば、
子どもの予定を最優先にする日もある。
どちらか一方を選んだからといって、
もう一方を大切にしていないわけではない。

子どもの習い事の試合予定が入ると、
スケジュール帳だけでなく、
心の中でも調整が始まる。

行けるかどうか。
付き添えるかどうか。
仕事にどんな影響が出るか。

その一つひとつを考える時間が、
あらかじめ用意されているかどうかで、
気持ちの負担は大きく変わる。

予定が前もってわかっていれば、
仕事に集中する日と、
子どもに気持ちを向ける日を、
自分なりに整理できる。

それは、
「どちらを優先するか」を決めるためではなく、
「どちらにも誠実でいるため」の準備なのだと思う。

突然決まる予定にモヤモヤするのは、
余裕がないからではない。
ちゃんと向き合おうとしているからこそ、
気持ちが追いつかなくなるだけ。

仕事も、子どもの習い事も、
どちらも生活の一部で、
どちらも簡単には手放せない。

だからこそ、
少し先が見えるだけで救われる日がある。
心置きなく仕事に向かえる日がある。

全部を完璧にこなさなくていい。
ただ、自分が納得できる形で続けていければいい。

ワーママのスケジュール管理は、
時間を埋めることではなく、
気持ちを整えることなのかもしれない。

今日も小さな養生を。



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Wrote this article この記事を書いた人

ミカ

手帳と暮らすミカです。 薬剤師・和漢薬膳師として、心と体の「めぐり」を見つめながら暮らしています。 40代を迎え、心や体の声に耳を澄ます日々。 手帳を開く時間は、私にとって小さな養生であり、静かな儀式です。 ここでは、ほぼ日手帳に綴る日々の出来事や心の揺れを通して、 「人間らしく生きる」ためのヒントを探しています。

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