キャリア, 手帳日記

初詣で大吉を引いた日。40代の働き方に気づきが生まれた理由

大吉を引いた瞬間にふっと軽くなった心

初詣の神社で、おみくじを手にしたあの一瞬。
白い紙を指先で開いた途端、「大吉」の文字が目に飛び込んできた。
思わず息がすっと抜けて、胸の奥にやわらかな風が通り抜けるような感覚があった。

ここ最近、ずっと仕事のことで悩んでいた。
在宅勤務で誰にも直接弱音を吐けないまま、モヤモヤが心に積もっていって、
「なんでこんなにうまくできないんだろう」
「もっと頑張らなきゃいけないのかな」
そんな言葉ばかりが自分の内側で鳴り続けていた。

だからこそ、「大吉」の二文字はただの運勢以上に、
私にとって“許可”のように感じたのだ。

──大丈夫、進んでいいよ。
──あなたは間違っていないよ。

そう、誰かにそっと背中を押されたような温度。

書かれている内容も、まるで今の私の状況に寄り添ってくれているかのようだった。
「他人のための骨折りが、巡り巡って自分の身に返る」
その一文を読んだだけで、不思議と涙腺の奥がじんと温かくなった。

私は、つい仕事でも家庭でも“誰かのため”を優先してしまう。
それは悪いことではないけれど、気づくと自分の気力をすり減らしてしまうことがある。
それでも、おみくじは「その姿勢は間違っていない」とそっと肯定してくれた気がした。

40代になってからの仕事の悩みって、20代の頃とはまったく違う。
ただスキルを伸ばせばいいわけではなく、
ただ頑張ればどうにかなるものでもない。
働き方、生き方、家族の時間、自分の体調——
そのぜんぶのバランスの上に成り立っている。

だからこそ、迷う。
立ち止まる。
悩みも深くなる。

でも、その迷いのなかで引いた「大吉」。
その二文字が、私にとっての小さな灯りだった。
「今年は、ちょっと前に進んでみてもいいのかも」
そう思えた瞬間、自分自身の重さが少しだけ軽くなった気がした。

おみくじの「骨折りが自分に返る」という言葉が胸に残った理由

「他人のための骨折りが、巡り巡って自分の身に返る」
初詣のおみくじの中で、この一文だけがやけに深く、静かに心に落ちていった。

たぶん、それは“今の私”が求めていた言葉だったから。

私はずっと、女性がもっと働きやすい社会になればいいと願ってきた。
子育てと仕事の両立が、罪悪感や無理の連続ではなく、
あたりまえの風景として成り立つような世界。
そのためにできることを、今の会社の中で探し続けてきた。

制度の提案をしたり、議論の空気を整えたり、
小さな違和感を拾って言語化したり——。
自分にできることを少しずつ積み重ねて、
「いつかきっと、働き方は変えられる」
そう信じて動いてきた。

けれど年末のある日、ふと気づいてしまった。
今の会社の構造では、この夢はたぶん叶わない。
努力がまっすぐ未来につながっていく実感を、
どうしても持てなかった。

その瞬間、自分の中に積み上げてきた想いが、
静かにほどけていくような、少し切ない感覚があった。
誰かを楽にしたくて続けてきたことが、
自分の未来にどう返ってくるのか見えなくて、
心がぽっかりと空白になった。

だからこそ、初詣で読んだあの言葉が沁みたのだと思う。

「骨折りが、巡り巡って自分に返る。」

私がしてきたことは、無駄じゃなかった。
たとえ今の会社では実を結ばなくても、
どこか別の場所で、別の形で、きっと返ってくる。
そう言ってくれているように感じた。

40代になると、
“努力が報われる場所を自分で選ぶ”ことの大切さを痛感する。
ただ頑張るだけではなく、
どの方向に力を使うかという選択が、
人生そのものを左右していく。

おみくじの小さな紙切れは、
今年の私に必要なヒントをくれたのかもしれない。
「あなたの骨折りは、ちゃんと未来につながっているよ」——
そう静かに背中を押すような言葉だった。

5年分の努力が揺れたとき、心に広がった静かな諦め

年末、会社の方針があっさりと変わったとき、胸の奥にひやりとした風が吹き抜けた。
怒りでもなく、ショックでもなく——
いちばん近いのは、静かな「諦め」だった。

私は5年間、ずっと信じてきた。
女性がもっと働きやすくなる未来を。
家庭と仕事のバランスを取りながら、
罪悪感に押しつぶされずに生きられる働き方を。
それを会社の中から少しずつ変えていけると、本気で思っていた。

だから、会議で何か意見を出すときも、
新しい制度の提案を考えるときも、
「誰かのためになるなら」と信じて力を込めてきた。

それなのに——
方針はほんの一言で覆った。
まるで積み木をゆっくり積み上げてきたのに、
急に横から手が伸びて全部倒されたような、そんな感覚だった。

その瞬間、ふと思った。

私はいままで、いったい何を目指して頑張ってきたんだろう。

たぶん、虚しさに近い。
でも、悔しさよりももっと深く、もっと静かで、
誰にも言えない種類のしずかな諦めだった。

40代になると、仕事というのは「生活を支えるもの」だけじゃなくて、
自分の中の価値観や人生観までも支えている柱みたいな部分がある。
だから、その柱が少しでもずれると、
自分自身がぐらっと揺れる。

周りから見たらただの方針変更かもしれない。
でも私にとっては、5年分の思考と希望と行動がつまった大切な時間だった。
その重みを、誰も気づかないまま風のように流されていくことが、
何よりつらかったのだと思う。

それでも、あの日の私の中に広がった諦めは、
決して“終わり”ではなかった。
むしろ、何を守りたいのか、
どんな働き方を自分自身が望んでいるのか——
改めて見つめ直す静かなサインだった気がする。

40代になって気づいた、私が本当に守りたい「働きやすさ」

40代になって、働く意味が少しずつ変わった。
20代の頃は「できることを増やしたい」とか、「評価されたい」という気持ちが強かったけれど、
いまは違う。
私が守りたいものはもっと生活に近く、もっと静かで、もっと大切だ。

それは、
子育てとの両立。
キャリアを諦めないこと。
そして、心がすり減らない働き方。

この3つがそろって初めて、「働きやすい」と思える。

子どもがいると、どうしても生活は揺れやすくなる。
学校行事、体調不良、送迎の時間。
予定通りに進まない日だって珍しくない。
そんななかで、仕事だけを優先して走り続けるなんて、とても無理だ。

だけど、子育てをしているからといって、
キャリアを諦めるのは、なんだか自分が自分ではなくなってしまうようで苦しかった。
私だって仕事が好きだし、
もっと良くしたい世界があるし、
社会と繋がることで自分が保たれる部分もある。

だからこそ、
「子育てしててもキャリアを諦めなくていい働き方」が、私にとってはとても大切だった。

そしてもうひとつ。
心がすり減らないこと。

これは、最近になってようやく言語化できるようになった。
ただ忙しいとか、ただ疲れるとか、そういう話じゃない。
会社の方針に振り回されたり、
意味のない指示に心を削られたり、
立場や評価で押しつぶされるように働くこととは、もう距離を置きたい。

子どもを育てながら仕事をしていると、
もう“摩耗する働き方”を続ける余裕がないのだ。
自分がすり減れば、その影響は家の中にも静かに広がる。
それがわかっているからこそ、
心の健康はもう軽視できない大事な軸になった。

年末、会社の方針が変わったときに感じたあの諦め。
それは、「もうこの働き方では守れないものがある」という合図だった気がする。

誰かのために頑張る働き方から、
“自分と家族を大切にできる働き方”へ。
その舵を切るタイミングが、
静かに訪れたのかもしれない。

大吉がそっと教えてくれた、“自分のペースで生きる”ということ

初詣で引いた大吉は、
私にとって「開運」のお知らせではなく、
もっと静かで、もっと優しいメッセージだった気がする。

──無理に頑張らなくていいよ。
──自分のペースで進んでいいよ。

そんなふうに囁かれているような、やわらかな温度。

私はずっと、誰かのために、何かのために、
力を込めて動き続けてきた。
女性の働き方を変えたい、
もっと働きやすい未来をつくりたい、
その信念がずっと背中を押してくれていた。

でも、ここ数ヶ月で気づいたことがある。
「誰かのため」を優先し続けると、
自分の心の方が先に摩耗してしまうということ。
年末の方針転換で感じたあの静かな諦めは、
もしかしたら“今の働き方を見直すタイミング”を
知らせてくれていたのかもしれない。

40代になると、“自分のペースで生きる”ことの難しさと大切さを
ひしひしと感じる。
家族の予定、子どもの体調、仕事の山…
暮らしのリズムはいつだって外側から揺さぶられる。
それでもなお、自分の速度を守るというのは、
思っている以上に勇気がいる。

だから、初詣の大吉は私にとっての目印になった。

自分を追い立てるような働き方はしないこと。
誰かの期待に応えようと無理をするのをやめること。
少し歩いて、疲れたら立ち止まって、
また歩き出せばいい。

大吉の紙に書かれた文字は小さいのに、
そこに込められた言葉は、
私の一年の指針になるほど大きかった。

2026年は、急がない一年にしたい。
焦らず、競わず、自分の心の速度で進む一年。
無理に頑張らなくても、ちゃんと前に進める——
そう信じてみたい。

今日も小さな養生を。

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