なぜ私は手帳を書き続けたのか
今年は、仕事のことで頭がいっぱいになることが多かった。
日中はタスクに追われているから、深く考えずに済む。会議、返信、締切。目の前のことを処理していれば、一日はあっという間に終わる。
でも問題は夜だった。
家が静まり返り、子どもたちも眠り、スマホの通知も止まる時間。やっと一息つけるはずなのに、そこから思考が動き出す。
「あの発言、余計だったかな」
「方向性が違うのかもしれない」
「このままでいいのかな」
昼間には押し込めていた疑問や不安が、順番待ちをしていたかのように顔を出す。考えても仕方がないと分かっている。それでも止まらない。思考は整理されるどころか、枝分かれしていく。
仕事のことだけを考えているつもりが、やがて将来のことに飛び、家族との時間のことに広がり、「私、何がしたいんだろう」という大きな問いに変わる。答えが出ないまま、ただ脳内会議だけが続く。
「ちゃんと考えている」つもりだった。
でも実際は、同じ場所をぐるぐる回っていただけだったのだと思う。
思考がまとまらないのに、考える時間だけが増えていく。
布団の中で、天井を見ながら、どうにもならない未来を想像して疲れていく夜。
そんな時間が積み重なったある日、私は手帳を開いた。
眠れないなら、いっそ全部書いてしまおうと思った。
整えようとしなくていい。前向きにならなくていい。
ただ「今、頭にあること」をそのまま紙の上に置いてみる。
書き始めたのは、解決したかったからではない。
むしろ、もう考え続けるのに疲れていたからだった。
手帳は、未来を管理するためのものだと思っていた。
でもあの夜の私は、未来ではなく「今の混乱」を置く場所がほしかったのだと思う。
手帳で思考が整理できた理由①|客観視できるようになったから
手帳に書き始めて、最初に感じた変化は「すっきり」ではなかった。
むしろ、書いた直後も問題はそのままだったし、状況が劇的に変わったわけでもない。
でも、ひとつだけ確実に変わったことがある。
それは、自分の思考を“外から見られる”ようになったことだった。
夜、頭の中だけで考えているときは、思考と自分が一体化している。
「不安=私」になってしまう。
「うまくいかない=私はダメかもしれない」と、すぐに飛躍してしまう。
でも紙に書くと、そこに並んでいるのは“文字”になる。
「あのときの判断は間違いだったかも」
「方向性が違うのかもしれない」
「評価が下がるかもしれない」
こうして書き出してみると、少しだけ距離が生まれる。
あれ、これ全部“予想”じゃない?と気づく瞬間がある。
頭の中では巨大に見えていた不安が、紙の上では意外と小さい。
そして何より、「私は何を恐れているのか」が見えるようになった。
思考がまとまらないときは、たいてい感情と事実が混ざっている。
事実:方向性が変わった。
感情:不安、寂しさ、焦り。
これを分けて書くだけで、「じゃあ私はどうしたい?」という問いが立ち上がる。
それまでは、考えることに振り回されていた。
でも書くことで、考えている自分を少し離れた場所から見られるようになった。
思考の整理とは、答えを出すことではなかった。
自分の頭の中を、客観視できる状態にすることだったのだと思う。
手帳で思考が整理できた理由②|認めたくない本音が見えたから
客観視できるようになると、次に起きたのは「前向き」ではなかった。
むしろ私は、見たくなかったものを、少しずつ見てしまうようになった。
手帳に書いていると、同じ言葉が何度も出てくる。
最初は偶然だと思っていたけれど、繰り返されるたびに「これはたまたまじゃない」と分かってくる。
“違う気がする”
“しんどい”
“なんだか悲しい”
その言葉たちは、気分の波ではなく、もっと根っこの感覚だった。
私はたぶん、ずっと前から気づいていたのだと思う。会社での自分の居場所が、もう以前のようには存在していないことに。
方針が変わっていく空気。
話していても、どこか噛み合わない感じ。
大切にしてきた価値観が、静かに置き去りにされていく感覚。
全部、感じていた。
でも、認めたくなかった。
認めた瞬間に、これまで頑張ってきた時間まで否定される気がしたから。
「ここで何年も積み上げてきたのに」
「私が目指していた未来は、もうこの会社の未来じゃないのかもしれない」
そんな結論に触れるのが怖かった。
頭の中だけで考えていると、怖い結論はうまく曖昧にできる。
“まだやれることがある”
“たまたま今だけ”
“気のせいかもしれない”
そうやって自分をなだめることができる。
でも手帳は、曖昧にした言葉も、そのまま残す。
翌日見返したとき、そこに書かれた違和感が、ちゃんと存在してしまう。
逃げ道を作る前に、本音が紙の上に置かれてしまう。
思考が整理されるって、気持ちよく整うことだと思っていた。
だけど私の場合は逆で、まず「認めたくない本音」を認めるところから始まった。
それでも不思議と、書いているあいだに少しだけ呼吸が楽になる。
“気のせい”にしないだけで、心は少し落ち着く。
自分を騙し続ける方が、ずっと苦しいのだと知った一年だった。
手帳で思考が整理できた理由③|自分で着地点をつくれるようになったから
この一年は、間違いなく仕事で悩んだ一年だった。
方向性の違い。
居場所の揺らぎ。
このままでいいのかという問い。
夜になると、その問いは何倍にも膨らむ。
答えの出ない未来を想像して、勝手に疲れていく。
でも手帳を書き続けるうちに、少しずつ変わっていったことがある。
それは、最終的に「まぁいっか」と思える瞬間が増えたことだった。
開き直りではない。
投げやりでもない。
書きながら、自分の本音と向き合い、
「私はどうしたい?」と何度も問い直す。
すると、不思議と大きな答えは出なくても、小さな着地点が見えてくる。
「今日はここまででいい」
「今すぐ決めなくていい」
「もう少し様子を見よう」
「これは私の問題じゃないかもしれない」
頭の中だけで考えていたときは、
白か黒かの結論しかなかった。
辞めるか、続けるか。
合うか、合わないか。
成功か、失敗か。
でも紙の上で考えると、
その間にいくつもグレーがあることに気づく。
今すぐ全部を決めなくてもいい。
今日の自分が納得できる小さな選択をすればいい。
そう思えるようになったとき、
思考は暴走しなくなった。
仕事の悩みが消えたわけではない。
居場所の問題が解決したわけでもない。
それでも、
「どうにもならない未来」に振り回される時間は減った。
手帳は未来を変えなかったけれど、
“今の私の立ち位置”を明確にしてくれた。
だからこの一年は激動だったけれど、
完全に自分を見失うことはなかったのだと思う。
うまくいかなかった一年でも、私を見失わなかった理由
居場所の揺らぎに気づき、
認めたくない本音を書き、
何度も立ち止まった。
順風満帆とは言えない。
むしろ、迷いの多い一年だったと思う。
それでも、私は完全に自分を見失うことはなかった。
手帳に書き続けたからだ。
書くたびに、
「私はどう感じているのか」
「本当はどうしたいのか」
を、少しずつ確認してきた。
薬剤師に戻ることもできる。
資格は消えないし、その道は今もある。
でも今、私はAIの仕事を選んでいる。
迷いながらも、続けている。
それはきっと、損得だけではない理由があるからだと思う。
誰かの働き方を変えたいと思ったこと。
40代でも、子育て中でも、心をすり減らさずに働ける形を探したいと思ったこと。
その気持ちは、嘘ではなかった。
うまくいかなかった一年かもしれない。
けれど、自分をごまかさなかった一年だった。
思考が整理できたというより、
自分と向き合うことをやめなかった一年。
12月31日。
答えはまだ出ていない。
でも、自分の選択を少しだけ信じてみようと思う。
迷いながら選んでいる今も、きっと意味がある。
来年もまた、手帳を開きながら考えていけばいい。
今日も小さな養生を。
