ハロウィンを特別にしない日|子どもの成長と“甘い時間”の味

ハロウィンを特別にしない日|子どもの成長と“甘い時間”の味

仮装をしなくなったハロウィンの日

今年のハロウィンは、いつも通りの朝だった。
通学路にはオレンジ色の飾りもなく、
仮装した子どもたちの姿も見えない。
あのにぎやかだった保育園時代の光景は、もう遠い。

小学生になった子どもたちは、
仮装そのものにはもう興味がないようだった。
けれど、心のどこかではきっと
「ハロウィン=パーティーの日」という記憶が残っているのだろう。
保育園で過ごしたあの頃のわくわくが、
まだ少しだけ続いているような気がした。

私はというと、飾りつけも仮装ももうしない。
正直、仕事や家のことで精一杯。
平日の夜は息子のバスケットの送迎、
帰ってからは仕事のメールを片づけて、
気づけば一日が終わっている。
だからハロウィンを特別にする余裕なんて、もう長いことなかった。

飾りつけをすれば、後片づけも待っている。
“やらない”と決めてしまったほうが気が楽だ。
そう思うのに、どこか胸の奥が少しだけ痛む。

夕方、学校から帰ってきた娘が
なんとなくそわそわしていた。
その小さな背中を見て、
「もしかしてまだパーティーをしたいのかな」と思った。
あとで聞いたら、やっぱり夫にこっそり
「パーティーしたい」って話していたらしい。

子どもの成長を感じる日でもあり、
まだ少しだけ“あの頃の名残”を感じる日でもある。
ハロウィンというより、
季節の中の小さな節目のような一日だった。

イベントを“やめる”という選択

小学生になってから、季節のイベントを少しずつ減らすようになった。
ハロウィンもそのひとつだ。

私が子どものころには、ハロウィンなんてなかった。
この時期はただの秋の終わりで、
街にかぼちゃや魔女の飾りがあふれることもなかった。
だから「どうしてわざわざ行事にしなきゃいけないんだろう」と
思う気持ちも、どこかにある。

イベントを増やせば、準備も片付けもついてくる。
バスケットの練習や仕事の合間にそれをこなすのは、正直、もうきつい。
疲れて帰ってくる夜に、飾りを出す気力なんてほとんど残っていない。

息子はそんな私の気持ちを察してか、特に何も言わない。
「ハロウィン? 別にいいよ」
そのあっさりした反応に、
少しだけ救われるような、少し寂しいような気持ちになる。

一方、娘は違う。
「おかしパーティーしたい!」と
目を輝かせて言う。
その声を聞くたび、“やらない”と決めた自分の中の線がぐらりと揺れる。

イベントを減らすことで少し楽になる一方で、
どこかにぽっかり空く“余白”がある。
そこに、娘の小さな願いがそっと入り込んでくる。

甘いものでつながる時間

ハロウィンをしない代わりに、
前日に買っておいたシュークリームが冷蔵庫にあった。
人気店のもので、売り切れていないか少し心配しながらお店に入った。
お店のBGMも、街の雰囲気もすっかりハロウィン。
オレンジと黒が混じる明るい色合いが、
見ているだけで少し元気をくれる。

その夜に食べようと思っていたわけではない。
ただ、家族で同じ甘いものを食べる時間があれば、
行事をしなくてもきっと十分だと思ったのだ。
“いつでも出番を待っているお菓子”があるだけで、
少し心が落ち着く。

この小さな甘さが、
忙しい毎日にやわらかな余白をつくってくれる。

結局、パーティーをする夜

「やっぱりパーティーしたい」と言い出したのは娘だった。
その一言に、私は思わず「結局やるんか!」と笑ってしまった。
でも、夫と娘が楽しそうに準備を始めていて、
その姿を見たら、もう何も言えなかった。

スーパーに寄ると、店内はハロウィン一色。
パーティー用のチキンやサラダが並び、
まるでクリスマス前夜のような賑わい。
ハロウィンは、いつの間にか“仮装の日”から
“パーティーの日”に変わってきたのだと感じた。

家に帰って並べた食卓は、思った以上に華やかだった。
娘はオレンジの紙皿を並べながら嬉しそうに笑い、
息子は「今日は豪華〜!」と声を上げていた。
冷蔵庫に待機していたシュークリームも、
ついに出番を迎えた。

飾りも衣装もないけれど、
その笑顔を見ていたら、それだけで充分だった。
予定外の夜だったけれど、
家族の笑い声が聞こえると、
小さな疲れまでどこかへ消えていく気がした。

いつの間にか“日本の行事”になったハロウィン

スーパーの棚に並ぶかぼちゃ色のスイーツを見ながら、
年々、ハロウィン商戦が派手になっていくのを感じる。
私が子どものころにはなかった行事が、
今では秋の風景のひとつになっている。

日本の秋は、静けさよりも楽しさを選ぶようになったのかもしれない。
それでも、私はこの明るいオレンジ色が好きだ。
きっと昔の自分がこの光景を見たら、
目を輝かせてワクワクしていたと思う。

今の私は、少し距離を置いてそれを見つめている。
飾らない時間も悪くない。
忙しさの中にあっても、
こうして家族で笑えた一日があれば、それで十分だ。

季節は変わっていく。
行事の形も変わっていく。
けれど、家族と囲んだ食卓の記憶は
きっと来年も、同じように思い出すのだろう。

今日も小さな養生を。



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Wrote this article この記事を書いた人

ミカ

手帳と暮らすミカです。 薬剤師・和漢薬膳師として、心と体の「めぐり」を見つめながら暮らしています。 40代を迎え、心や体の声に耳を澄ます日々。 手帳を開く時間は、私にとって小さな養生であり、静かな儀式です。 ここでは、ほぼ日手帳に綴る日々の出来事や心の揺れを通して、 「人間らしく生きる」ためのヒントを探しています。

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