キャリア, 子育て, 手帳日記

子どもの熱で仕事を休む日。申し訳なさに押しつぶされそうになるのは、私だけじゃない

仕事と子育ての両立が苦しい瞬間

仕事を中抜けして病院へ向かった今日、
胸の中でいちばん強く湧いた気持ちは──
「申し訳ない」だった。

子どもが高熱で苦しんでいる。
母親としては、迷う余地なんてどこにもない。
抱えて急いで病院へ向かう以外の選択肢はなかった。

それでも、
職場のチャットに 「すみません、病院へ行きます」 と入力する指先は
やけに重くて、
送信ボタンを押した瞬間、
胸の奥で何かがすうっとしぼむような感覚があった。

どうして私は、こんなときでさえ“申し訳ない”と感じるんだろう。

子どもの体調は最優先のはずなのに、
「迷惑をかけてしまう」
「仕事が止まってしまう」
「また気を遣わせてしまう」
そんな思いが頭に渦を巻く。

本当は、
そんなふうに自分を責める必要なんてない。
命より大切な仕事なんてないはずなのに。

だけど、
現実の職場では、
子どもの発熱も、
母親の不安も、
病院の待合室の焦りも、
誰の都合にもならない。

ただただ、
「抜けます」「すみません」
その言葉だけが浮かぶ。

仕事と子育ての両立が苦しいのは
体力でも時間でもなくて、
どちら側にも“申し訳なさ”が生まれるからだ。

子どもにも、
職場にも、
自分自身にも。

そしてその板挟みの中で、
心がすり減っていく。

今日の出来事──病院の待合室で、心が折れそうになった瞬間

診察を待つ間、
時間だけがひどく重く流れていった。

中抜けの予定時間では到底間に合わないほど混雑していて、
絶えず名前が呼ばれるアナウンスの声と、
番号札の電子音、
マスク越しの咳ばらい。

人の気配であふれているのに、
そのざわつきの中で
私はひとりだけ取り残されているような感覚だった。

時計の数字を何度も確認するたび、
胸の奥を冷たい手で掴まれるような苦しさが走る。

「あぁ、また明日、会社で謝らないといけない……」

その言葉だけが、
何度も、何度も、頭の中を往復した。

子どもが高熱でぐったりしている。
母親としては迷う余地なんてどこにもない。
けれど、
「迷惑をかけてしまった」という思いが
胸の奥にずっと居座り続ける。

本当は、仕方のないことのはずなのに。

でも、
「お互い様」って言い合える状況じゃない。
子育てしているのは、その職場で私ひとり。

「気にしないで」と声をかけてくれる人がいても、
心の底からそう思ってもらえているか分からないまま、
自分だけがずっと
後ろめたさを抱えている気がしてならない。

混雑した待合室の空気は、
焦りと不安で胸をぎゅっと締めつける。

仕事も、子育ても、
どちらも手放せないのに、
どちらにも全力を出せない。

そして、そのどちらにも
申し訳なさを抱えてしまう。

それが、
働く母にとって何より苦しいところだと思う。

待合室の椅子に座りながら、
胸の奥で静かに思った。

理解される職場を求めることは、
わがままなんかじゃない。

理解されない職場で、心がすり減る理由

働く母がすり減ってしまう一番の理由は、
忙しさでも、時間のなさでもなく、
理解されない中でがんばり続けなければならないことだと思う。

「中抜けします」「すみません」
ただその一行を送るだけで、
胸の奥がぎゅっと苦しくなる。

子どもが高熱で苦しんでいる──
本当は、理由として十分すぎるはずなのに、
その事実が職場では
“個人的な事情”に変換されてしまう。

そこに罪悪感が生まれる。

迷惑をかけたいわけじゃない。
楽をしたいわけじゃない。
わがままを言っているつもりなんて、ひとつもない。

ただ、
母親として
当たり前のことをしているだけなのに、

どうしてこんなにも
縮こまって生きなきゃいけないんだろう。

理解されない場所で働くということは、
自分を守るための鎧を
ずっと着続けているようなものだ。

誰かの視線に怯え、
本当の気持ちを飲み込み、
申し訳なさを抱えながら笑顔で仕事をこなす。

何度も自分に言い聞かせる。
「大丈夫、大丈夫」
「気にしすぎだよ」
「みんながんばってる」
そう言葉を重ねるたびに、
心はすり減って、薄く、弱くなっていく。

そしていつの間にか、
自分の痛みを“なかったこと”にするのが
いちばん楽な生き方になってしまう。

子育てに理解のない環境で働く苦しさは、
仕事量やスケジュールの問題じゃない。
もっと深い場所にある。

それは、
「わかってほしい」と願う気持ちが
ずっと届かないまま、
押しつぶされていく感じだ。

今日の待合室でもふと思った。

理解してくれる人がひとりいるだけで、
世界はこんなにも違って見えるのかもしれない。

私が欲しかったのは、
完璧なサポートでも、
特別な待遇でもない。

ただ、
「大変だったね」のひと言で肩の力を抜ける場所。

そのたった一言がないまま、
気持ちを押し込んで働き続けると、
心は静かにすり減っていく。

だからこそ思う。

今の自分に必要なのは、
もっとがんばることじゃなくて、
自分を守る小さな選択だ。

苦しいときにできる、働く母の小さな“守り方”

今日、待合室で何度も時計を見つめながら思った。
心が苦しいときほど、
私たちは無意識に
“もっとがんばらなきゃ”と自分を追い立ててしまう。

仕事にも迷惑をかけられない。
子どもにも心配をかけたくない。
できる限りのことをやろうと、
肩に力を入れて踏ん張ってしまう。

でも、本当に必要だったのは、
がんばりでも、根性でもなくて、
ひとつ息をゆるめるための小さな選択だった。

例えば——

予定調整を早めに相談する

完璧に整えてから言おうと思うほど、
言い出せなくなる。
“まだ確定じゃないんですけど”でいい。
前もって声を出せば、
自分の心の重さが少し減る。

ひとりで抱え込まない

子どもの病気は、
母親だけの問題じゃない。
できない日があるのは当たり前。
弱音をひとつ外に出すだけで、
心はすこし軽くなる。

「ごめんね」より「ありがとう」を言ってみる

自分を責め続ける言葉は、
心をじわじわ削っていく。
代わりに「助かりました」「ありがとう」と言えば、
罪悪感ではなく、
感謝でつながれる。

小さな休憩を意識する

病院から戻ったあと、
すぐに仕事モードに切り替えようとしなくていい。
深呼吸ひとつでも、
気持ちは確かに整う。

そしてもうひとつ、
とても大切だと思ったことがある。

自分の気持ちを大切に扱うことは、甘えではないということ。

今日の私は、
申し訳なさと焦りで胸がいっぱいだった。
でも、
あの混雑した待合室の椅子でふっと気づいた。

誰よりも子どものことを思って、
仕事も手放さずに踏ん張って、
こんなにも必死に生きている自分を、
少しくらい守っていいはずだと。

働く母は、強く見えても、
ほんとうはいつもギリギリのところで立っている。

だから、
“自分を守る小さな選択”を一つだけでも持っていたい。

それが、
次の日を生きる力になる。

私が欲しいのは、完璧じゃなく「理解のある場所」

働く母として生きる日々は、
いつも綱渡りのようだと思う。

子どもの体調は待ってくれない。
仕事の締め切りも止まってはくれない。
どちらも大切で、どちらも手放せないのに、
毎日の暮らしは
いつも何かを犠牲にしながら続いていく。

今日、混雑した病院の待合室で時計を睨みながら、
胸の奥で何度も思った。

「ごめんなさい」って、
どうしてこんなに言い続けなきゃいけないんだろう。

子どもが高熱で苦しんでいる。
それは、母親にとって何より大切なことなのに、
仕事の時間を削るたび、
肩身を小さくして生きなければならない現実。

“お互い様”と言い合えたらどんなにいいだろう。
でも、子育てをしているのが
その職場で自分ひとりだけだと思うと、
その言葉を胸を張って言えない。
理解してほしいと願うことさえ、
わがままのように思えてしまう。

だから今日、
待合室でひとり思った。

私が欲しいのは、
特別な制度でも、
完璧なサポートでもない。

たったひと言、「大変だったね」が届く場所。

そのたったひと言があるだけで、
人はもう一度、前へ進める。

理解してくれる誰かがひとりいるだけで、
心は折れずにいられる。

働く母に必要なのは、
完璧な職場じゃなくて、
安心して深呼吸できる居場所。

無理をせず、
言い訳をせず、
申し訳なさに押し潰されずに、
普通の顔で立っていられる場所。

今日の私は、
その場所を探している自分に気づいた。

逃げたいわけじゃない。
投げ出したいわけじゃない。

ただ、
自分の人生を、自分で大切にしたいだけだ。

強く生きようとする私は、
決して弱いわけじゃない。

今日も小さな養生を。

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