
うまく共感できない会議があった日
金曜日の午後。
PCの画面には、会議室の風景が映っていた。
長テーブルの向こうで、明るい声と軽やかなアイデアが飛び交っている。
「こんなサービスを展開したい」
「次の企画はもっと広げていきたい」
モニター越しに届く言葉は、未来を照らすスポットライトみたいに鮮やかで、勢いがあった。
でもその光が眩しすぎて、私はひとり影に立っているような気がした。
胸の奥が、じんと重かった。
深く息を吸おうとしても、喉の手前で空気が止まるような、苦しい重さ。
話題についていけないわけじゃない。
理解できない言葉なんてひとつもない。
ただ、心が動かなかった。
「ああ、私はきっと今、みんなと同じ温度で立っていない」
そう思った瞬間、画面の向こうとこちら側の境界線が、
急にくっきりと浮かび上がった。
会議室の空気は、画面越しでもわかるほど明るかった。
笑い声、頷き合う気配、ペンが走る音。
同じ会議に参加しているはずなのに、
私はその輪のなかに触れられない透明な壁の前に一人で座っていた。
椅子の脚が少しだけ床から浮いているみたいな、
体の落ち着かない感覚。
居心地の悪さが、胸の重さをさらに深く沈めていく。
以前の私なら、きっと真っ先に声を上げていただろう。
その場を動かす瞬間が好きで、
仕事に熱中できる時間こそが自分の価値だと思っていた。
だけど、この日は違った。
画面の向こうから届く明るい会話が、
どこか遠くの世界で流れている音のように聞こえた。
その輪に自分が溶け込めない自覚だけが、
静かに、確実に胸の奥へ沈んでいった。
その重さを誰かに伝えるほどの余裕もなくて、
私はただ、自分の姿が映る画面をぼんやり見つめていた。
止まったままの心を抱えたまま、
時間だけが、ゆっくり前へ進んでいった。
みんなが前へ進む音と、取り残される気持ち
会議が終わったあと、
PCの中の景色がふっと切り替わった。
会議室のざわめきがまだ残っているのか、
ヘッドセット越しに、
遠くで誰かが笑う声がかすかに聞こえる。
画面には、私のデスクの光だけがぽつんと残った。
出勤しているメンバーは全員男性。
女性は、私ひとりだけ。
そして、在宅勤務も私だけ。
その二重の距離が、
思っていた以上に胸の奥へずしりと沈んでいく。
同じ仕事をしているはずなのに、
同じ時間を過ごしたはずなのに、
私はまるで別の場所で、
別の温度で生きていたような感覚になった。
会議室にいる彼らには、
視線を交わす瞬間がある。
頷き、笑い、空気が少し揺れる。
その細かな温度が、
ひとつの方向へ進む力になるのだと思う。
けれど、オンラインの私は、
ただ画面を見つめて座っているだけだった。
背後に誰の気配もない部屋で、
加湿器の小さな音だけが一定のリズムで響いていた。
孤独、というと大げさかもしれない。
誰かに粗末に扱われたわけでもない。
仲間はみんな優しいし、
私を置いていこうとしているわけでもない。
それでも、
会議室のテーブルに置かれた書類の音や、
誰かのボールペンを回す癖や、
ふと漏れる小さなため息——
そういう“粒のような空気”にふれられないことが、
私の胸の重さの正体だった。
みんなが前に進む足音が、
すこしずつ遠ざかっていくのを感じる。
取り残されているわけじゃない、
でも同じ速度では歩けていない。
その差が、ただ苦しかった。
一瞬、
「私、何をしてるんだろう」
そんな言葉が喉までせり上がってきた。
でも声にはならなかった。
だれにも届かない小さな感覚だけが、
部屋の静けさの中に沈んでいく。
胸の真ん中の重さは、
まだそこにあった。
「変わらなきゃ」ではなく「立ち止まる勇気」
会議が終わったあと、
私はPCの電源を落とさずに、ただしばらくぼんやり座っていた。
仕事部屋に流れるのは、加湿器の小さな音と、
外の風が窓を揺らす気配だけ。
在宅勤務は便利だ。
通勤のストレスはないし、
時間の管理もしやすい。
それでも、
“ひとりで働く”という静けさは、
ときどき胸の奥を冷たくさせる。
家にいるのに、帰ってきた感じがしない。
家族の声も聞こえるのに、
そこに自分の居場所がないような、
ふわふわとした宙づりの感覚。
胸の真ん中の重さは、
さっきの会議のまま、どこにも行き場を見つけられずに座り込んでいた。
深く息を吸おうとしても、
喉のところで止まってしまうような苦しさ。
私はそっと、
机の横に置いていた手帳を開いた。
新しいページの余白が、
真っ白な息のように目の前に広がった。
「今日は、心が動かない日」
そう、一行だけ書いた。
きれいに書こうとも思わなかった。
絵文字も、反省も、理由もない。
ただ、自分の今の位置を
そこにそっと置いた。
書きながら、
胸の奥の硬い塊が、すこしだけ溶けていくのを感じた。
東洋医学では、
胸のつかえや重さは「気」が滞ったサインだと言われる。
無理に進もうとすると、さらに固まってしまう。
だから、本当は、止まることも大切な養生だ。
走れない日は、走らなくていい。
みんなと歩幅を合わせられないなら、
無理に歩かなくてもいい。
“変わらなきゃ”じゃなくて——
“立ち止まる勇気”。
その夜、私は誰にも説明せず、
誰にも届かない小さな声を
手帳の中にだけそっと置いた。
それだけで、救われる瞬間がある。
生活スタイルは、一気には変えられない
PCの画面を閉じても、胸の奥の重さはそのまま動かなかった。
深呼吸しても、肩に入り込んだ力は抜けてくれない。
気持ちを切り替えたいのに、スイッチは見つからない。
“よし、頑張ろう”と言い聞かせるほど、
心は固く閉じていく。
画面の前に座ったまま、ふと手帳のページを開いたとき、
貼っていた小さな文字が目に入った。
「そんなにすぐみんなが生活スタイル変えられるとは限らない。」
その言葉が、胸の中で静かにひびいた。
SNSには、きらきらした人たちがあふれている。
早起きの習慣、完璧なルーティン、
朝活、運動、食事改善、
“変わるためのコツ”を、眩しいほどに並べている。
頭ではわかっている。
良い習慣が未来を変える、
行動が自分をつくる、
小さな積み重ねが大事だってことも。
でも——
それが、今の私には苦しい日もある。
胸が重い日は、ただ呼吸をするだけで精一杯だ。
会議で言葉が出ない日もある。
変わりたい気持ちがあっても、
心のエンジンが動かない日がある。
なのに、
「変わらなきゃ」「頑張らなきゃ」「みんなできているのに」
そんな言葉で自分を追い立ててしまう。
変われない自分を責めるよりも、
立ち止まって温度を整える日があっていい。
走り続けられない日は、
ただ座って息を吐くだけでもいい。
生活は、一気には変えられない。
それは、怠けでも弱さでもなくて、
体と心が本来持っているリズムなんだと思う。
東洋医学では、
気が滞れば心も体も動けなくなると言われる。
だから、無理に押し流そうとしなくていい。
焦らず、じっくり、少しずつでいい。
ページの上で静かに光ったあの言葉が、
私の胸につかえていた重さを
ほんのすこしだけ溶かしてくれた。
変わるための一歩は、
走ることじゃなくて、
立ち止まる許可を出すこと
なのかもしれない。
小さな一歩としての“養生手帳”
手帳を開いたまま、しばらくページを眺めていた。
真っ白な余白が、
硬くなった心をそっと撫でるみたいに、
静かな呼吸を取り戻させてくれる。
何も大きく変わったわけじゃない。
劇的な解決策を思いついたわけでもない。
でも、たった一行、
たとえば「今日は、心が動かない日」と書くだけで、
自分の現在地が見える。
胸の奥の重たさも、
呼吸の浅さも、
焦りも、
見えないまま抱えていると、
いつの間にか心の底に沈んでしまう。
でも言葉にすると、
そこに“輪郭”が生まれる。
輪郭ができると、
その重さはただの“感情”として扱える。
東洋医学では、
自分の体や心の状態を知ることを
「観る」ことと呼ぶ。
観ることは、治すより前にある大切な行為。
状態を把握し、変化を受け止めることで、
回復の方向へゆっくり舵を切ることができる。
だから、
完璧な記録なんていらない。
続けなきゃいけないルールもいらない。
たった一行でいい。
たった3分でいい。
生活は、一気には変えられない。
でも、自分を観る小さな習慣なら、
今日からでも始められる。
私もそうだった。
体調が揺れる40代になって、
一番救われたのは、
大きな行動じゃなくて、
小さな記録だった。
「頭痛 4/10」
「胸が重い」
「やる気 2/10」
「ため息 7回」
そんな断片的なメモでも、
続けていくと波が見えてくる。
調子の良い日と悪い日のリズムがわかると、
体と心に合わせた暮らし方ができる。
そして、
「あ、今日は無理しなくていい日なんだ」
そう言えるだけで、
救われる瞬間がある。
もし、
「続けられない」「続かない自分が嫌になる」
そんな気持ちを抱えているなら——
養生手帳という選択肢もある。
無理なく続けられるように作られた、
“心と体のための手帳”。
書く量やルールに縛られず、
その日の自分をそっと置いておける場所。
生活を変えるためじゃなく、
自分を知るための小さな灯。
私も、この小さな灯に、
静かに救われてきた。
変わることを急がなくていい。
立ち止まりながら、
少しずつ、自分のペースで。
今日のページの最後に、そっと書いた。
今日も小さな養生を。
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Wrote this article この記事を書いた人
ミカ
手帳と暮らすミカです。 薬剤師・和漢薬膳師として、心と体の「めぐり」を見つめながら暮らしています。 40代を迎え、心や体の声に耳を澄ます日々。 手帳を開く時間は、私にとって小さな養生であり、静かな儀式です。 ここでは、ほぼ日手帳に綴る日々の出来事や心の揺れを通して、 「人間らしく生きる」ためのヒントを探しています。