40代、仕事を休む選択は間違いじゃない|予定を詰めない日が心を立て直す理由

40代、仕事を休む選択は間違いじゃない|予定を詰めない日が心を立て直す理由

40代で「仕事を休む決断」をすると、なぜ不安になるのか

40代になってから、
仕事を休むときの気持ちは、
若い頃とは少し違う重さを持つようになった。

体調がはっきり悪いわけでもない。
誰かに説明できる理由があるわけでもない。

ただ今日は、動けない。
気持ちが追いつかない。

そんな曖昧な理由で仕事を休むと、
胸の奥がざわつく。

「この年齢で、こんなことで休んでいいのだろうか。」
「みんな頑張っているのに、自分だけ立ち止まっていないか。」

そんな声が、
頭の中で静かに反響する。

40代は、
責任が増える年代だ。

仕事でも、家庭でも、
「できて当たり前」の役割が積み重なっていく。

多少の不調はやり過ごす。
気持ちは後回しにする。

それが、
いつの間にか当たり前になっている人も多い。

だからこそ、
仕事を休むという選択は、
怠けているような、
逃げているような感覚を連れてくる。

でも、その不安の正体は、
本当に「休むこと」そのものだろうか。

多くの場合、
怖いのは休んだ結果ではない。

立ち止まることで、
見えてしまうものがあるからだ。

疲れ。
迷い。
これから先への不安。

走り続けている間は感じずにいられた感情が、
足を止めた瞬間に、
輪郭を持ちはじめる。

40代で仕事を休むと不安になるのは、
弱いからではない。

これまで積み上げてきた時間と、
背負ってきた役割があるから、
簡単に立ち止まれなくなっただけだ。

だからその不安は、
真面目に生きてきた証でもある。

休むことに罪悪感を抱いてしまう自分を、
まずは責めなくていい。

その揺れは、
心が壊れかけているサインではない。

これ以上無理をしないための、
静かなブレーキなのだから。

学校行事が続く日、心と体は想像以上に消耗している

学校行事が続くと、
一日が細切れになる。

朝は早く起きて準備をして、
時間を気にしながら家を出る。

行事が終われば、
そのまま次の予定へ向かうか、
いったん家に戻って、また外に出る。

一つひとつは、
大したことではないように見える。

けれど、
その「少しずつ」が、
確実に心と体を削っていく。

仕事をしていなくても疲れる日がある。
むしろ、
仕事よりも消耗することさえある。

学校行事では、
常に気を張っている。

時間に遅れないか。
忘れ物はないか。
周りから浮いていないか。

誰かと比べるつもりはなくても、
無意識に視線を気にしてしまう。

その緊張が、
静かに体の奥に溜まっていく。

40代になると、
この疲れは翌日まで残る。

夜にしっかり眠ったつもりでも、
朝になると、
気持ちが重たいまま動けない。

それなのに、
「仕事はしていないから」
「休んでいるように見えるから」
自分の疲れを、
自分で否定してしまう。

でも、
学校行事が続く日は、
れっきとした“消耗日”だ。

外に向けて神経を張り、
家庭と社会の間を行き来する。

その負荷は、
見えないだけで、
確実に積み重なっている。

だから、
そんな日のあとに、
仕事を休みたくなるのは自然なこと。

怠けでも、
甘えでもない。

体と心が、
ちゃんと疲れたと教えてくれているだけだ。

予定を入れない一日が、思考を整える時間になる理由

予定を入れない一日をつくると、
最初は少し落ち着かない。

「何かしなければいけない気がする。」
「この時間、無駄にしていないだろうか。」

そんな気持ちが、
静かな部屋に浮かんでくる。

40代になると、
空白の時間に慣れていない人が多い。

仕事。
家事。
子どもの予定。

気づけば、
一日が誰かのための時間で埋まっている。

だから、
何も予定を入れないと、
思考だけが先に走り出す。

けれど、
その落ち着かなさを越えた先に、
ようやく本当の静けさがやってくる。

時計を気にしない。
次の予定を確認しない。

ただ、
今ここにいる感覚を取り戻す。

予定を入れない一日は、
何もしない日ではない。

考えが、
ゆっくりとほどけていく日だ。

頭の中で絡まっていた思考が、
一つずつ言葉になっていく。

何に疲れていたのか。
何が引っかかっていたのか。
何を手放したかったのか。

忙しい日々の中では、
それらは後回しにされてきた。

予定を入れないからこそ、
その声が、
やっと届く。

この時間は、
生産性のためのものではない。

結果を出すためでも、
誰かに評価されるためでもない。

ただ、
自分の輪郭を確かめるための時間だ。

40代にとって、
思考を整えるとは、
前に進む準備をすることでもある。

立ち止まることは、
止まることではない。

向きを整え直す、
大切な過程なのだ。

記事の書き方を変えたら、心の負担が減った話

以前は、
記事を書くことが、
少し重たく感じる日があった。

書かなければいけない。
更新しなければいけない。

そんな気持ちが、
いつの間にか先に立っていた。

ネタを探す。
構成を考える。
ちゃんとした文章にまとめる。

一つひとつは、
当たり前の作業のはずなのに、
心がついてこない。

それでも、
止めるという選択はできなかった。

続けてきた時間があるから。
積み上げてきた記事があるから。

簡単に手放せない。
だからこそ、
無理をして書いていた。

そんなとき、
書き方を少しだけ変えてみた。

毎日書こうとしない。
完璧な形を目指さない。

今日は、
一つのテーマだけに向き合う。

文章が短くてもいい。
言葉が揃わなくてもいい。

今の自分が書ける分だけで、
十分だと決めた。

すると、
不思議なことに、
心の負担が軽くなった。

「書かなきゃ」という圧が、
「書きたい」に近づいていく。

記事を書くことが、
義務ではなく、
呼吸のような行為に戻っていった。

40代になって気づいたのは、
続けるためには、
力を抜くことも必要だということ。

頑張り続けることだけが、
継続ではない。

形を変えながら、
自分に合うペースを探す。

それもまた、
立派な続け方なのだと思う。

無理なく、楽しく続けるために40代が大切にしたいこと

40代になると、
「続ける」という言葉の意味が、
少し変わってくる。

若い頃のように、
勢いだけで走り続けることはできない。

その代わり、
止まり方や、
力の抜き方を覚えていく。

無理をしない。
頑張りすぎない。

それは、
諦めることではない。

自分の今の状態を、
ちゃんと見ているということだ。

疲れている日は、
休む。

気持ちが追いつかない日は、
予定を入れない。

書けない日は、
書かなくていい。

それでも、
やめなかったことが、
積み重なっていく。

40代で大切なのは、
続けることよりも、
壊れないこと。

楽しく続けるためには、
「できる日」だけを数えればいい。

できなかった日を、
減点しなくていい。

静かに立ち止まる日も、
ちゃんと前に進む時間の一部だから。

自分のペースで、
自分の呼吸で。

そうやって積み重ねた日々は、
きっと、
長く続いていく。

今日も小さな養生を。



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Wrote this article この記事を書いた人

ミカ

手帳と暮らすミカです。 薬剤師・和漢薬膳師として、心と体の「めぐり」を見つめながら暮らしています。 40代を迎え、心や体の声に耳を澄ます日々。 手帳を開く時間は、私にとって小さな養生であり、静かな儀式です。 ここでは、ほぼ日手帳に綴る日々の出来事や心の揺れを通して、 「人間らしく生きる」ためのヒントを探しています。

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