人はそう簡単に変わらない。だから「習慣化」を前提にしない PRを含みます

人はそう簡単に変わらない。だから「習慣化」を前提にしない

習慣を変えることが、簡単じゃない理由

「習慣を変えれば、人生は変わる」
そんな言葉を、これまで何度も目にしてきた。
朝活、運動、食事、勉強。
どれも正しそうで、きれいで、前向きだ。
けれど同時に、胸のどこかが少しだけ重くなる。

習慣を変える、というのは
今の自分の生活を一度、壊すことでもある。
時間の使い方、体のリズム、気持ちの流れ。
それらを「今まで通り」に戻そうとする力は、
思っている以上に強い。

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特に、毎日を回しながら生きていると、
新しいことを入れる余白は驚くほど少ない。
朝起きて、仕事をして、家のことをして、
眠るまでの流れは、すでに体が覚えている。
そこに何かを足すというのは、
単なる気合ややる気だけではどうにもならない。

だから私は、
「続かない」ことを、
意志の弱さだとは思えなくなった。
続かないのは、
それが今の生活に必要なものではなかった、
ただそれだけのことも多い。

習慣になるものは、
努力して定着させるというより、
気づいたらそこにあるものだ。
歯を磨くように、
息を吸うように、
理由を考えなくても自然に続いている。

逆に言えば、
理由を何度も確認しなければ続かないものは、
まだ「習慣になる準備ができていない」だけなのかもしれない。

人はそう簡単には変わらない。
それは怠けでも、諦めでもなく、
今の自分を守ろうとする、
とても自然な反応なのだと思う。

だからこそ、
変われない自分を責める前に、
「変わる必要が本当にあるのか」を
一度、立ち止まって考えてみてもいい。
その問いから始まる変化も、
きっとある。

40代になると、生活はすでに出来上がっている

40代になると、
「新しいことを始める」という言葉の重みが、
20代や30代の頃とは少し違ってくる。

それは、気力がなくなったからでも、
挑戦心を失ったからでもない。
単純に、生活そのものが、すでに完成形に近いからだ。

起きる時間、仕事のリズム、
家事や家族の動線、体調の波。
意識していなくても、
毎日はほぼ同じ流れで進んでいく。
それは窮屈というより、
むしろ安心に近い。

この「安定した流れ」は、
長い時間をかけて作られてきたものだ。
試行錯誤を重ねて、
無理をして、失敗もして、
ようやく落ち着いた形。

だから40代で習慣を変えるというのは、
ゼロから何かを始めることではなく、
せっかく整えた生活に、あえて手を入れることになる。

朝の10分を変えるだけでも、
その影響は意外と大きい。
余裕がなくなったり、
どこかでしわ寄せがきたりする。
小さな変更が、
一日のバランスを崩してしまうこともある。

それでも世の中では、
「変わること」が良いことのように語られる。
成長、アップデート、進化。
どれも間違ってはいないけれど、
すでに回っている生活にとっては、
少し乱暴な言葉にも聞こえる。

40代の多くは、
自分のためだけに生きているわけではない。
仕事、家族、役割。
自分以外の要素が、
日常の大部分を占めている。

そんな中で、
「これを習慣にしよう」と新しい何かを足すには、
相応の理由や覚悟が必要になる。
ただ良さそうだから、
流行っているから、
それだけでは続かない。

変われないのではなく、
変える必要がない部分が多い。
それが、40代の生活のリアルだと思う。

だから私は、
生活が出来上がっていることを、
弱さではなく、
一つの成熟だと捉えたい。

仕事で考える「行動を変え、習慣化させる施策」への違和感

仕事で、新しい施策の話を聞くたびに、
私はいつも同じところで立ち止まってしまう。
それは、「ユーザーの行動を変え、さらに習慣化させる」という前提だ。

一度使ってもらうだけでは足りない。
繰り返し使ってもらい、
日常の一部に組み込まれて、
それが利益につながる。
理屈としては、とても分かりやすい。

けれど、その説明を聞きながら、
頭の中には別の光景が浮かんでくる。
忙しい毎日の中で、
すでにいっぱいになっている生活。
そこにさらに「新しい行動」を
無理やり差し込もうとする姿だ。

特に40代以降の人たちは、
毎日を回すだけで精一杯なことが多い。
新しいツール、新しい仕組み、新しい習慣。
それらを取り入れる余白は、
想像以上に限られている。

だから私は、
その施策に対して素直に賛成できなかった。
使い続けられない人を、
「離脱」と呼んでしまうことにも、
どこか引っかかりを覚える。

続かなかったのは、
その人に価値がなかったからではない。
ただ、その人の生活に合わなかっただけ。
それだけの可能性も、
本当はたくさんあるはずだ。

行動を変えることは、
便利さだけでは起こらない。
「使えば楽になりますよ」
「続ければお得ですよ」
そんな言葉だけで、
人は簡単には動かない。

それでもなお、
習慣化を前提にした仕組みを作ろうとするとき、
私はいつも問い直したくなる。
それは、本当に誰のための変化なのか。
変われなかった人を、
ちゃんと想像できているのか、と。

この違和感は、
たぶん間違いではない。
少なくとも今の私は、
そう信じている。

人が変わるのは、強い目的か、はっきりしたきっかけがあるときだけ

人は、変われるときには変われる。
でもそれは、
「なんとなく良さそうだから」ではない。

振り返ってみると、
自分の生活や考え方が大きく変わった瞬間には、
必ず理由があった。
体調を崩したとき。
どうしても守りたいものができたとき。
これ以上は無理だ、と
心や体がはっきりと限界を示したとき。

そういう強い目的や、
避けられないきっかけがあったときだけ、
人はようやく重たい腰を上げる。
それまで築いてきた習慣を、
一部壊してでも前に進もうとする。

逆に言えば、
そこまでの理由がなければ、
人は変わらない。
いや、変わらないのではなく、
変わる必要がない。

だから、
行動を変えられない人を見て、
意欲が足りないとか、
理解力がないとか、
そう判断してしまうのは、
とても短絡的だと思う。

生活には、それぞれの事情がある。
見えていない疲れや、
積み重なった役割や、
手放せない責任がある。
それらを抱えたまま、
さらに新しい行動を増やすのは、
簡単なことではない。

人が変わるのは、
追い立てられたときではなく、
自分の中で「変わらなければ」と
静かに決心したときだ。
誰かに促されるよりも、
自分の中から理由が立ち上がったときのほうが、
変化は長く続く。

だから私は思う。
変えようとする前に、
その人にとっての「目的」が何なのか。
今、変わる必要が本当にあるのか。
そこを置き去りにしたままでは、
どんな施策も、
どこか無理を孕んでしまう。

変わらない人がいる、という事実そのものが、
人間らしさの証なのかもしれない。

おまけ:ヒューガルデンロゼを飲んだ夜に思ったこと

そんなことを考えていた少し前、
先日のクリスマスマーケットで買って飲んだヒューガルデンロゼが美味しくて追加で購入。

ワインではなく、ビール。
ロゼ色がきれいで、
グラスに注ぐと、それだけで少し気分が変わる。
甘さがあって飲みやすく、
「おいしいな」と素直に思った。

近くのスーパーでは売っていないので、ネットで購入するしかなく、これは習慣化は難しいと思う。
たぶん、「特別な何かの日に飲む」みたいなイメージなのかな。

この感覚は、
習慣について考えてきたことと、
どこかでつながっている気がした。
人は、気に入ったものを
すべて生活の一部にしなくてもいい。
「知る」「味わう」「納得する」
それだけで完結する体験も、確かにある。

習慣にならなかったからといって、
その選択が無駄になるわけではない。
むしろ、
自分の生活に合うかどうかを
ちゃんと確かめた、という事実が残る。

仕事でも、暮らしでも、
つい「続くかどうか」で
価値を測ってしまいがちだけれど、
続かない体験にも、
きちんと意味はある。

ヒューガルデンロゼは、
私にとっては、
「いつものお酒ではなく、特別な日に飲む」
それで十分なお酒だった。
それ以上を求めなかった自分の判断も、
今は悪くないと思っている。

習慣にしない選択も、
立派な選択のひとつ。
そんなことを、
あの静かな夜に、
ロゼ色のグラスを眺めながら考えていた。

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今日も小さな養生を。



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Wrote this article この記事を書いた人

ミカ

手帳と暮らすミカです。 薬剤師・和漢薬膳師として、心と体の「めぐり」を見つめながら暮らしています。 40代を迎え、心や体の声に耳を澄ます日々。 手帳を開く時間は、私にとって小さな養生であり、静かな儀式です。 ここでは、ほぼ日手帳に綴る日々の出来事や心の揺れを通して、 「人間らしく生きる」ためのヒントを探しています。

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