
情報に追われる毎日。
タスク、チャット、締切、ニュース。
気づけば一日が、
「やるべきこと」で埋め尽くされていく。
在宅で働くようになって、
便利さは増えたけれど、
心の中が少しずつ乾いていくのを感じることがある。
40代の今、そんな私の心を救ってくれるのが、
手帳を書く時間だ。
手帳を開くと、
日常から少し離れた「違う世界」への扉がそっと開く。
写真のない日こそ、「非日常」のはじまり
手帳をデコレーションするとき、
多くの人はその日の出来事や写真を貼る。
でも、特に何もなかった日。
カメラを開くことすらなかった日。
私はそんな日にこそ、
“自分ではない”風景のシールを選ぶ。
知らない街の夕暮れ、
誰かの旅先で撮られた海辺、
抽象的な色のグラデーション。
それらを貼ると、
手帳の中に新しい風が吹く。
見知らぬ景色の中に、
心が自由に遊びはじめる。
デジタルの世界で滞る「気」をゆるめる
私はIT企業で働いている。
論理的な思考や効率化は日常茶飯事。
AIが提案し、データが判断し、
正解がいつも先に決まっている。
便利なはずなのに、
ときどき息苦しく感じる。
そんなとき思い出すのは、
東洋医学でいう「気」のめぐりという言葉だ。
ストレスや感情が滞ると、
体にも心にも不調が現れる。
私にとっての手帳時間は、
その滞りをゆるやかに流す「養生」の時間。
頭を休ませ、心を遊ばせる。
現実をいったん離れて、
「自分ではない」誰かの風景を眺めながら、
アロマの香りに包まれて深呼吸する。
それだけで、体の奥にあった緊張が
少しずつほぐれていくのがわかる。
「自分ではない」からこそ生まれる想像力
不思議なことに、
自分の記録ではないものを手帳に貼ると、
心が軽くなる。
誰かの風景を借りることで、
自分の現実からほんの少し距離を置けるからだ。
その距離が、
想像力を生む。
貼られた一枚の写真の中で、
見知らぬ誰かの時間を思い、
その先の空気や音を想像する。
それは、
現実を忘れるための逃避ではなく、
自分の世界を広げるための“養生”だと思う。
日記を読み返すと、もう一つの物語が現れる
数ヶ月経って、
過去の手帳を読み返してみる。
印象に残るのは、
やっぱり「自分ではない風景」を貼ったページ。
日記を書いたのは私自身なのに、
そこにある世界はどこか遠く、
まるで別の人生を生きているような感覚になる。
非日常の風景と、
その日に感じた気持ちが混ざり合って、
ページの中でひとつの物語が生まれている。
それを見返すたびに、
あの時の自分が何を感じていたのかを、
もう一度味わうことができる。
過去の私が、未来の私を
静かに励ましてくれているような気がするのだ。
「非日常」は、心を耕すための余白
現実の中では、
いつも母であり、妻であり、
仕事では責任を背負う立場でもある。
でも、手帳の中では、
どんな肩書きもいらない。
そこには、
ただ「わたし」という存在だけがいる。
だからこそ、
現実を離れた「非日常」のページは、
心を耕す余白になる。
風景を眺め、想像を広げる。
ほんの数分でも、
心の奥が静かに満たされていく。
それは、40代の私にとって、
何よりの癒しであり、
再び現実へ戻るためのエネルギーでもある。
現実を生きるための、ささやかな旅
もし今、
日々の忙しさで疲れているなら、
ぜひあなたの手帳にも「自分ではない風景」を貼ってみるのもおすすめ。
知らない場所、知らない時間。
それらは、あなたの心を旅へと連れ出してくれる。
非日常の世界を少し覗くだけで、
心の中の滞りがスッと流れ出すことがある。
手帳は、
現実と夢のあいだを行き来できる、
静かな旅の道具なのだ。
40代の私たちは、
もう頑張りすぎなくていい。
心を休ませること。
想像を広げること。
それが、これからの「自分を整える生き方」なのだと思う。
今日も小さな養生を。
Wrote this article この記事を書いた人
ミカ
手帳と暮らすミカです。 薬剤師・和漢薬膳師として、心と体の「めぐり」を見つめながら暮らしています。 40代を迎え、心や体の声に耳を澄ます日々。 手帳を開く時間は、私にとって小さな養生であり、静かな儀式です。 ここでは、ほぼ日手帳に綴る日々の出来事や心の揺れを通して、 「人間らしく生きる」ためのヒントを探しています。